HBL創設者・福井仁美の“逆転人生” 引退、婚約破談でどん底を経験…経営者転身で築く眉毛美容文化

「眉毛美容の文化を作りたい」――。そう語るのは、眉美容ブランド「HBL」の創設者・福井仁美(39)だ。実業家として活躍する彼女の人生はまさに波瀾万丈。早稲田大卒業後、タレントとして活躍し、TBS系『王様のブランチ』では約9年間レポーターを務めた。28歳で婚約を機に芸能界引退を決断するも、その後、婚約は破談となり、「人生白紙」の状態を味わった。人生のどん底を経験した彼女は、どのようにして人生を立て直したのだろうか。

インタビューに応じた福井仁美【写真:増田美咲】
インタビューに応じた福井仁美【写真:増田美咲】

目標に据える新たな文化の創出「眉毛美容の文化を作りたい」

「眉毛美容の文化を作りたい」――。そう語るのは、眉美容ブランド「HBL」の創設者・福井仁美(39)だ。実業家として活躍する彼女の人生はまさに波瀾万丈。早稲田大卒業後、タレントとして活躍し、TBS系『王様のブランチ』では約9年間レポーターを務めた。28歳で婚約を機に芸能界引退を決断するも、その後、婚約は破談となり、「人生白紙」の状態を味わった。人生のどん底を経験した彼女は、どのようにして人生を立て直したのだろうか。(取材・文=中村彰洋)

 厳格な教育家庭で生まれ育った福井。初めての芸能活動は高校生の頃に「ノリで応募」した日本テレビ系トーク番組『恋のから騒ぎ』だった。とはいえ、芸能活動に興味があったわけではなく、その後は早稲田大に進学。しかし、入学式での“スカウト”がその後の福井の人生を大きく変えた。

「当時は読モ(読者モデル)がインフルエンサーのような存在でした。入学式に雑誌の編集部の方がたくさん来ていて、そこで声を掛けていただいたことがきっかけです。その後、雑誌社経由でテレビ出演のお誘いをいただき、TBSの深夜番組『オビラジR』に初めて出させていただき、『王様のブランチ』へとつながっていきました。当時、私は外資系金融志望でした。でも、帰国子女でもなければ、秀でた何かがあるわけでもありません。そうなった時に、『誰もやっていない面白いバイトをして、面接で勝ち抜こう』という“下心”のようなものがありました」

 しかし、大学3年生だった2008年に起きたリーマン・ショックにより、このプランは一瞬にして崩れ去った。新卒採用も行われず、チャンスすらも与えられなかった。「全ての未来がその瞬間になくなってしまった」と当時を振り返った。

「当時はデイトレもはやっていて、私も金融資産を持っていたのですが、一瞬で数千万円が消えました。テレビのロケでラーメンを食べている時にそのニュースを聞いて、何も味がしない中で『おいしい』と言いながら食レポしたことを覚えています(笑)。人生をちゃんと考えるようになったのはその時からかもしれません」

 その後も女子大生タレントとして活動しながら、次なる就活のチャンスをうかがい続けた。しかし、その時は訪れることはなく、卒業を機に芸能活動への専念を決断した。

「当時は“おバカブーム”やグラビアタレントの全盛期で、『私って需要ないな』と思うこともありましたが、大学4年生になったら、情勢も変わるかもしれないとも考えていました。でも、景気が良くなることはなく、そのまま卒業のタイミングを迎えて、『ちゃんと芸能界で生きていこう』と決めました」

人生の紆余曲折を語った福井仁美【写真:増田美咲】
人生の紆余曲折を語った福井仁美【写真:増田美咲】

結婚を機に芸能界引退を決断→破談で人生白紙に

 幼少期から全てをそつなくこなしてきた。しかし、それが必ずしも正解ではないのが芸能界だった。ディレクターから言われた一言がずっと脳裏にしみついていたとも明かす。

「『仁美ちゃんって何でもできるけど特徴ないよね』と言われて、すごくショックでした。ちゃんとこなせるということを小さい頃から評価されてきました。でも、この世界にいると、できないことが評価されたりもする。そこから一気に考え方が変わっていきました」

“福井仁美らしさ”を模索する中で、見つけたのが「言葉で行列を作る」というものだった。ボキャブラリーを磨き、オンエアでテロップに残るようなワードを放つ。放送翌日には自分の足で、紹介したお店に出向き、反響の大きさを身を持って実感した。そういった努力の積み重ねの結果が、約9年も『王様のブランチ』に起用されたという事実だった。

「しゃべることは昔から得意だったので、レポーターは向いていたと思います。私は、昔から、はやりそうなものに興味がありました。トレンドセッターになることが好きだったので、情報番組はマッチしていたと思います。新しいものの価値を世の中に広めるという仕事は本当に楽しかったです」

 レポーターとしてのやりがいも感じていたが、婚約を機に新生活を優先させるため、芸能界引退という選択を取った。「アメブロなど発信できる環境はあったので、子どもを産んだら“ママタレ”として再始動することなども考えていました」。

 しかし、その結婚も式直前に紆余曲折の末に破談となった。一瞬にして「人生が白紙」になってしまった。

「家を出ていくことになったので、犬と枕だけを抱えて、家具備え付けのワンルームに引っ越しました。キャリアもなくなり、残ったのは貯金だけ。会社員として働いたこともないので、パソコンも使えない。人に働かせてほしいなんてとてもじゃないですが、言えませんでした。これまで、人生に行き詰まったという経験をしたことがなかったですが、あの時はどうしようもないというレベルを超えていて、とても恥ずかしい気持ちになりました」

「トレンドセッターで在りたい」という変わらぬ思いを口にした【写真:増田美咲】
「トレンドセッターで在りたい」という変わらぬ思いを口にした【写真:増田美咲】

レポーターでの活躍当時から変わらぬ思い「トレンドセッターで在りたい」

 文字通り、ゼロからのリスタートだった。「人には迷惑を掛けられない」という思いから、会社を起業。そこから約1年が経過した頃、知人の声掛けで、オーナーが辞めてしまう脱毛サロンの経営を引き継ぐこととなった。

「これまでにお世話になった方々に『仕事があったらください』とお願いをしていたら、たまたまつぶれてしまう美容サロンのお話をいただきました。特別な興味があったわけではなかったのですが、これも縁だと思い挑戦しました」

 勝ち筋などは全く見えない中での挑戦だった。「失うものがなさすぎたんです。プライドもない、家もない、仕事もない、彼氏もいない。これ以上のどん底はないので、『どうにでもなれ』という気持ちで臨めたことは大きかったです」。

 経営について、必死に勉強を積み重ねた。他方でレポーターを続ける中で培った能力が生きた。「自分の言葉で行列を作るということは20代にたくさんやってきたことでした。何かを世の中に広めるということは得意だったので、その経験が集客やブランディングに生きたと思います」。

 かつてはデイトレードなどにも力を入れていた福井にとって、目に見えて結果が数字に現れることが、楽しさにもつながっていた。「私の性に合っている。これで生活していこう」と覚悟を決めることができた。

 その後は店舗数も徐々に拡大していく中で、福井が着目したのが、眉毛美容だった。そこには、日本には根付いていないからこその可能性が広がっていた。2020年には眉毛ケアの新たな施術「HBL」を創設。そこからは、眉毛美容の普及に力を注ぎ続けてきた。現在の思いは「眉毛美容」という文化を作ること。昔から変わらぬ「トレンドセッターで在りたい」という思いがそこには詰まっていた。

「昔はネイルも自分でするのが当たり前でしたし、まつ毛もビューラーで上げていました。でも、今は当たり前にサロンがあります。それと同じように、眉毛もサロンに行くというライフスタイルを本気で作りたいと思っています。海外だと当たり前なのに、日本には眉毛サロンという文化がない。その古い当たり前を新しい当たり前に変えるということが今の一番の楽しみです」

眉毛美容文化創出という目標を語った【写真:増田美咲】
眉毛美容文化創出という目標を語った【写真:増田美咲】

どん底を経験してからの“逆転人生”「今が1番幸せです」

 かつては全国でも数店舗しか存在しなかった眉毛サロン。現在では2万件に迫る数のサロンが誕生した。“ブロウアーティスト”という職業を日本に生み出したという自負もある。

「文化を作ることは本当に難しいと感じています。7年間やり続ける中で、競合もいっぱい出てきました。普段であればまねされることは嫌なのですが、これに関しては、まねされないと市場も広がっていかないと思うので、素直にうれしいです」

 6月には、初の著書『HBL式 美まゆ術』(プレジデント社)を刊行した。これまでは先のことばかりを見続けてきたが、改めて原点回帰し、眉毛についてを世の中に広めたいという思いが込められていた。

「今施術に来てくださる方は、流行に敏感な方や眉毛に悩みがある人というパターンに二極化していて、中間層が取れていない印象があるんです。この本では、分かりやすく眉毛の大切さを紹介しています」

 9月には40歳の誕生日を迎える。1度はタイミングを逸してしまったが、「結婚ももちろん諦めてはいないです」と笑う。一方で、ライフスタイルへの考え方にも変化が生まれた。

「もし、私に旦那や子どもがいたとしたら、会社もここまで大きくなってはいなかったと思います。自由に生きて、1度全てを失って、そこで吹っ切れたからこそ、ここまで走ってこれたと思っています。40歳は区切りとして、いい年だなとは思っていますが、今後もきっと変わらないと思います。みんなが手に入れているものを全部欲しいと思うこともありますが、それを手に入れたら、何かを失いそうで怖いんです。何かしらの犠牲を払っているからこそ、違う何かが手に入っているとも思うので、私はどちらかといえば、そんな人生を選びたいと思っています。全部を手に入れようと考えることはやめました」

 過去に婚約を結んだ相手とは、現在では話をできるような関係性になったとも明かす。「逆に今の方が仲が良いかもしれません。彼には『あの時うまくいかなくて本当にありがとう』と伝えています」と今では笑い話に変えている。「今が1番幸せです」――。一度はどん底を経験したからこそ、手に入れたものがある。福井は今、新たな文化創出のために走り続けている。

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