愛車は中古車市場も大注目の1台 フェラーリ、ポルシェ所有も…「唯一、日本車でいいなと」
ピカピカに磨き上げられたボディー。半世紀以上前に生まれたクルマとは思えない存在感だ。1972年式、日産フェアレディ240ZG。60代前半の男性オーナーは、少年時代に胸に刻んだ憧れを、経営者となった今、手に入れることができた。その道のりには、約30年間の“クルマ空白期”も……。名車にたどり着くまでの紆余曲折の愛車物語を聞いた。

【愛車拝見#365】直感でIT企業を立ち上げ
ピカピカに磨き上げられたボディー。半世紀以上前に生まれたクルマとは思えない存在感だ。1972年式、日産フェアレディ240ZG。60代前半の男性オーナーは、少年時代に胸に刻んだ憧れを、経営者となった今、手に入れることができた。その道のりには、約30年間の“クルマ空白期”も……。名車にたどり着くまでの紆余曲折の愛車物語を聞いた。(取材・文=吉原知也)
背伸びして購入した高級外車…大御所タレントが35年以上所有し続ける愛車(JAF Mate Onlineへ)
「我々の年代は、スーパーカーブームの頃で。外国車が多かったですけど、唯一、日本車でいいなと思って。よくありがちですけど、子どもの頃に憧れたんですよ」。それこそが、日本を代表するスポーツカーのフェアレディZだった。幼心に、その姿がしっかりと刻み込まれた。
若い頃に一度、夢をつかんだ。18、19歳の時にフェアレディZ-Lを購入。2台乗り継いだ。「やっぱりうれしかったですよ」。短い言葉の中に、当時の興奮がにじむ。
ただ、ライフステージの変化もあり、スポーツカーを自由に乗り回す生活が難しくなった。「結婚をして、仕事も忙しくなって余裕がなくなっちゃって」。泣く泣く手放すことになった。
ホンダ・プレリュードを乗り継ぎ、実家のセドリックにも乗っていた。人生は急展開を迎える。サラリーマン時代、IT系の営業職に就いていた男性は、「自分でも会社ができそう」という直感を胸に、SEを集めてシステムを受託開発するIT企業を立ち上げた。
「起業は大変で、やっぱりお金がかかって、借金しないとできなくて。自分の車を持つことはできませんでした」。立ち上げ期は文字通り、資金もなく、休みなしの日々。1日12時間以上働き、技術面以外の業務をすべて自分でこなした。車の用事はレンタカーで済ませるなど、「車を持たない時期は30年ぐらいありました」。
スポーツカーに乗りたいという情熱は胸にしまい込んでいた。「子どもの頃から好きだったから、フェラーリとかポルシェとかも欲しかったですよ。でも、『今、頑張んないといけない』と思って……。いつか買おうと」。その一心が、仕事への原動力になっていた。
あきらめかけていた夢の車を手に入れる日が、ようやく訪れた。フェアレディ240ZGは4年前、前オーナーが高齢になったことで手放すことを決断。中古車専門店を通して手に入れた。自身にとって3台目のフェアレディZだ。「当時は1000万円はしなかったですが、旧車ブームもあって今は高いですよね」。
これまで我慢していた“所有欲”が爆発するかのように、名モデルをそろえている。「ここ5、6年ですね。自分の欲しかったいろんな車を手に入れて維持するといった形です。フェラーリF355、空冷のポルシェ、ホンダS800、510ブルーバード、あとはモーガン、ケータハム、ロータスとか……」。その後のコレクションに圧倒される。
「まあ病気とかもあったので、人生いろいろ考えました。残してもね、しょうがないじゃないですか。自分で稼いだものは自分で使おうと」。人生観の大きな変化もあり、長年の夢を一気に形にしていった。
名車を買い集めるだけではなく、走る喜びもどんどん追求している。サーキット走行だ。「510とマーチをレース仕様に仕上げて、月2回ほど走ってます」。アクティブそのもので、ツーリングクラブの活動、それに魚釣りも大の趣味だ。
人生を振り返り、「頑張ってよかったなと思います。仕事は好きですが、本当に大変でしたから。でも自分はたまたま運がよかったと思っています。車って本当にいい趣味だと実感しています。こうやって人のつながりができるからです」としみじみ語る。
そして、もう一つの夢が膨らむ。「今考えていることがあって、自分のガレージを作りたいです。リフトを入れて、そこで車を整備したりチューニングしていじったり。車好きの仲間を呼べるカフェなんかも作って。そんなことをゆっくりやっていきたいですね」。クルマの喜びを誰かと分かち合う。そんな“遅咲きの夢”は、これからどんどん満開になっていくだろう。
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