昼はアパレルに携帯ショップ店員、夜は地方のクラブで…“遅咲きの歌姫”Ms.OOJAの下積み時代「時間がかかったからこそ良かった」
シンガー・ソングライターのMs.OOJAが、今年メジャーデビュー15周年を迎えた。デビュー直後から圧倒的な歌唱力が評価され、2012年にリリースした5thシングル『Be...』がドラマ主題歌に起用されると、配信100万ダウンロード達成など本格派シンガーとして名乗りを上げた。一方で「遅咲きの歌姫」とも呼ばれ、28歳でメジャーデビューするまでの約10年はアルバイトをしながらクラブで歌い続けてきた過去も。迷いもあったが、歌だけは諦めなかった。その芯の強さはどこから来るのか。音楽人生の軌跡に迫った。

Ms.OOJAがカバーアルバム『Ms.ENKA ~OOJAの演歌~』をリリース
シンガー・ソングライターのMs.OOJAが、今年メジャーデビュー15周年を迎えた。デビュー直後から圧倒的な歌唱力が評価され、2012年にリリースした5thシングル『Be…』がドラマ主題歌に起用されると、配信100万ダウンロード達成など本格派シンガーとして名乗りを上げた。一方で「遅咲きの歌姫」とも呼ばれ、28歳でメジャーデビューするまでの約10年はアルバイトをしながらクラブで歌い続けてきた過去も。迷いもあったが、歌だけは諦めなかった。その芯の強さはどこから来るのか。音楽人生の軌跡に迫った。(取材・文=福嶋剛)
Ms.OOJAは1982年、三重県四日市市に4人兄妹の長女として生まれた。下に弟、妹、弟がいるにぎやかな家庭で、幼い頃から男子に負けない活発な少女だった。中でも木登りなど、高い所には躊躇なく登る姿から「サル子ちゃん」というあだ名を付けられたこともあった。
「習い事はピアノ、そろばんなどいろいろとやりました。でも飽き性で全然続かないんです。小学生の頃は女子サッカーチームでゴールキーパーを務め、中学ではソフトテニス部の団体で地区優勝するくらいの成績は残しましたが、県大会に出るといつも1回戦負け。よく落ち込んで家に帰った思い出があります」
子どもの頃の楽しみは母親が運転する車の中で聴いたヒット曲だった。
「母が音楽好きで、物心つく前から車の中で当時の歌謡曲やJ-POPのヒット曲を聴かせてくれました。だから自然と体の中にヒット曲が刷り込まれていて、家ではテレビにかじりついて小泉今日子さん、工藤静香さん、荻野目洋子さんら、いろんな多くの歌手の歌マネをしながら歌番組を見ていました。私のカバーアルバム『流しのOOJA』シリーズ(2020年に第1弾リリース)は、この頃の原体験がルーツになっています」
部活を引退した中学3年生の時、カラオケで同級生たちに「歌うまいね」と言ってもらったことが気持ちを動かし、歌うことがますます好きになった。安室奈美恵、華原朋美、SPEED、TRF、MAXなど1990年代のヒット曲は何でもカラオケで歌って自分のものにしていった。
「どんどん歌にはまって、『THE夜もヒッパレ』(日本テレビ系)や『ASAYAN』(テレビ東京系)を見ながら私もいつかステージで歌ってみたいという憧れが芽生えました」
オーディションに応募する勇気はまだなかったが漠然と遠い夢に向かって高校生になると、毎日のようにカラオケに通い続けた。そんなある日、友人がストリートダンスを始めたことがきっかけで大きな転機が訪れた。
「最初は友人とヒップホップダンスを習ったんですけど、絶望的なくらいダンスが下手で(笑)。でもダンスを通じて知り合った人が私の歌を聴いてくれて、17歳の時にダンスイベントで歌う機会を与えてくれました。出演者含めて30人くらいの小さな会場でしたが、友人が衣装やヘアメイクをしてくれて、初めてステージに立った瞬間、『私はここで生きていく』って決めました。その光景は一生忘れません」
この出来事がきっかけとなり、人前で歌い始めた。最初はダンスイベントから始まり、高校を卒業すると地元でアルバイトをしながらライブハウスやクラブのステージに立った。
「最初は小さなステージでお客さんも全然いない中、最前列でいつも声援を送ってくれたのが友人たちでした。大切な仲間に恵まれて、ほかのイベントにも少しずつ呼ばれるようになり、22、3歳の頃、名古屋で歌うチャンスをいただきました。インディーズレーベルで初めて歌のレコーディングを体験して、ラッパーのフィーチャリングで歌わせていただきながら、名古屋のクラブシーンで歌手活動を始めました。平日は百貨店のアパレル販売員や携帯ショップなどで働きながら、週末は名古屋でライブをして、そのうち全国から声を掛けていただき、夜な夜な地方のクラブに行っては歌うという生活を送っていました」

焦り、葛藤も…偶然訪れた転機「たまたま私の歌を」
順風満帆とまではいかなかったが、与えられた環境の中で着実に結果を残していった。だが20代後半に差し掛かり、ライバルや仲間が次々と大きなチャンスを掴んでいくのを横目で見ながら「このままでいいのだろうか」と焦りや葛藤が生まれ、自問自答を繰り返しているうちに一つの答えが見つかったという。
「一緒にクラブで歌っていた子がデビューしたり、オーディション番組で華々しくデビューする子たちを見ながら『どうして私はデビューできないんだろう』って悩み始めました。でも、今までの私は『他力』だったことに気が付いたんです。『誰かが私をメジャーの世界まで連れて行ってくれる』って声がかかるのをただ待っていただけだったって。それで『このステージの一番は私が獲って見せる』と決意し、『自力』にマインドを変えました。そしたら歌に取り組む姿勢も気持ちもすごく楽になったんです」
すると思わぬところからチャンスが転がり込んできた。
「それからすぐのことでした。ある日、クラブのイベントで歌っていたら、レコード会社の方が見に来ていて声を掛けていただきました。実はその方は他の歌手が目当てだったのですが、たまたま私の歌を聴いたとおっしゃっていて、突然デビューの道が開きました」
2011年、念願だったメジャーデビューを果たし、1stシングル『It’s OK』はレコチョク・クラブうたデイリー1位を獲得。クラブ仕込みの圧倒的な歌唱力で注目を集め、翌12年には5thシングル『Be…』がTBS系ドラマ『恋愛ニート~忘れた恋のはじめ方』の主題歌に起用されると配信合計100万ダウンロードを記録し、直後の2ndアルバム『HEART』はオリコンアルバムデイリーチャート初登場1位に輝き、メジャーシーンに新たなディーバが誕生した。
一方、当時は28歳でのデビューということで「遅咲きの歌姫」と呼ばれたが、何より浮き沈みの激しいメジャーシーンで15年間生き続けていることがMs.OOJAの実力を証明している。だが、彼女は「いろんな意味で運が良かった。それだけのことです」と謙虚に受け止めている。
「遅咲きだったことは間違いないです。でも私にとって時間がかかったからこそ良かったんです。その10年の間に経験したこと全てが今につながっています。ただ、そこで15周年を迎えられるなんて想像していませんでした。本当に奇跡以外の何物でもないと思っています」
『Be…』は29歳の時に歌った曲だ。人生に“たられば”はないが、「この曲を10代後半や20代前半に歌っていたら、私は今ここにはいないと思っています」と振り返った。
「ちゃんとジタバタした時期があって良かったと思います。特に20代前半は自分の歌があまりにも若すぎて『誰にも響かないかも』『説得力がないかも』って、ずっと不安で、とにかく早く大人になりたいと思っていました。決して年齢にこだわる訳ではありませんが、やっぱり私にとって経験の数だけ歌に深みと説得力が生まれる、それがとても大切だと思っています」
最後に、もしメジャーデビューできなくても歌は続けていたかと聞くと「もちろん!」と即答した。
「当時も『メジャーデビューだけがゴールじゃない』と思って歌っていたので、きっと今でもクラブやいろんな場所で歌い続けていたと思います。つらいことも多かったですけど、歌を諦めようと思ったことは一度もありませんし、今でも歌っている時がどんなことよりも楽しくて幸せなんです。今年は人生初の演歌のカバーにも挑戦して、4月22日にアルバム『Ms.ENKA ~OOJAの演歌~』をリリースしました。10月には大阪城ホールでの15周年ライブを予定していて、40代を迎えてさらに歌が楽しくて仕方ありません」
□Ms.OOJA(ミス・オオジャ) シンガー・ソングライター。1982年10月28日、三重県四日市市生まれ。4人兄妹の長女。17歳から歌手を志し、名古屋のクラブシーンで約10年の下積みを経て2011年2月にメジャーデビュー。翌12年、ドラマ主題歌『Be…』が配信100万ダウンロードを突破し一躍注目を集める。以降、シンガー・ソングライターとしての活動と並行してカバー曲にも積極的に取り組み、『流しのOOJA ~VINTAGE SONG COVERS~』シリーズ(20年8月に第1弾リリース)が昭和歌謡・シティポップ愛好家から幅広く支持される。26年4月22日、演歌カバーアルバム『Ms.ENKA ~OOJAの演歌~』をリリース。6月7日には『Ms.OOJA 明治座公演2026』、10月18日『Ms.OOJA 15th Anniversary Live in 大阪城ホール』を開催予定。愛猫家。三重県観光大使・四日市市観光大使も務めている。
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