【プロレスこの一年 ♯14】猪木がゴッチを破り世界ヘビー級王座奪取 日本、国際、新日本、全日本の4団体時代だった72年

ジャイアント馬場(写真は1985年)【写真:平工 幸雄】
ジャイアント馬場(写真は1985年)【写真:平工 幸雄】

全日本では馬場とザ・デストロイヤーがタッグを結成

 全日本では12月21日の後楽園ホールで馬場とザ・デストロイヤーがタッグを結成した。19日の新潟ではデストロイヤーは馬場に敗れて宣言通りに日本陣営入り。「全日本の一員として全試合に出場したい」と希望し、翌年3月に所属選手となった、力道山との激闘で日本中を震撼させた大ヒールがベビーフェースに転向、全日本マットに定着しやがてはお茶の間の人気者となるのである。

 この年、日本マット界は日本、国際、新日本、全日本の4団体時代だった。国際プロレスではストロング小林が活躍。1月27日の横浜文化体育館でカーチス・イヤウケアを金網デスマッチで破り、IWA世界ヘビー級王座を防衛。5月にはモンスター・ロシモフを破り「第4回IWAワールド・シリーズ」初優勝を達成した。ロシモフとはのちのアンドレ・ザ・ジャイアントだ。

 この年、国際の事件と言えば11月27日に名古屋で発生した暴動騒ぎだろう。この日、小林&グレート草津組VSディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキー組のIWA世界タッグ王座戦が金網デスマッチでおこなわれ、挑戦者のブルーザー組が金網から抜け出し無効試合の裁定。この結果に観衆が暴徒化し大混乱となった。この事件は一般メディアでも取り上げられるニュースとなったのである。

 馬場と猪木を欠いた日プロでは、馬場の返上したインターナショナル王座の新王者が決定した。12月1日の横浜文化体育館で大木金太郎を破ったボボ・ブラジルがシングルのベルトを巻けば、翌日の蔵前では坂口&大木金太郎組がブラジル&ジン・キニスキー組を破り空位のタッグ王座を獲得。坂口はパートナーを代えての王座奪回である。しかし翌年、日プロは崩壊することとなる……。(文中敬称略)

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