神木隆之介、「ありのまま全力でぶつかる」25周年の俳優生活 芸能界に導いた母の存在
デビュー25周年を迎えた俳優の神木隆之介が、アニバーサリーブック「おもて神木/うら神木」を完成させた。染谷将太、中村隼人、志田未来、本郷奏多とのスペシャル対談を始め、豪華俳優陣ら30組が参加し、プライベートも明かしたボリュームたっぷりの内容。神木がこれまでを振り返り、今後の俳優像を語った。
【単独インタビュー前編】デビュー25周年・神木隆之介の“おもてとうら”
デビュー25周年を迎えた俳優の神木隆之介が、アニバーサリーブック「おもて神木/うら神木」を完成させた。染谷将太、中村隼人、志田未来、本郷奏多とのスペシャル対談を始め、豪華俳優陣ら30組が参加し、プライベートも明かしたボリュームたっぷりの内容。神木がこれまでを振り返り、今後の俳優像を語った。
――25周年は長かったですか? 短かったですか?
「大学に行くか、行かないかとか、役者一本で頑張っていくしかないのかと悩んでいた20歳の時は、なんとなく長いなとは思っていましたけれど、今振り返ってみると、短かったかなと思いますね。子どもの頃から素敵な先輩のお芝居を目の前で見させてもらい、いい作品、いい方たちに巡り合わせていただき、すごく濃密な時間を過ごさせていただき、毎回勉強させていただきましたから」
――駆け抜けた25年間でしたね。俳優さん、監督さんとのさまざまな出会いがあったと思うんですけども、一番感謝したい人は?
「ぱっと浮かんだのは三池崇史監督です。小学校高学年の時に、『妖怪大戦争』(2005年)に出させていただきました」
――1968年の同名大ヒット作のリメーク。角川大映の第1回製作作品。製作費13億円とも言われた大作でした。
「中学から高校にかけては、アイデンティティーが芽生えたり、徐々に縦の関係を意識させるような場所になっていますが、小学校はその一歩手前、まだ社会ではないと思うんですよ。そんな時に三池監督に、仕事としてビシバシ鍛えていただいたんです。途中、セットが燃えたりしまって、撮影が延びて、半年ぐらい撮っていたんですが、『その役を全力で生きろ』と言ってくれた。僕は役者の仕事を楽しいは思っていたんですけども、すごい仕事なんだということを意識させる種を植え付けられたんじゃないかと思っています」
――三池監督はどちらかというと、早撮りの人だけども、「妖怪大戦争」では粘った?
「三池監督はすぐにOKを出してくれなかったんです。僕は『インチキ子役』って、言われていました(笑)。『こいつは俺がOKを出すやつ(演技)を知っているんだよ。(だから、すぐには出さない)』って言うんですけども、『仕方なくOKしたよ』と言ってくれる。言葉は悪いけれども、ほめ言葉なんです。三池さんにとって、本物になったときに多分、OKを出してくれたんです。それがすごくありがたかったし、『なんだよ、お前』って文句も言いながら、『OK』と言ってくれたのがすごくうれしくて、成長できた。下手くそでも、ありのまま全力でぶつかる。それをすごく学べたので、すごく大きい作品だなと思います」
――芸能界に入ったきっかけはお母様でしたね。お母様にも感謝の思いは大きいですか?
「物心ついた時に現場にいましたが、母親は『別にいつでも辞めていいんだからね。自分の選択でやりなさい』と言ってくれました。でも、自分が『楽しいからやりたい』と言い続けて、『じゃあ、サポートしてあげる』と言ってくれた。その選択の仕方もすごくよかったし、いきなり、こんな楽しいと思えることを見つけてくれて、すごく感謝しています」