【プロレスこの一年 ♯10】高田VS天龍 神宮球場の夏、Uインター最後の夏 1996年のプロレス

ジュニア8冠を達成したザ・グレート・サスケ【写真:平工 幸雄】
ジュニア8冠を達成したザ・グレート・サスケ【写真:平工 幸雄】

ザ・グレート・サスケがジュニア8冠を達成

 96年は、純プロレスでジュニアヘビー級が大きく動いた一年でもあった。みちのく3・16大田区でダイナマイト・キッドが突如ゲストとして登場、初代タイガーマスクと13年ぶりの再会を果たしたのである。そのみちのくを率いるザ・グレート・サスケは新日本4・29東京ドームで獣神サンダー・ライガーを破りIWGPジュニアヘビー級王座を初戴冠。新日本6・17武道館では全8試合がジュニアのタイトルマッチという「ザ・スカイダイビングJ」が開催され、シングル王座統一の気運が高まった。すると8・5両国で本当に王座統一のトーナメントが実現。最後はサスケがウルティモ・ドラゴンを破り、ジュニア8冠を達成した。8冠はトーナメントにとどまらず、8本のベルトをまとめたタイトルマッチがおこなわれていく。WAR10・11大阪ではサスケからウルティモに王座が移動。さらに12・13両国でウルティモはレイ・ミステリオJrを破り8冠防衛を果たしてみせた。96年とは、ジュニアがメジャー、インディーの枠を飛び越え、世界にも羽ばたいた画期的な年として記憶されているのである。

 一方、ヘビー級で特筆すべきは全日本・小橋建太の三冠ヘビー級王座初戴冠である。小橋は、7・24武道館でこの年の「チャンピオンカーニバル」優勝者でもある田上明を破り、第16代三冠ヘビー級王者となった。三沢光晴、川田、田上に次ぐ四天王のなかではもっとも遅い戴冠だったものの、若き王者誕生により全日本はここから本格的四天王時代に突入することとなる。それは同時に、NOAHへとつづく小橋絶対王者時代に向けての夜明けでもあったのだ。ジャイアント馬場の王道プロレスはこの年もまた、一切のブレがなかったと言えるだろう。

 一方、大仁田厚引退後のFMWではハヤブサが新生FMWを牽引。みちのくの新崎人生とは団体を越えた盟友関係となり、みちのくが両国に初進出した10月10日「竹脇―these Days-」ではメインで一騎打ちをおこなった。脱・大仁田を推進してきたFMWだが、11月になると大仁田がミスター・ポーゴのラストマッチに協力したいと一日限定復帰を宣言。12・11駒沢のリングで宿敵ポーゴとのタッグ(8人タッグマッチ)を結成し、これが事実上の復帰戦となった(ポーゴも97年に復帰する)。工藤めぐみVSコンバット豊田で初めての電流爆破デスマッチが(5・5川崎)実現した女子プロレスでも96年には大きな動きがあった。4月にはお笑いの吉本興業がプロレスに進出し、東京ベルファーレにてJ`dを旗揚げ。5月18日には若手選手による第1回ジュニア・オールスター戦がおこなわれ、当時16歳のGAEA JAPAN里村明衣子がMVPを獲得した。8月11&12日には全日本女子プロレスが武道館2連戦を敢行。各団体のベテランと若手がタッグを組むトーナメント「ディスカバー・ニューヒロイン」が開催され、JWPのダイナマイト・関西&久住智子(日向あずみ)組がアジャ・コング&田村欣子組を破り優勝した。9月には全女を退団した北斗晶がGAEA入り。翌年、全女は大量離脱に見舞われることとなる。

 また、この年には日本初、世界でも珍しいプロレス格闘技専門チャンネル「FIGHTING TV SAMURAI!」が開局した。春には新日本、WAR、Uインターなど複数のプロレス団体が週刊プロレス誌に取材拒否を通告し混乱。この異常事態は8月までつづき、解除直後の新日本では長州力が「G1クライマックス」に史上初の全勝優勝。過去5大会で3度制覇している“G1男”蝶野を決勝で破り、見事な復権を果たしたのだった。(文中敬称略)

次のページへ (3/3) ハヤブサと新崎人生
1 2 3
あなたの“気になる”を教えてください