プロ野球選手、格闘家…何度も味わった挫折 劣等感バネにLDHグループのボーカルになった林 和希「根拠ない自信でも続ければ確信に」【インタビュー】
甘いマスクとセクシーな歌声のDOBERMAN INFINITY・KAZUKI(ボーカル)が昨年、本名の林 和希としてソロ活動をスタートさせた。2013年に大手芸能プロのLDHが主催した『VOCAL BATTLE AUDITION 4』でファイナリストとなり、翌14年、同グループでメジャーデビュー。10年目を迎えた今年は、今月21日にファーストシングル『東京』をリリースし、3月20日には東京・Zepp DiverCityで、初ワンマンライブ「林 和希 LIVE TOUR 2024 " I "」を開催する。クールな外見だが、何度も挫折をし、それをバネに立ち上がってきた熱い心の持ち主。そんな雑草魂の歩んできた32年を聞いた。
DOBERMAN INFINITYのKAZUKIが林 和希としてソロ活動
甘いマスクとセクシーな歌声のDOBERMAN INFINITY・KAZUKI(ボーカル)が昨年、本名の林 和希としてソロ活動をスタートさせた。2013年に大手芸能プロのLDHが主催した『VOCAL BATTLE AUDITION 4』でファイナリストとなり、翌14年、同グループでメジャーデビュー。10年目を迎えた今年は、今月21日にファーストシングル『東京』をリリースし、3月20日には東京・Zepp DiverCityで、初ワンマンライブ「林 和希 LIVE TOUR 2024 ” I “」を開催する。クールな外見だが、何度も挫折をし、それをバネに立ち上がってきた熱い心の持ち主。そんな雑草魂の歩んできた32年を聞いた。(取材・文=福嶋剛)
林はR&Bやソウルミュージックを愛する両親の間に生まれ、生活の一部として音楽が流れていた家で育った。幼い頃に夢中だったのは空手と野球。将来の夢は「プロ野球選手になること」だった。
「自分は岐阜のド田舎で育ち、田んぼのあぜ道を抜けて小学校に通うような少年でした。野球漬けの毎日でクラブチームではピッチャーをやっていましたが、中学1年の時に肩を壊してしまい、そのまま諦めてしまいました。人生最初の挫折でしたが、『このままじゃいけない』と思い、もう1度空手を習い始め、格闘技で有名になりたいと思いました。
野球で果たせなかった夢を格闘技にぶつけました。だけど、いくら練習を重ねても「上には上がいる」という現実を知り、2度目の挫折を味わった。
「格闘技はトップにならないとその道で生きていくのは難しい世界だと感じました。『じゃあ、他にトップになれるものは何だろう』と考えて、幼い頃から音楽が好きだった両親の影響もあり、『歌手になろう』と考えました。友達とよくカラオケに行くとみんなに褒められたので、『ワンチャンあるかも!』って、ついその気になっちゃったんです(笑)。それで地元の音楽専門学校に通い始めました」
音楽専門学校の入学早々、3度目の挫折を味わった。
「カラオケが上手いレベルの人たちは学校にはゴロゴロいました。クラス分けの試験で運良く一番上のクラスに入れはしたのですが、生徒のレベルが高すぎて『僕には無理かも』という圧倒的な敗北感を味わいました。ただ、それまでとは違って、劣等感はありましたけど、『一番情熱を注げるものは音楽しかない』という気持ちが勝り、辞めようとは思いませんでした。野球と同じくらい素直に『好きだ』と言えるものに出会えました」
気持ちだけは負けない。劣等感をバネに変え、猛練習の末、最後の学内のボーカルコンテストで1位を獲得した。
「『どう考えても勝てへんやろ』っていう上手い生徒ばかりだったので、『まさか』とは思いましたけど、『根拠のない自信でも続けていけば確信に変わる』っていうことを学びました」
18歳で上京後、専門学校を卒業し、LDHが運営するスクール・EXPG STUDIOの特待生として全国各地のイベントに出演した。プロになるチャンスをつかもうと必死に毎日を過ごした。
朝5時起床、建築現場で働いた後にレッスンを受けた下積み時代
「音楽的にはとても恵まれた環境でしたが、その反面、生活は苦しかったです。朝5時起床で夜まで建設現場で働き、疲れ切った状態で厳しいレッスンを受けるという毎日でした。オーディションもいろいろと受けました。自分にとっては一番のプロへの登竜門『VOCAL BATTLE AUDITION』も受けましたが、最初は2次審査で落ちてしまい、次の募集があるまで建設現場で働きながらチャンスを待っていました。ただ、その時も『次は絶対に受かる』という根拠のない自信があって、職場の人たちに『僕は絶対合格しますから』と言って耐えていました。でも、下積み時代は本当に大変で、あと1年遅かったら諦めていたかもしれません」
14年開催『VOCAL BATTLE AUDITION 4』の最終審査で、林はファイナリストに選ばれた。これがきっかけでKAZUKIの名義でDOBERMAN INCにボーカルとして加入。グループ名もDOBERMAN INFINITYに変わり、念願だったプロとしての第一歩を踏み出した。
「DOBERMAN INFINITYという名前になる1か月くらい前にDOBERMAN INC×SWAY×KAZUKIとして沖縄のイベントに出演しました。僕にとって初めてのライブだったんですが、ステージの立ち姿からパフォーマンスまで全然上手くできませんでした。経験豊かなメンバーの中に1人だけド素人が混じっているような恥ずかしい姿をお客さんにさらしてしまいました。自分に腹が立って落ち込みましたし、当時はクソ生意気な若造でした。納得できないことがあるとすぐにイラついちゃうし、社会人としても失格で、また挫折を味わいました。でも、そんな僕をメンバーは温かく受け入れてくれて、音楽だけじゃなくて人としても大切な話をしてくれて、グループの中で成長させてもらいました。メンバーには今でも心の底から感謝しています」
KAZUKIは、グループの中でボーカリストとしても大きく成長していった。初期の作品では、伸びのある爽やかな歌声が特徴だったが、作品を追うごとに深みや艶のある大人っぽい歌声に変わっていった。
「ドーベル(=DOBERMAN INFINITY)がスタートした頃は、みんなに付いていくだけで必死だったので、(歌について)深く考える余裕はありませんでした。ターニングポイントは2016年にリリースしたアルバム『TERMINAL』のツアーです。生バンドをバックに全国を回ることが決まり、自分もドーベルを引っ張っている1人として自覚を持たなくてはいけないと思い、みんなの前で積極的に意見を言うようになりました。アルバムには初めて作詞作曲をした『Sorry』という曲が収められていて、ドーベルに対する向き合い方みたいなものが変わりました」
そして、23年に林 和希としてソロ活動も始めた。
「自分にはドーベルと林 和希の2つの音楽性があって、以前から『本名の林和希としても歌っていきたい』という思いがありました。でも、コロナ禍とかいろいろあって、30歳を超えてからのソロデビューになりました。だけど、落ち着いて自分と向き合えるようになったこのタイミングだからこそ良かったと思っています。昨年リリースしたファーストアルバム『I』はギリギリまで悩んで作りましたが、31歳の等身大の自分を刻むことができました。発売からもうすぐ1年経ちますが、いまだに新たに聴いてくださった方からメッセージをいただけるのでうれしいです。これからも何年経っても色褪せないR&Bやソウルを歌い続けていきたいと思います」
アルバムを完成させたことで制作意欲にも火がつき、今月14日にファーストシングル『東京』をリリースした。18歳で住み始めた東京、活動の拠点として14年間過ごして東京には、さまざまな思いがある。
「18歳の頃は憧れを抱いていた東京だったのでときめいていました。あれから14年という歳月が流れて、今は当たり前の景色になってしまい、それは『ちょっと寂しいな』って思うところもあります。でも、そんな東京から地元の岐阜に思いを馳せてみると、当時の熱い思いが今でもよみがえってきます。そんな大人になった今の自分だからこそ描ける東京を曲にしました」
最後に歌い手としての「こだわり」を聞いた。
「自分の曲を聴いてくださるみなさんに心地良いものを届けていきたいですし、いつ聴いても色褪せない温かい景色が広がるようなものを書いていきたいと思います。そして、こんな僕をずっと応援し続けてくれた人、支えてくれた人、これからもみなさんに音楽で恩返しをしていきたいと思います」
□林 和希(はやし・かずき)1991年6月13日、岐阜県生まれ。2014年、『VOCAL BATTLE AUDITION 4』でファイナリストに選出され、5人組ヒップホップボーカルグループ・DOBERMAN INFINITYに加入。KAZUKIとして活動。23年、本名の林和希としてソロ活動を開始。5月、ファーストアルバム『I』リリース。今年2月21日、ファーストシングル『東京』リリース。血液型はO。