山田まりや、芸能界入りは「母と弟の生活守るため」 実父に母との離婚懇願「慰謝料はいらない」

グラビアのほか1997年には人気バラエティー『スーパージョッキー』のアシスタント、俳優としては99年に朝ドラや大河ドラマ出演と幅広い分野で活躍する山田まりや。近年はシングルマザーの雇用促進に向けた支援活動にも力を入れている。14歳でスカウトされ芸能界と接して30年。芸能人生を振り返ってもらうと芸能生活と支援活動に重大なつながりがあった。芸能人生スタート時の覚悟から今、放っているパワーの源や目指す生き方を聞いた。

山田まりや
山田まりや

6月1日から大阪・新歌舞伎座の舞台『だいこん役者』に出演

 グラビアのほか1997年には人気バラエティー『スーパージョッキー』のアシスタント、俳優としては99年に朝ドラや大河ドラマ出演と幅広い分野で活躍する山田まりや。近年はシングルマザーの雇用促進に向けた支援活動にも力を入れている。14歳でスカウトされ芸能界と接して30年。芸能人生を振り返ってもらうと芸能生活と支援活動に重大なつながりがあった。芸能人生スタート時の覚悟から今、放っているパワーの源や目指す生き方を聞いた。(取材・文=中野由喜)

「スカウトされた14歳の時、ちょうど父と家族の関係性が悪化していた時でした。父はお酒を飲むと暴れるタイプの人でした。10歳の時に弟が生まれ、初めて私より弱い存在ができて一気に母性が育った私には弟を守らなければという思いがありました。母は経済力がなく、離婚できずにいたタイミングでのスカウト。最初は断っていたのですが1年後に覚悟を決めました」

 芸能界入りは「母と弟の生活を守るため」だった。デビューにあたり家を出て新たな生活をスタートした。

「弟の幼稚園の卒園を待ち母と弟を呼び寄せ3人で暮らし始めました」

 芸能界に不安はなかったのか。

「16歳の頃の私は布1枚身につけたグラビア系の仕事は嫌でした。周りの同世代の男の子たちが色めき立っていましたし、私自身も思春期でしたから。でもテレビなど仕事の幅が広がるにつれて仕事が楽しくなりました」

 あらためて芸能界入りした当時の覚悟と思いを聞いた。

「自分の人生はどうなってもいいと思っていましたが、16歳で社会に出ていきなり家族3人で食べていけるスキルを身に付けるには本来とても難しいと思うので、自分に自信がなくてもグラビアのお仕事でスタートを切れたのはありがたかったです」

 テレビに出演し始めた頃は明るく陽気で元気な印象だった。

「一気にテレビのレギュラー4本、ラジオ3本、CMも決まりましたが何かレッスンを受け、オーディションに合格してということではなく、丸腰のまま生放送の番組にポンと出る状態。生き残るために必死でした。カンペに共演者に『ケンカを仕掛けて怒らせて』と無理難題が書いてあると、爪痕を残そうと指示に従いました。生き残るため一気に自分ではなくなりました。テレビで私を見た人はきつい性格と思ったようです。SNSがなかった時代なのでウザイ、死ねと手紙が送られたこともありました」

 芸能界で学んだことも聞いた。

「芸能活動をしているとSNSなど人の評価、反応を気にしがちですが、一番大事なのは目の前にいて、私を信じ、愛してくれるスタッフ、友だち、家族をとにかく信じ切ること。今の私が心健やかに仕事をしていられるのは目の前の身近な人たちとのコミュニケーションがきちんと取れて信頼関係があったからだと今、思います」

 2年前に女性の社会進出を目的として一般社団法人MwM Japan(ムゥムジャパン)という組織を立ち上げシングルマザーの雇用促進に向けた活動を始めた。大人の背中を見て育つ子どもたちが、たくさんの夢をもてる元気な社会づくりを目指し、親世代の社会人に対し講演・セミナーなどを行う「エンゲージリンク」プロジェクトを7月からスタート予定。

「私自身がシングルマザーに育てられたとはいえ経済的な部分は私が支えていました。デビュー間もなく父に慰謝料はいらないから母と離婚してくれと言ったのは私です。私は28歳まで給料制でしたが、その後、自分で会社を作るなど経営の勉強を始め、シングルマザーの雇用促進を考えるようになり、しわ寄せが全部子どもにいくことをあらためて感じました。子どもの人格形成が育まれる大事な時期に愛と勇気と栄養を存分に届けたい。その思いで取り組んでいます」

 昨年はテレビ朝日系『朝まで生テレビ!』で少子化問題をテーマに討論し熱い思いを吐露した。

「今は子どもたちが大人になることにワクワクして生活できる社会ではないと思います。親にも心の内を明かせず、遺書も残さず命を絶つ子どもが多いそうです」

 2人の大先輩の存在も大きかった。

「昔、森光子さんと赤木春恵さんとお仕事をした時、お二人から教科書に載っていない戦争のリアルな惨状を聞かせてもらいました。その時、今、生かされている私たちは後世の日本を元気にしてくれる子どもたちのために生きていくべきだと思いました」

 芸能活動をする上での覚悟も聞いた。

「なぜ私は芸能界にいるのかと思うことがあります。特別な才能があるわけでもないのに。ただ芸能人として人前に出る以上は太陽のような存在であらねばと思っています。たとえばSNSで自分の気持ちを示せる時代ですがファンの方を心配させることは載せていません。私自身が皆さんの安心材料でありたいと思っています」

 6月1日から大阪・新歌舞伎座の舞台『だいこん役者』に出演する。失敗続きでだいこん役者と呼ばれる川上恋次郎(前川清)と妻・唄子(藤山直美)が率いる旅の一座を主軸に描く人情喜劇。俳優の仕事は5年ぶり。

「前川さんも藤山さんも昔、共演して人間性に触れて以来、大ファンなんです。お客様に笑っていただける私のシーンも少なくても2つは欲しいですね(笑)。舞台は生もの、自分が楽しまないとお客様に伝わらないので満喫したいです」

 芸能活動も支援活動も相当なエネルギーが必要。取材時も笑顔を織り交ぜながら熱く思いを語り続けた。強いパワーを感じた。

「すごく想像力が豊かで夢みる力が強いんです。宝くじが当たったらどうしようとか夢みたいなことばかり考え、11歳の息子に近い気もします(笑)。それが自然に心に余裕をもたらしているのかも。私はテレビを見て楽しそうな人にひかれます。虫もそうですが人は明るい所に寄っていくと思います。私はいつも発光していたい。素の私も月と太陽なら確実に太陽です」

□山田まりや 1980年3月5日、愛知県生まれ。15歳の時に芸能事務所に所属し、グラビアアイドルとしてデビューし、96年に初代ミスヤングマガジンに。97年には『ウルトラマンダイナ』、99年に大河ドラマ『元禄繚乱』と朝ドラ『すずらん』に出演。他にバラエティーや舞台で活躍。2008年に結婚。12年に長男を出産。23歳の時にクローン病を疑われる病気をしたことをきっかけに食に関する多数の資格を取得。薬膳インストラクター、中国漢方ライフアドバイザー、子ども食育健康管理コーディネーター、スーパーフードマイスター、ビューティーフードスイーツプロ、食品安全管理者、ジュニアソイフードマイスターなど。

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