渋谷からもまた1つ消えた…百貨店は使命を終えたのか? 戦後史に見る衰退と生き残りの条件

小売業の中でも、百貨店の縮小は止まらない。地方でも首都圏でも、店舗の閉店が頻繁に報じられるが、かつては遊園地があり、映画館があり、家族で出かけるハレの場所でもあった。輝いていた百貨店の栄枯盛衰を丹念に記録したノンフィクション『百貨店の戦後史』(2月12日発売、国書刊行会)の著者とともに、百貨店の社会史をなぞる。

1月31日で閉店した渋谷の東急百貨店本店。建物は解体待ちの状態【写真:大宮高史】
1月31日で閉店した渋谷の東急百貨店本店。建物は解体待ちの状態【写真:大宮高史】

渋谷から東急百貨店が消えた2023年

 小売業の中でも、百貨店の縮小は止まらない。地方でも首都圏でも、店舗の閉店が頻繁に報じられるが、かつては遊園地があり、映画館があり、家族で出かけるハレの場所でもあった。輝いていた百貨店の栄枯盛衰を丹念に記録したノンフィクション『百貨店の戦後史』(2月12日発売、国書刊行会)の著者とともに、百貨店の社会史をなぞる。(取材・文=大宮高史)

 2023年1月31日、東京・渋谷の東急百貨店本店が閉店。跡地は高層複合ビルとして再開発される。すでに渋谷駅の東急東横店も駅の再開発のため閉店しており、渋谷から東急のデパートが姿を消した。

 渋谷の街の伸長に東急の存在は不可欠であった。渋谷最古のデパートの東横店は1934年に創業、51年からのわずか2年間ではあったが屋上には山手線をまたぐロープウェーを開業させ、当時の写真は今もインパクト抜群だ。

 67年に開業した東急本店は、翌年に開業した西武渋谷店と共に東急グループ・セゾングループを巻き込んで競合し、渋谷のカルチャーをリードする。89年に隣接地に開業したBunkamuraは渋谷を単なる繁華街ではなく都内有数の芸術文化の発信地に押し上げた。2つの東急百貨店は、街にとってデパートが大きな小売店以上のランドマークだったことを示している。

 ノンフィクションライターの夫馬信一さんが著した『百貨店の戦後史』は、これら今はなき全国各地のデパートの盛衰を、実際に働いていた元従業員の証言と街の歴史と共に収録した。東急東横店を皮切りに丸正百貨店(和歌山市)・松菱本店(浜松市)・棒二森屋(函館市)・岡政(長崎市)・五番舘(札幌市)などの地方の老舗が、戦前の勃興期から戦後の高度経済成長期を経て、停滞の時代にあらがうも閉店に至るまでの歴史を丹念にまとめ上げた。

 とりわけ戦後復興期から60年代頃までは、まさしく黄金期であった。多くのデパートには映画館・大食堂・屋上遊園地を備え、地方に最先端の文化を届けていた。

 街で初めてエスカレーターを備えた建物がデパートで、開店時にはエスカレーター目当てに市民が殺到する珍事が起きた店もある。「まず終戦直後には地方の都市に高層の建物はデパート以外にありませんから、それだけで目立ちます。ひとつの大きな娯楽センターとして機能していて、地域経済の要でした」

 地方都市でも複数のデパートが並立し、老舗と新興がこぞって増築しサービスを競う。『百貨店の戦後史』でもそのような全盛期のにぎわいはうかがい知れる。

地方の百貨店が追い込まれるパターンがある?

 ところが、70年代頃から小売業の不可逆的な変化で退潮が始まる。大型スーパー・ショッピングセンター・専門店の台頭、車社会化による都市の重心の変化で、デパートに人が来なくなっていった。70年代以降の地方百貨店の生き残り策は驚くほど似ていて、『ファッションジャンルの強化・大都市の大手資本との業務提携→屋号改称・専門店色の強化』が各地でなされた。「苦境に陥った時、シブヤ的な東京のトレンドを取り入れて存続を図ろうとした例は多いです」

 しかしこれも「百貨店が『五十貨店』のようになってしまったんです。当時の経営陣なりのリスクを取った判断だったといえますが、地方のデパートが画一的なファッションビル化していく現象が起きました。結果的には一時的な延命でしかなく、そこにバブル崩壊や店舗の老朽化が『時限爆弾』になって、閉店が避けられなくなるジリ貧化が各地で起きていました」(夫馬さん)という結末になった。

 例えば札幌・秋田・福井・高知・甲府・豊橋では地元資本と西武百貨店が提携あるいは合併した「西武」ブランドの店舗が登場。地方の老舗がセゾングループのノウハウとネームバリューで生き残りを図ったのだが、現存しているのは秋田と福井のみ。五番舘(札幌西武)と土電会館(とでん西武/高知市)が西武との提携で屋号を手放しながら、閉店に至るまでの記録も『百貨店の戦後史』に収録されている。

 地方のみならず大都市圏でも閉店・撤退が止まらない百貨店業界。いったいどんな条件があれば生き残れるのか。「業界の外からは何とでも言えますが」と前置きしながらも夫馬さんは「首都圏で『伊勢丹=ハイブランド』のイメージが定着している新宿伊勢丹のように堅固なブランド作りができていれば。地方では(中核)1都市に1店舗が残るくらいまで再編が進むのではないでしょうか」と見通す。すでに福島市(2020年8月閉店の中合福島店が最後)・山形市(同1月閉店の大沼本店が最後)と、デパートがなくなった県庁所在地も現れ、百貨店の再編・縮小がどこまで行きつくかも不透明である。

「昭和の昔は輝いて見えたデパートが、ライバルの台頭で相対的にアドバンテージが失われていった。それは日本人も相対的に豊かになったことでもありますが、地方の百貨店がたどってきた衰退の歴史は東京でも起こりうることで、それを再開発で飾っているだけなのではないか――産業が変わり、社会が変わっていくことを直視する必要があるかもしれません」

 戦後の消費文化を支えた百貨店。安易に「使命を終えた」と断言したくはないが、小売業の王様であった昭和時代に比べ、現在の業態のまま生き残る楽観的な将来は見通せていない。

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