廃車同然セドリックがレストアで“まるで新車”に仰天復活 総額300万円は「全然安い」

愛車を正規ディーラーがレストアしてくれたら…。そんな理想を現実にしたオーナーがいる。大阪府の片野茂郎さんはこのほど、学生時代から乗り続けて来た1999年式日産セドリックバンY30を日産ディーラーの手により新車同然に復活させた。いったい、どうやって? 本人を直撃した。

大阪の自宅から積載車で東京に運ばれたボロボロのセドリック。1年後にピカピカに【写真:本人提供】
大阪の自宅から積載車で東京に運ばれたボロボロのセドリック。1年後にピカピカに【写真:本人提供】

「シーマのことは知っていました。それで僕も日産のディーラーでやってほしいなと…」

 愛車を正規ディーラーがレストアしてくれたら…。そんな理想を現実にしたオーナーがいる。大阪府の片野茂郎さんはこのほど、学生時代から乗り続けて来た1999年式日産セドリックバンY30を日産ディーラーの手により新車同然に復活させた。いったい、どうやって? 本人を直撃した。(取材・文=水沼一夫)

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 片野さんとセドリックの出会いは約20年前の大学時代にさかのぼる。

「大学のときに先輩が乗られていて、卒業するときに40万円で購入させてもらったんですよ」

 水泳部に所属し、1つ上の憧れの先輩だった。通学でもプライベートでも運転し、助手席に乗せてもらっていた。「サーフィン一緒にせえへんかとか教えてくれたり、クラブ以外ですごくかわいがってくれていました。卒業後は学校の先生になったんですけど、ほんまに尊敬できる先輩でしたね」

 20歳で免許を取って初めて乗った車は家族のミニクーパーだった。そこからタイプの異なるセドリック。なぜ引き込まれたのだろうか。

 先輩と乗っているときから、「現行の車とは雰囲気が違う」と感じていた片野さんは実際にハンドルを握り、驚いたという。「バンなんですけど、普通に乗り心地がすごくいいですね。車体が重いんですけど、その重さを“動かしてる感”が伝わってくる車で、それがなんかすごく気持ちいいんです。アクセル踏んだときにグーッと重たいのが進んでいく」。憧れの先輩が所有していたという特別感に加え、経験したことのない操作性や質感にすっかり魅了された。

 それでも家庭の事情で愛車を2回手放した。1回目は地元の先輩に売り、2回目は弟にセドリックを引き渡した。

 しかし、いずれも条件をつけていた。

「もし新しい車を買うときには僕に売り戻してください」

 先輩に売った後も、車検は片野さんが通していた。近所で、駐車場の場所も把握し、いつでも見に行ける状態だった。弟はかつて同じセドリックに乗っており、信頼があった。

「やっぱり愛着というか車を手放したくなかったんです。絶対に。だから信用できる人に売ったというのはあります。ちゃんと維持してくれるし、『車を買ったら返してください』と言ったら普通に返してくれる。自分が気に入ってるもんやから、という気持ちが強かったですね。どこにも渡したくないっていう。ちょっと欲張りなんですけど(笑)」

 愛車を再び迎える準備は常にしていた。片野さんは自宅を建てる際、車が2台入るガレージハウスを建設した。「やっぱり絶対いつかもう1回乗りたいという気持ちがあったので、家を買うときも屋根付きのガレージハウスを設計して、そこにずっと保管していたんですね」。ファミリーカーとして足車にしていたハイエースの横で、セドリックのガソリンを抜き、登録を抹消した。

 カバーをかけたまま運転することなく、9年の歳月が流れた。そして子どもが成長。片野さんに「またセドリックに乗りたいな」との思いがどんどん強くなった。

 室内で保管していたとはいえ、廃車同然の状態。再び公道を走るには、車検を通す以前に、セドリックをよみがえらせる必要があった。片野さんは当時、女優・伊藤かずえのシーマのフルレストアが話題になっていたことから、「日産のディーラーでやってもらえるんやったら一番安心やな」と思い立った。

 大阪の日産ディーラーに断られ、途方に暮れていたところ、偶然、SNSに同じセドリックを発見した。投稿主は千葉・松戸市で特殊なコーティングを扱う「ジープカフェ東京」の和田裕之さんだった。

「シーマのことは知っていました。それで僕も日産のディーラーでやってほしいなというのは正直あって、大阪の日産に電話したんです。何か所か電話で聞いたんですけど、『いやウチは…』と言われて断られたんですね。『それはやっぱ芸能人やもんな。一般の人はやってくれへんよな』と思って、和田さんと電話で話したら、『できますよ』と言ってくれたので、『エッ』と思って。そのときはむちゃうれしかったですね」

 詳しい話を聞くと、夢が現実になる実感がこみ上げた。

「『また新車の状態に、きれいな状態になります』と和田さんから言われて、それやったら僕はすごい価値あるなと思いました。今の令和の時代にこういう古い車を新車の状態で乗れるということはすごく価値がある。嫁に相談したら、『もうやりや』とゴーサインを出してくれたので、それでお願いしますということになりました」

オーナーの片野茂郎さん(左)と和田裕之さん【写真:本人提供】
オーナーの片野茂郎さん(左)と和田裕之さん【写真:本人提供】

レストア完成!エンジンをかけると…「新車みたいになったというのはすごく大きいです」

 片野さんは日産ディーラーの手で愛車をレストアすることを決めた。そして和田さんが積載車で自宅にセドリックを取りに来てから1年後の今年2月、車はついに完成した。

 納車の日、アクセルを踏み込むと、高揚感が全身を駆け巡った。

「出だしが昔乗ってたときと違うというのは僕にも分かりました。『あ、やっぱちゃうな』と思いましたね(笑)」。エンジン、オートマチックトランスミッション、足回り…。部品をバラバラにして洗浄。交換が必要なパーツは取り寄せ、オーバーホールを実施した。「いやもう、ほんまに外装も全てやってもらったので、見た感じは新車ですね。こんなことはないな、と思うんです。他にもいろんなレストアをされている方がいっぱいいるから僕も偉そうには言えないんですけど、僕の中で思い入れのある車をまた復活させてもらって、新車みたいになったというのはすごく大きいです」

 かかった費用は総額300万円だった。

「高いとは思わなかったですね。和田さんに口を利いてもらって日産にやってもらい、1年間ワクワクさせてもらった。それコミコミで300万だったら十分安い。あの時代の車を新車で300万で乗れるんやったら全然安いって僕は思いました」

 大阪に戻り、大学時代の先輩に写真を送って報告した。すると、『「俺の売った車やから分かるよな』って言われました。圧をかけてきました」と、うやらましがられた。「いや、もう僕のですって言いました。僕が買って、僕がレストアしたので、僕のですって」

 もう車を手放すつもりはない。

「子どもも『セドリックに乗りたい』と言うので、この車をずっと乗ってほしいですね。ガソリン車がいつまで乗れるか今分からない状態ですけど、あとは子どもに託して免許取るときになったらすぐ取らしてあげて、子どもがずっと大事に乗っていってくれたらそれが一番幸せかなと思います」と片野さんは結んだ。

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