「車の下敷きで死んでもいい」闘病中の71歳男性、愛車へのすさまじい情熱 主治医も絶句

東京都日野市出身の生沼吉祝(よしのり)さんの愛車は、1965年式日野コンテッサ1300クーペだ。日野といえば、トラックやバスの大型車が有名だが、乗用車も生産していた。かつて日野のダンプを運転していた生沼さんは、執念で憧れの貴重車をゲット。今年に入って大病が発覚し、闘病生活を送っているが、医者に「車の下敷きになって死んでもいい」と告げるなど、愛車へのすさまじい情熱を燃やしている。

1965年式日野コンテッサ1300クーペ【写真:ENCOUNT編集部】
1965年式日野コンテッサ1300クーペ【写真:ENCOUNT編集部】

「日野の車に乗らないとバチ当たると思ってね」

 東京都日野市出身の生沼吉祝(よしのり)さんの愛車は、1965年式日野コンテッサ1300クーペだ。日野といえば、トラックやバスの大型車が有名だが、乗用車も生産していた。かつて日野のダンプを運転していた生沼さんは、執念で憧れの貴重車をゲット。今年に入って大病が発覚し、闘病生活を送っているが、医者に「車の下敷きになって死んでもいい」と告げるなど、愛車へのすさまじい情熱を燃やしている。(取材・文=水沼一夫)

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 生沼さんが、愛車を手に入れたのは15年ほど前になる。

「俺は日野生まれ、日野育ち。昔から憧れていて欲しい車だったの。免許取ったときには生産中止になっていたから、探して探してね」

 地元を代表する企業と、生まれながらにしてあった不思議な縁。仕事も20年ほど日野のダンプを運転しており、乗用車を生産していたことは知っていた。どうしても手に入れたい車だった。「クーペを見たら、こんな格好いい車あったのかって」。第一印象で受けた衝撃は今でも忘れられない。

 コンテッサ900やフェアレディZ、ジムニーなどに乗りながら、愛車との出会いを待った。探そうと思っても、なかなか探せる車ではなかった。それでも、諦めずに追い続けた。

「日野に生まれて日野の車に乗らないとバチ当たると思ってね。トヨタの車も乗ったよ。いろんな車浮気したよ。なかったから買えないんだよ。本にも載ってないし」

 最終的にはコンテッサのオーナーズクラブに入り、別のオーナーから譲ってもらう形となった。価格は65万円ほどだった。

「たまたまこれは日野自動車から直に出た車なんですよ。正門からね。営業所を通さないでね。それが耳に入っていて、いやこれいいなと思って乗っているんですよ」

 状態は必ずしも良好ではなく、レストアに100万円以上つぎこんだ。現在は300万円ほどに高騰しているという。

 愛すべきポイントはたくさんある。「RR(リアエンジン・リアドライブ)だからコーナーがいいよね。ハンドルが軽い」と、快適な走行が一番のお気に入りだ。

 そして「スタイルがいいよね。横のラインがいい。流れがね」と続ける。デザインは、イタリア人カーデザイナーのジョヴァンニ・ミケロッティが手がけたことで知られる。「スカイラインもそうだよね」。流麗なボディーは50年以上の前の車とは思えない。

 現存台数は、オーナーズクラブだけで「20~30台」と概算しているが、車検を取っている車は20台程度という。部品も少なく、「クラブに入らなきゃ乗れないよ。部品が手に入らないもん」。全国のオーナーの英知を結集して“昭和の名車”を維持している状態だ。

 そんな生沼さんは現在、大病を患い、闘病中だ。

 日野が生産したルノー4CVも保有していたが、今年6月、病気と告げられ売却した。残された1台がクーペだった。

 71歳で、死ぬまで乗る1台と決めているという。「俺、車の下敷きになって死んでもいいって言ったんだよ。医者にね。車の中で死にたい。コンテッサの中で死にたいって。この車好きだからね。びっくりしていたね。エッって。そんなに車好きなんですか? って」。

日野の乗用車は合計3台所有した【写真:ENCOUNT編集部】
日野の乗用車は合計3台所有した【写真:ENCOUNT編集部】

突然の病魔と闘病 「車は部品を交換できるけど…」

 コンテッサを自ら運転して通院している。これだけは手放せなかった。

「こんな病気にならないと思ったからね。まあいいやって。人生、乗りたいものに乗れたし。日野自動車だけは長く乗っていたね」

 体調を見ながら、クラシックカーのイベントにも参加し、希少な日野の乗用車の魅力を伝えている。「みんなと死ぬまで楽しんで、家でゴロゴロしててもしょうがないからね。旧車が好きだから」。

 工業科出身で、部品があれば、車の整備は自分でできる。「修理も自分でやるんですよ。車検も自分で取ってね」と愛情を注ぎこんできた。

「車は部品を交換できるけど、人間はそうはいかねえのか? どうにかなんないのかいって言ったけど、先生はうーんって黙っている」

 コンテッサにとっての“主治医”は生沼さんだ。諦めるわけにはいかないとの思いがある。

 15年間の中で、愛車との思い出は数多い。

「いろいろ思い出ありますよ。北海道も行ったしね。この古い車が、よく走ってくれた」

 不測の事態に備え、部品やバッテリーまで全部積み込んでの旅だった。「普通の車じゃ行かないもんね。面白くないから」。愛車のハンドルを握って、札幌や釧路を回る格別の時間だった。無事に完走し、「故障しなくてよかった」。懐かしそうに振り返った。

 日野の誇りを胸に、闘い続ける。「日野生まれの日野育ちだから」と生沼さんは繰り返した。

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