ジャック・ホワイトも来店 世界から愛されるロックバー「レッドシューズ」の魅力とは?

日本でもっとも知られたカフェバー「レッドシューズ」の創業40周年を記念した書籍「レッドシューズ40 ~ ロックの迎賓館の40年」が発売された。著者は2代目オーナーの門野久志氏。伝説の初代オーナーのスピリットを受け継いで20年。国内外のビッグアーティストたちとの交流や「レッドシューズ」だからこそ実現したセッションなど夢のような記録がつづられている。そんなロックの生き証人である門野氏の人物像に迫った。

「レッドシューズ」2代目オーナーの門野久志さん【写真:ENCOUNT編集部】
「レッドシューズ」2代目オーナーの門野久志さん【写真:ENCOUNT編集部】

「レッドシューズ」2代目オーナーがロックの裏歴史を一冊にまとめた

 日本でもっとも知られたカフェバー「レッドシューズ」の創業40周年を記念した書籍「レッドシューズ40 ~ ロックの迎賓館の40年」が発売された。著者は2代目オーナーの門野久志氏。伝説の初代オーナーのスピリットを受け継いで20年。国内外のビッグアーティストたちとの交流や「レッドシューズ」だからこそ実現したセッションなど夢のような記録がつづられている。そんなロックの生き証人である門野氏の人物像に迫った。(取材・文=福嶋剛)

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 古くからの知人に勧められコロナ禍で空いた時間を利用して「レッドシューズ」の記録を書き始めた門野氏。尾崎豊やhide、内田裕也、忌野清志郎、海外からは元オアシスのリアム・ギャラガーやジャック・ホワイトなど、これまで明かされることのなかったアーティストたちとの交友録がまるで当時の日記を読んでいるかのように細かく記されている。その鮮明な記憶に誰もが驚いた。

「僕はレッドシューズと出会い、レッドシューズとともに生きた人生なので自分の生き様がそこにあるから記憶も鮮明なんですよ」

 時代とともに1度は消えた「レッドシューズ」。しかし2002年、先代オーナーの意志を受け継いだ門野氏が創業の地に近い南青山にふたたび店を構えて今年で20年となる。

「日本もアメリカもバーの文化っていうのは使い捨て文化というか数年でつぶれていくようなお店が多いんです。長くやってもだいたい15年。レッドシューズも長くやっているように思われるんだけれど最初の西麻布の店は15年も持たなかった。じゃあなぜ今は20年も続けられているのかというと『レッドシューズ』だからです。さびついた刀を研いでもう1度切れるようにしたのは自分かもしれないけれど、やっぱり先代の『レッドシューズ』の歴史があったからこそここまで来ることができたと思っています」

 初代オーナー松山勲氏がまだ閑散としていた西麻布に「レッドシューズ」をオープンさせたのが1981年12月5日。時代の最先端を行くアーティストやクリエーターたちの社交場としてうわさが広まり、来日したザ・ローリング・ストーンズやデヴィッド・ボウイなど海外の有名アーティストにまでその評判は広がっていった。グラミーアーティストのシャーデーがまだ無名だった時代に松山氏が自費で日本に招へいしたと言われており、まさに知る人ぞ知るレジェンドであった。

 一方、地元福井県の高校を卒業して関西の電力会社に務めていた門野氏だったが大好きなロックが流れる場所で仕事がしたいと20代半ばだった89年に上京。たまたま目に留まったライブハウス「インクスティック芝浦ファクトリー」のスタッフ募集を見て面接を受けた。

「インクスティックは憧れのシーナ&ロケッツがライブをやっていたので軽い気持ちで受けてみたんです。自分ができるところならどこでもいいと思って面接に行ったら年末でライブハウスが閉店してしまうため『レッドシューズ』を紹介されたんですけれど、そんなにすごい店だとは入るまではまったく知らなかった。でも衝撃だったのは今まで見たことがないジュークボックスがお店に置いてあって、そこから流れてきた大好きなザ・ローリング・ストーンズの音楽とか、働いている人もおしゃれだし、すべてが格好良かったんです。こんなお店が東京にあったんだって」

 今でこそコンプライアンスという言葉が存在するが当時は厳しい縦社会、その中でも「レッドシューズ」は特に厳しい世界だったという。

「水商売はドロップアウトした人が集まっていて上下関係は厳しかったですよ。そもそも先代が親分みたいな怖い人で酔っぱらったらナイフが飛んできましたから(笑)。でも仕事がおもしろかったんです。憧れのミュージシャンや面白い人たちと仲良くなれましたし、店長になってからは自分のやりたい企画ができるようになって『レッドシューズ』10周年パーティーを企画してお店の中でライブをやりました」

 入った頃は休みの日に店内で酔っ払ってカウンターで朝まで寝てしまい、店長にこっぴどく叱られることもあった門野氏だったが入社からわずか1年半で店長まで上り詰めた。

「たしかに僕なんかがなぜ1年半で店長になれたんでしょうね? 発電所で働いていたからトイレのタンクやエアコンの修理なんかは自分でできたんですよ。あとQC(品質管理)なんかを店でやってコスト削減を実現させたり、『面白いなこいつ』って思ってくれたんじゃないですか。でも当時はバブルがはじけて結構売り上げが下がっていたので店長になってからは喜ぶ暇もないくらい、どうやってお客を集めようかって毎日プレッシャーと戦っていましたね」

 時代はクラブへと移り変わり、周りの店も様変わりしていく。そんなときに先代から店の業態をバーからクラブに変えるという話が飛び出した。

「お客さんがどんどんクラブに流れていったんです。先代が可愛がっていたスタッフも店を辞めて有名なクラブのプロデュースを始めてしまい。たぶんそれが悔しかったのかもしれませんね。それで『レッドシューズ』を閉めてクラブにリニューアルしたんですけど自分はそれには絶対反対だったので店を辞めたんです」

 それからしばらく休養を取り、友人たちのライブに顔を出す毎日を送っていた。

「ライブの打ち上げに行くと『遊ぶところがないから早く店を出してくれ』ってみんなに言われたんです。そういうふうに言われているうちが花だよなと思って知り合いの不動産屋にふらっと立ち寄ったらちょうど西麻布の交差点のすぐ近くに隠れ家っぽいお店が見つかったんです」

「レッドシューズ」のDNAを引き継いだロックが流れるカフェバー「ラリー」をオープンさせると門野氏の友人だったhideやLUNA SEAのJ、中村獅童など豪華なセレブたちが頻繁に顔を出すなど一気に盛り上がり、2店舗目の「ロカ」をオープンさせた。

「料理はカレーとかタコスを出すお店だったんですけど六本木通り沿いでランチもやったりして、奥田民生くんや仲間たちがよく遊びにきてくれたんです」

「レッドシューズ」初代オーナーから受け継がれている風神と雷神【写真:ENCOUNT編集部】
「レッドシューズ」初代オーナーから受け継がれている風神と雷神【写真:ENCOUNT編集部】

「レッドシューズ」という文化をもう一度復活させたい

 経営は好調でいよいよ3軒目となったときにニューヨークでレコーディングをしていた奥田民生の事務所のボスから声を掛けてもらい現地の店を視察に出かけた。

「NYのバーは内装から小物までいろいろおもしろそうだなって勉強になりましたね。スタッフもすごくフレンドリーでホスピタリティーがしっかりしている店も多くて。でもお酒はうちの方が全然うまいって思いました(笑)」

 そのタイミングで常連だった門野の盟友のJから「レッドシューズをやればいいじゃない」と提案されたという。

「2店舗とも音の問題でライブができなくて3軒目はDJやセッションができる場所を作りたいと思っていました。そんなときにガンで闘病中だった先代から『レッドシューズ』の看板ともいうべき風神と雷神の大きな画を買ってほしいと頼まれました。闘病生活で経済的に大変だったことはすぐに想像できました。それで思い切って画を譲り受けたということでもう1度『レッドシューズ』をやりたいって話したんです。そしたら『いいんじゃないか』って。2002年にオープンしましたが、先代は店を見る前に亡くなりました」

 先代が作った「レッドシューズ」という文化をもう一度復活させたい。そう思った理由について明かしてくれた。

「僕は『レッドシューズ』ってカッコ良さを学べる店だと思っているんです。僕も東京に出てきて『レッドシューズ』から大人のカッコ良さを学んで、いろんな人たちと出会っていろんな経験をさせてもらった。だからこれからも次の世代のお客さんやミュージシャンがカッコ良さを学べる店で在りたいし、そういう文化を残していきたいんです」

 今はロックが主流ではなくなってきている。しかし決して悲観するものではないと語った。

「ロックはもう出尽くしたとか言う人もいるんだけど、音楽なんてどんどん形を変えて進んでいくものですし、今の若い人たちがやっているロックだってカッコいいものは変わらずカッコいい。今年フジロックにジャック・ホワイトが出たけどすごく盛り上がっていたじゃないですか。『レッドシューズ』にも遊びに来てくれたジャック・ホワイトが、今も若い人たちのハートを射止めているのを見ると世代関係なくロックっていいよなって思いますよね」

 そんな門野氏も気が付けば先代の年齢を超えていた。

「先代は56歳で亡くなって、僕は今58ですから。でもあんまり年を取ったっていう実感はないんですよ。今息子が『レッドシューズ』で働いているんだけど、当時僕が入ってきた年齢に近いんですよ。そう考えると感慨深いものがありますよね」

 親子ほど離れた若い従業員に先代から言われてきたことを伝えているという。

「お客さんと従業員の間には必ず一線あって、絶対にそれは無くしちゃいけないんだけど、あんまり距離を取りすぎてもダメだって昔よく言ってましたね。仲良くなることもすごく大事だって。まあでも、年取ってくると感覚が鈍るので、どんなものが流行っているのか若い人たちと話しながら良いものは取り入れていくべきだなって思っています」

□門野久志(かどの・ひさし)1964年福井県出身。生誕40年を迎えた“ロックの迎賓館”レッドシューズの2代目オーナー。RSJP代表取締役。西麻布にロックスナック「ラリー」を営む。22年10月著書「レッドシューズ40 ~ ロックの迎賓館の40年」(ぴあ)を出版。

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