ドリフメンバー、仲本工事さんを追悼 高木ブー「雷様が僕一人に」加藤茶「頭が真っ白に」

今月19日に81歳で亡くなったザ・ドリフターズの仲本工事さん(本名・仲本興喜=なかもと・こうき)の所属事務所イザワオフィスが24日、公式サイトでザ・ドリフターズのメンバー加藤茶(79)と高木ブー(89)の追悼コメントを発表した。

81歳で亡くなったザ・ドリフターズの仲本工事さん【写真:ENCOUNT編集部】
81歳で亡くなったザ・ドリフターズの仲本工事さん【写真:ENCOUNT編集部】

所属事務所がコメント発表

 今月19日に81歳で亡くなったザ・ドリフターズの仲本工事さん(本名・仲本興喜=なかもと・こうき)の所属事務所イザワオフィスが24日、公式サイトでザ・ドリフターズのメンバー加藤茶(79)と高木ブー(89)の追悼コメントを発表した。

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○加藤茶
「仲本が事故に遭ったと聞いたとき、頭が真っ白になりました。本来であれば、今頃は一緒に仕事をしていたのに…突然で早すぎる別れに、ただただ驚いています。音楽もコントも、まだまだ一緒にやりたいことが沢山あっただけに残念です」

○高木ブー
「無念です。事故に遭う5日前に一緒の仕事で、控室で沢山話をしました。仲本に初孫が生まれ、孫がとても可愛くて、お互いに孫自慢をしたばかりでした。いつかは孫と一緒に暮らしたいと話していました。その時の仲本の笑顔が今も焼き付いてます。仲本が学生時代からの、もう60年を超える付き合いです。家族よりも長い時間です。本当に悲しくて、悔しい。雷様が僕一人になってしまいました。まだ一緒にコントも音楽もやりたかった。あちらには長さん、荒井さん、志村そして仲本が今1番逢いたいと言ってたお母さんもいます。どうぞ安らかに」

 仲本さんは、1941年(昭16)7月5日、東京都生まれ。都立青山高では、文武両道で体操選手としても将来を嘱望されていた。しかし、進学先の学習院大に体操部がなかったことで方向転換。アルバイト先のジャズ喫茶で加藤と出会い、バンドのオーディションで高木と知り合った。その後、高木に紹介されたいかりや長介さんに誘われ、大学卒業後、ザ・ドリフターズに加入。当時は音楽ネタのコントもするバンドで、仲本さんはボーカルとギターを担当した。ザ・ドリフターズは、バンドから次第にコントグループへと変わり、1969年にはTBS系「8時だヨ! 全員集合!!」がスタート。仲本さんは、体操の経験を生かしたバク転を披露しながら、ズッコケるなどした。ゲストやメンバーが体操に失敗しても、最後は決まり文句「ハイポーズ!」で、お茶の間を喜ばせていた。また、フジテレビ系「ドリフ大爆笑」では、いかりや長介、高木とともに繰り広げたコント「雷様」などでも人気を博した。

 ザ・ドリフターズのメンバーでは、旧メンバーの荒井注さんが2000年2月に、リーダーのいかりやさんが04年3月に亡くなり、20年3月には、志村けんさんが新型コロナウイルス感染症に伴う肺炎のため、天国に旅立った。仲本さんは、志村さんの追悼特別番組に出演した際、「一番若い志村が長さん(いかりやさん)の次になるとは。非常に悔しいです」などと話していた。

 同事務所は今月18日、仲本さんが同日午前中に交通事故に遭い、神奈川県内の病院で治療を受けていることを公式サイトで報告。「突然の事態に、ご親族、ザ・ドリフターズのメンバー、我々事務所スタッフ一同、非常に大きなショックを受けております。治療の経過につきましては、都度弊社WEBページにてご報告をさせていただきます」とつづっていたが、19日には、同日午後10時22分、急性硬膜下血腫のため亡くなったことを報告。そして、死後5日のこの日、加藤と高木のコメントとともに、通夜・葬儀が近親者のみにて執り行われたことを報告した。

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