頚髄損傷の大谷晋二郎に熱いエール 「ミスターデンジャー」松永光弘が支援呼びかけ

「ミスター・デンジャー」松永光弘が「何度でも立ち上がれ! 大谷晋二郎 応援募金」に熱い思いで応じた。

 大谷晋二郎との2ショットを大切にしている松永光弘【写真:松永光弘氏提供】
大谷晋二郎との2ショットを大切にしている松永光弘【写真:松永光弘氏提供】

「毎週金曜日午後8時更新 柴田惣一のプロレスワンダーランド」【連載vol.93】

「ミスター・デンジャー」松永光弘が「何度でも立ち上がれ! 大谷晋二郎 応援募金」に熱い思いで応じた。

 大谷は「押忍PREMIUM~ZERO1・20周年&21周年記念大会」(4月10日、東京・両国国技館)で「頚髄(けいずい)損傷」の大けがを負ってしまった。復帰が待たれるが、治療に役立ててほしいと、応援募金プロジェクトが立ち上がった。

 プロレスラー、団体はもちろんファンや支援者からも早速、サポートが始まっている。現役引退後、東京・墨田区立花でステーキハウス「ミスター・デンジャー」を営む松永もその一人だ。

 実はデスマッチの帝王・松永が最後のデスマッチを闘ったのが大谷だった。2008年5月11日、埼玉・越谷市桂スタジオ大会の「ガラスレイン鉄球地獄デスマッチ」。ZERO1のリングが、しかも相手が大谷だったとは、意外に思う人も多いのではないだろうか。

 もちろん松永はしっかりと覚えている。「僕の最後のデスマッチを闘ってくれたのは大谷さんだった」と、応援募金のチラシを握りしめて声を震わせた。

 14年前のこの日、セミファイナルが終わると、デスマッチの準備が進められた。イスが撤去され、全席スタンディングの特別仕様。リングの三方は金網。残った一方にはガラスが設置された。

 当初のプランでは鉄球はクサリで天井に固定されるはずだった。ところが、予算の都合でロープに変更されていた。松永は「ロープが鉄球の重みに耐えきれず切れてしまったら、と考えると、怖かった」と振り返る。

 数々のデスマッチを生き残ってきたデスマッチの帝王をして、文字通りの地獄のリングだった。リングから10メートルあけてテープが張られていた。観客は立ったまま激闘を見つめていた。

 コロナ禍は10年以上後のこととあって、当時は声を上げ放題。この試合で興奮するな、という方が無理な話だった。声援、悲鳴、怒号、絶叫……ありとあらゆる声が会場にこだました。

 試合開始直後から、大谷を血だるまにした松永。5分を待たずに車からハンマーを持ち出し、ロープにくくられていたガラスを破壊した。早くもガラスの雨が大谷に降り注いだ。

 なおも脚立を組み立て、布に火をつけた。ガラスの上に引き、畳針を用意。大谷を火炎、畳針、ガラスの真っただ中に落とし込もうというのだ。

 大ピンチに大谷は立ち上がった。バックドロップで投げ落とし、畳針に松永を蹴り倒した。松永は畳針に串刺しにされた。

 ピクリともしない松永。悲鳴と怒号が渦巻く中、8分が経過。落下する鉄球。頭上のガラスが粉々となり、ガラスの豪雨が松永を直撃……大谷が松永をフォールした。

 大谷は涙声で「恐怖なのか、安堵感なのか、あの男の生き様を見たからなのか、なんだか涙があふれ出てくる。プロレスラーとして男として、また成長できた気がする。なんの涙か分からない涙を流したことがあるか。それほどの生き様をしたことがあるか」と絶叫。松永のデスマッチ人生、生き様に大谷は感じ入っていた。

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