コロナで1か月意識不明の重体…生還の写真家に“怪現象”「猪木さんにエールもらった」

大阪でのアントニオ猪木の貴重な1枚=1985年7月28日【写真:原悦生】
大阪でのアントニオ猪木の貴重な1枚=1985年7月28日【写真:原悦生】

「やっぱりアントニオ猪木はすごい」

 病院から出てきた頃は、(難病と闘病中の)猪木さんが今度は危ないとか言われて、いっぱい電話がかかってきました。私も入院していたから猪木さんの状況なんて、実際には知らないんですけど、「いやいや大丈夫ですよ」と答えていました。

 やっぱりアントニオ猪木はすごいなって思いますよ。YouTubeであれだけのもの(闘病の姿)をさらけ出して見せている。猪木さんも自分の病気のことは、猪木さんが一番よく知っていると思うんですけど、でも、生きるという姿をもっと見せてもらいたいですね。

 体がどれだけつらいかは分からないですけど、やっぱり歯がゆいと思うんですよ。体を動かさないというのは。リハビリに励んでいただいて、また外でお昼ご飯を一緒に食べたいですよね。写真も回数はそんなには撮れないと思うんですけど、お会いしたときには、また撮らせていただきたいと思っています。

□原悦生(はら・えっせい)1955年茨城県つくば市生まれ。16歳からプロレスを撮り始める。早大卒業後、スポーツニッポンの写真記者を経て、86年からフリーランス。アントニオ猪木と旧ソ連、中国、キューバ、イラク、北朝鮮など世界中を旅した。サッカーではUEFAチャンピオンズリーグの常連で、ワールドカップは86年メキシコ大会から9回連続で取材している。プロレスの著書に「猪木の夢」「INOKI」「Battle of 21st」などがある。AIPS国際スポーツ記者協会会員。

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