中山エミリ、10代から歩む芸能界 ポカリ“ダチョウCM”は「今思えばなんとぜいたくな撮影」

中山エミリはグラビアへの思いも明かした【写真:山口比佐夫】
中山エミリはグラビアへの思いも明かした【写真:山口比佐夫】

「一貫してきたのは、自分へのこだわりがないということ」

「最初の頃、打ち合わせが終わった時に徳光さんから『一緒に行く?』とお声がけをいただき、そのままゲストの方々のごあいさつに同席させていただいたんです。大御所の方も初めてお目にかかる方も1人1人回っていらっしゃって。こういう風にゲストをお迎えするんだと、実際に見せていただきながら覚えていきました。芸能界には、絶対にこうだというお仕事のマニュアルはありません。私は、自分が携わらせていただく番組にゲストの方が来てくださる時は、お客様と変わらない意識で接しています。もし自分のおうちにお客様がいらっしゃったら、楽しんで帰ってほしいなと思いますよね。同じように、番組ゲストの方にも楽しんで帰っていただければ。そうすれば、番組自体が楽しくなると思うんです。そのいい雰囲気は、画面越しに見ている方々にも絶対に伝わると思います」

 こんな信条があるそうだ。「一貫してきたのは、自分へのこだわりがないということです。例えば雑誌の撮影で『どっちから撮ってほしいですか』とよく聞かれるのですが、どっちもどっちなので撮りやすい方でお願いしますといった感じでお答えしています。自分でこうじゃなきゃと決めてしまうと、クリアできない時に不安になってしまいそうで。それに、あまりこだわりなくいることで、無理せずに、その場その場の空気に合わせることができます」。それがいろいろなジャンルの番組で多様なゲストに対応できる秘訣(ひけつ)なのだろうか。「それができていたのかどうか分かりませんが、ゲストの方によってもその日の空気は変わりますし、毎回何かを決めていくと何回もあるうちの1回になってしまう気がするのですが、自分で何も決めないで新鮮な気持ちでいると、毎回が1分の1になるのかなと。という言い訳をしながらやってました(笑)」。謙遜しながら答えた。

 芸能界に入って最初の仕事はグラビアだった。「漫画誌の表紙と巻頭のグラビアで、もう右も左も前も後ろも分からないぐらいの、本当に初めてのお仕事。どこか南の島に連れて行っていただいて撮影をしたのですが、暑くてのぼせて鼻血を出した記憶があります」と笑う。グラビアとはどんなものだったのか。「グラビアと言えば、ナイスバディ―な人がいてナンボじゃないですか。当時、本当に私でいいのかな? と思っていました。でも、それまでの日常と違う経験をすることはすごく刺激になっていました」という。

 芸能界で学んだこと。「この世界のお仕事にはカメラマンさん、衣装さん、メイクさん、編集の方もライターさんもいらして、それぞれの分野のプロの方たちにお目にかかるだけでも刺激があります。それに、このお仕事をしていなかったら、これだけたくさんの方とお会いしてお話することはなかったと思っています。人と話すことは財産です。話をする中で感じること、世の中にはこういう考え方の人もいるのかと学ぶこと。それがどんどん重なって膨らんでいって、いま少しは成長につながったのかなと思っています」

□中山エミリ(なかやま・えみり)、1978年10月8日、神奈川県生まれ。1994年にデビューし、グラビア、ドラマ、CM、バラエティー番組司会など多岐にわたって活躍。2010年にプロライフセーバーで俳優の飯沼誠司と結婚。15年に第1子女児を出産。4月2日スタートのドラマ「私のエレガンス」(BSテレ東)への出演が決まっている。

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