Jリーグで挫折も営業マン転身で大逆転 現在はフェラーリ、クルーザー所有“30歳実業家”の素顔

株式会社AzuRo社長の岡ファビオさん(30)は、元Jリーガーという異色の経歴を持つ。セカンドキャリアに悩むアスリートが多い中で、ビジネスマンとして才能を発揮し、若き経営者、YouTuberとしても注目を集めている。ラグジュアリービジネスにも携わり、高級外車やクルーザーを所有する成功を収めた。ファビオさんはなぜ、第2の人生を輝かせることができたのだろうか。

3億のヨットを所有する岡ファビオさん(左)。右は日本スーパーカー協会代表理事の須山泰宏さん【写真:山口比佐夫】
3億のヨットを所有する岡ファビオさん(左)。右は日本スーパーカー協会代表理事の須山泰宏さん【写真:山口比佐夫】

サッカーでトップ選手になる夢破れ…第2の人生で大逆転

 株式会社AzuRo社長の岡ファビオさん(30)は、元Jリーガーという異色の経歴を持つ。セカンドキャリアに悩むアスリートが多い中で、ビジネスマンとして才能を発揮し、若き経営者、YouTuberとしても注目を集めている。ラグジュアリービジネスにも携わり、高級外車やクルーザーを所有する成功を収めた。ファビオさんはなぜ、第2の人生を輝かせることができたのだろうか。(取材・構成=水沼一夫)

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 サッカーを辞めたときは不安しかなかったですね。J2の岡山でプレーして、まだ20歳ぐらいでした。「自分は世界で活躍する選手になる!」と誓い、いろいろな準備をしてきたけれど、ダメだった。給料がなくなって、やることもない。いきなり無職になって…。車もローンで買っていたので、そのときは払えなくて車を返しました。

 一文無しになって、ゼロからやろうと思いました。地元は福山でした。アルバイトはあまりしたことなかったので、ポール・スミスの服の店員のアルバイトを始めました。働きながら、面接を受けて東京に出ていく準備を進めましたね。サッカー選手のコネクションを使うことには抵抗があったので、普通にリクルートしました。

 サッカー人脈を使わなかったのは、サッカーが大好きだからですね。好きな女の子が近くにいると心が痛くなるのと一緒で、離したほうがよくない? というロジックでした。指導者になる選択肢もなくはなかったけれど、若くして辞めたので自分はやりきれていなかった。だから、セカンドキャリアを早めに切り替えようと考えました。

 最初に勤めたのは東京の会社です。当時、営業のキツさではこの会社が業界で一番と言われていました。僕はその会社でトップになれば、大手から引き抜きがあると聞いていたので、とにかく働きましたね。サッカーをやっているときからコミュニケーションには自信がありました。入社から約半年後には、1000人ぐらいの営業の中でトップになりました。

 寝袋を買って会社に泊まって、5日に1回しか家に帰らないこともありました。仕事ができる先輩がいると、その先輩の2倍3倍頑張らないと追いつかない。自分が成長しているなら先輩も成長しています。気合でやるしかないと、その繰り返しの毎日でした。

 そうした生活がしばらく続きました。給料は上がって、数千万円を稼ぐようになりました。今度は会社の前に部屋を借りて、同じようなことをしましたよね。会社には泊まりませんでしたが、家に帰ってやるので仕事量は変わらない。泊まる理由は家が遠かったからです。お金に余裕あれば、会社のそばに住めば一番楽ですよね。いかに時間を有効活用するか、だけの話です。

 営業にはサッカー時代のガッツと逆算能力が生きました。アスリートはトップだろうがJ2だろうが関係なくて、ハングリー精神が強い。向上心は高いし、意外と素直な人も多いです。また、自分でこうなりたいと目標を決めて、逆算しながら努力をします。サッカーでは毎日しんどい思いをして、トレーニングをしてきましたが、ビジネスでは(しんどい経験も)お金になる。だったら、なんでそれが苦なの?と思っていました。ある程度、努力をすればビジネスでもアドバンテージは作れるなと気づきました。

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