“市川姓”許された女性伝統芸能者の挑戦 十二代目團十郎さんの思い受け継ぐ市川櫻香

日本の伝統文化を後世に伝えていくために活動する【写真提供:日本の伝統文化をつなぐ実行委員会】
日本の伝統文化を後世に伝えていくために活動する【写真提供:日本の伝統文化をつなぐ実行委員会】

伝統芸能や古典を伝えていく、團十郎さんの思いで実現した「櫻香の会」

――團十郎さんから直接ご指導していただいていますが、お稽古の思い出はありますか?

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「例えば『義経千本桜』の『すし屋』に出てくる権太(※勘当されたすし屋の息子)。むすめ歌舞伎版では、『権太を出さないすし屋』をお考えくださりました。先生は『できない』と思われることも工夫し、『女性ならではのものができないか』と前向きに考えてくださいました」

――その後、発足した自主公演「櫻香の会」は、團十郎さんの後押しがあったそうですね。團十郎さんの中にも、「女性芸能者を育てたい」という思いがあったのでしょうか。

「そうですね。歌舞伎は江戸幕府が始まり1603年に、出雲御国という女性が『かぶきおどり』を踊ったことから始まったとされています。女性による歌舞伎は全国に広まりましたが、風紀の乱れの取り締まりから女性芸能者が表舞台に立つことが禁止されました。明治になってから、九代目團十郎が『女優を育てよう』と新しい流れを取り込むようになりました。十二代目團十郎先生は、時代を考えていたのではないかと思います。代々の市川家の流れを重んじておられ、九代目からの流れを受け、『女性芸能者を育てる』という考えをお持ちになられていたのでしょう」

――團十郎さんの2010年の著書「團十郎復活 六十兆の細胞に生かされて」(文藝春秋)には、櫻香さんのことも書かれています。

「先生は闘病中に本を出されて、私のことにも少し触れてくださっています。実は先生に、むすめ歌舞伎を辞めさせていただくことを相談に伺いました。その時に『櫻香の会を立ち上げる後押しもする。その代わり、むすめ歌舞伎は面倒をみていくように』と。伝統芸能を伝えていかねばならないという気持ちから、そう言われたのだと思います」

――「櫻香の会」では團十郎さんと2度共演されています。2009年の公演では、團十郎さん自ら三升屋白治(みますやはくじ)というペンネームで脚本を書いた新作「黒谷」を、舞踊劇として上演されました。当時團十郎さんは闘病中で入院されていて、結果的に「黒谷」が遺作となりました。

「先生は病室にパソコンを持ち込まれて『黒谷』の脚本を書いておられました。無菌室でお芝居のお話などをされる様子を拝見しました。『常時船酔いの心地でいる』と話されておられました」

――團十郎さんの思いを「むすめ歌舞伎」「櫻香の会」として伝えていくのですね。

「先生は私個人のためにしてくれたのではなくて、(伝統芸能が)つながっていくことを願っておられます。お役目として経験したことを伝えていかねばなりません」

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