“市川姓”許された女性伝統芸能者の挑戦 十二代目團十郎さんの思い受け継ぐ市川櫻香
歌舞伎は「男性が演じるもの」というイメージがあるが、起源は幼女や少女による「ややこおどり」と言われている。実は現代にも女性の歌舞伎役者が存在する。愛知・名古屋在住の舞踊家であり、伝統芸能者の市川櫻香(いちかわおうか)だ。「名古屋むすめ歌舞伎」を立ち上げ、歌舞伎宗家である成田屋の故・十二代目市川團十郎さんから「市川姓」を認められた。5日には名古屋能楽堂で公演「古典の日」が開催される。今回は「市川姓」を名乗り伝統芸能を受け継ぐ櫻香から、「むすめ歌舞伎」立ち上げのきっかけや團十郎さんとの関わり、「古典の日」の見どころ、コロナ禍での葛藤など話を聞いた。
24歳で「むすめ歌舞伎」を設立、初公演は「やっちゃいけないことをしちゃった?」
歌舞伎は「男性が演じるもの」というイメージがあるが、起源は幼女や少女による「ややこおどり」と言われている。実は現代にも女性の歌舞伎役者が存在する。愛知・名古屋在住の舞踊家であり、伝統芸能者の市川櫻香(いちかわおうか)だ。「名古屋むすめ歌舞伎」を立ち上げ、歌舞伎宗家である成田屋の故・十二代目市川團十郎さんから「市川姓」を認められた。5日には名古屋能楽堂で公演「古典の日」が開催される。今回は「市川姓」を名乗り伝統芸能を受け継ぐ櫻香から、「むすめ歌舞伎」立ち上げのきっかけや團十郎さんとの関わり、「古典の日」の見どころ、コロナ禍での葛藤など話を聞いた。(取材・構成=コティマム)
櫻香は伝統芸能教室の家に生まれ、常磐津(ときわず)師匠の祖母、母、姉の中で育った。1983年に女性芸能者で歌舞伎を行う「名古屋むすめ歌舞伎」を設立。歌舞伎俳優の故・十二代目市川團十郎さんから指導を受けて、「市川姓」を名乗ることを許された。2007年には團十郎さんの後押しで自主公演「櫻香の会」を初開催。團十郎さんは13年に白血病の闘病を経て亡くなったが、07、09年の「櫻香の会」では櫻香と共演している。
――「むすめ歌舞伎」を立ち上げようと思ったキッカケを教えてください。
「私は伝統芸能の稽古場に生まれ、外の先生のお稽古にも通っていました。昭和20年代に全国的な人気で『市川少女歌舞伎』があり、十代目、十一代目市川宗家が後押ししておられました。私も少女歌舞伎を教えていらした方の奥さまと、立女形の方に教えていただきました。女性でも歌舞伎を演じられる姿がとても素晴らしかったのです」
――稽古場での経験から、「むすめ歌舞伎」への思いが膨らんだのですね。
「常磐津の家の子どもですから、歌舞伎舞踊の演目を多くお稽古しておりました。もっと学ぶために『歌舞伎もやれないだろうか』と思ったのです。その後ご縁があり、祖母が校主を務める邦楽教室の校長、当時の杉戸名古屋市長と顧問の画家・北川民次先生、御園座の会長さま、社長さまが、『むすめ歌舞伎を育てる会』を作ってくださいました。美空ひばりさんなど、当時御園座に出演されていた方々に応援者になっていただきました。24歳のときに『むすめ歌舞伎』を立ち上げ、初演時はまだ市川姓は名乗っておりません」
――初公演はどうでしたか?
「今でも忘れられないのが、終わってもシーンとしているのです。『やっちゃいけないことをしちゃった?』とびっくりして。幕が引かれますと鳴りやまない大きな拍手が聞こえました。受付の方が『感動してお財布を“お祝いに”と置いていかれた方がいた』と言いに来てくれました。感動しました。その後に團十郎先生に引き会わせていただき、市川姓を認められました」