世界で輝く双子モデル・AMIAYAを支え続けた母親の言葉 15歳で上京「絶対諦めないって決めた」

15歳で上京してからはずっと2人で行動を共にしてきたAMIAYA【写真:荒川祐史】
15歳で上京してからはずっと2人で行動を共にしてきたAMIAYA【写真:荒川祐史】

ネガティブ発言NGが“暗黙のルール”「突然、泣いたりしますけどね(笑)」

「自分たち的には双子を押し出していたつもりだったけれど、海外に行って、出し切れていなかったことに気付きました。『何が足りないのかな?』と思ったとき、帰りの飛行機の中でティム・バートン監督の映画『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』を見て、全く容姿が一緒の2人が出てきたときに、『あ、これかも』と」(AYA)

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 それまでも双子として、それぞれの個性を生かしたスタイルで活動していたが、帰国後すぐにおそろいのピンクのボブヘアへと変えた。27歳での大きなスタイルチェンジだったが、2人は「不安はなかった」と声をそろえる。

「自分たちのスタイルを貫きながら、モデルをやらせてもらっていて、順調なのはすごい幸せなことでした。でもずっと海外に行きたい気持ちもあった。次のステップに行くために、どうしたらいいんだろうという気持ちがありました。そして、ミラノから帰ってきて『答えが見つかりました!』と。確実に何かをつかんだ感覚があったんです。そこからは、双子を前面に出したスタイリング、衣装でも私服でもとにかく“AMIAYA”を意識するようになりました」(AMI)

 上京した頃から夢や目標に向かい、ひたむきに努力し続けるAMIAYA。どんな壁にぶち当たっても「辞めたい、諦めようと思ったことはない」と断言。そんなハングリー精神は“苦労人時代”の経験が大きかったとも話す。カフェやアパレルのみならず工場でのライン作業、テレアポや居酒屋などさまざまなバイトも経験してきた。

「全部生きていると思います。悔しい思いやいろいろな経験があったからこそ、自分たちのマインドにつながっている。小さなストリートスナップから始まって、今では海外で大きな広告も決まったりしたけれど、どれ1つ欠けても自分たちのキャリアになっていないです。全部自分に必要な経験だったなって思います」(AMI)

「順風満帆ではなかったからこそ、自分で考えることが多かった。次にこういうことをやってみようとか、こういう表現で発信をしたいから『次は海外に行こう』とか。自分たちの頭で考えて、自分たちで行動していく。そして形にしていくという一つ一つの工程が自分たちの人生みたいだなって思うんです(笑)。AMIちゃんも言ったようにすべてがつながっている。一つ一つの積み重ねの大切さをバイト経験などからも学びました。だからこその今のスタイルなのかなと思います」(AYA)

 また、胸には上京当時に母親からもらった言葉が常に刻まれていた。

「『浜松に戻ってこないつもりでやりなさい。その覚悟を持って行きなさい』と言われて、そのときに絶対に諦めないって決めました」(AYA)

 双子での活動には、「2人で常にいるから、客観的にどちらかが見ているんです。すごい近くで自分のことを自分のことのように見てくれている人がいるっていうのは、強いなと思います」(AYA)。互いが互いを補い合うことで「アップデートするスピード感が速い」(AMI)とメリットを口にする。

 一方で「1人1人を覚えてもらいづらい」(AMI)とも笑う。さらに「2人で常にいるから甘えちゃう」(AYA)と、デメリットも明かす。しかし、弱音を吐かないことが“暗黙のルール”だ。

「弱音やマイナスなことを基本的には口に出さないようにしているかもしれないです。突然、泣いたりとかはしますけどね(笑)。でもちょっと泣いて、引きずらないようにしています。ネガティブなことを話したとしても、何度も言ったらどちらかが怒ります」(AYA)

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