渡部修斗を直撃 下馬評不利も朝倉海戦に自信「これだなっていうのが浮かんできた感じですね」

朝倉海戦が決まってから、新宿駅で声をかけられる

 10年から本格的に始めた格闘技だったが、結果が出たのは8年後。「ネクサス」のバンタム級トーナメントで優勝し、ベルトを腰に巻くことになった。渡部の時計の針はここから一気に動き始める。

 そして渡部はにとっては「運命の日」とも言える、6月13日、東京ドームでの朝倉戦に挑む。渡部はいかなる秘策を持ってこの一戦に挑むのか。

――本格的に格闘技に取り組み始めて、18年には「ネクサス」のベルトを取りました。

渡部「自分的にはベルトを取って終わった感がハンパなかったですね。30歳までには取ると思っていたんですけど、そこで完全に燃え尽きちゃって」

――目標を見失った?

渡部「そしたら『DEEP』からオファーをいただいて。日本の3大メジャーって『DEEP』『修斗』『パンクラス』だと思うんですけど、『ネスサス』でベルトを取ったので、そこに挑戦する権利があるかなと思って、出てみたいと思いました。格闘技界的にはそれがメジャーデビューになるんじゃないかな。でも、『DEEP』でやっていた時も『RIZIN』は意識していなかったんです。まずは目の前の試合を頑張ろうって」

――そこから、あまり時間がかからず、一気に朝倉戦という「運命の日」を迎えるまでに来た感があります。

渡部「うーん、自分的にはいつもの試合な感じですね。そんな気負いはないです」

――朝倉戦が決まってから反響はありました?

渡部「ありますよ。朝倉海選手のおかげであります」

――例えばどんな?

渡部「新宿駅で声をかけてもらったり。変なことできないですね。しないですけど(笑)。奇声とかあげていたらヤバいですね。やっぱりRIZINの反響はすごいと思いましたし、そういう場に立たせてもらっていることは光栄というか。当たり前じゃないと思います。周りの力、練習仲間、関係者。みんなに感謝しています」

――ぶっちゃけ、朝倉戦への秘策はありますか?

山田代表「今回、それを聞いたら勝てるなと思いました」
渡部「ホントですか?」(と目を丸くしながら)

――秘策があるんですね。

渡部「秘策かどうかは分からないですけど、ここ2年くらい、作戦を考えるようになったんです。他の選手のセコンドにつくようになって、いろんな選手の試合映像を見るようになったんですけど、意外と相手のことが分かるぞっていうのに気付いて。それで相手の研究をするようになったんですけど、今回も相手が朝倉海選手って決まった瞬間に、試合映像を見て研究しました。そしたら『これだな』っていうのが浮かんできた感じですね」

――1Rから攻めていきますか?

渡部「自分が勝つなら1Rじゃないですか? 前回の田丸戦は長期戦に持ち込もうと思っていたので、あれも作戦通りといえば作戦通り。思った以上に1Rはやられたなっていう。後は想定通りでした。ただ、自分としては想定通りじゃない試合をしたいです」

――どういうことですか?

渡部「本番になったら、こんなこともできるんだって自分でも思えるような、ひらめきのある試合をしたいです」

□渡部修斗(わたなべ・しゅうと)1989年2月27日、栃木県出身。173センチ、61キロ。「修斗」というその名が表す通り、父に修斗初代ウエルター級チャンピオンの渡部優一を持つ。小学5年生より柔道を学び、中学からは並行してレスリング部に所属する。大学に入り、一時期レスリングから遠ざかったが、憧れのファイター魔裟斗の引退試合に感動し、父と同じ格闘技の道を歩むことを決意。2012年にパンクラスでプロデビューを果たす。以降はZSTで経験を積み、18年にはFighting NEXUS初代バンタム級王座決定トーナメントを制し、王座を戴冠した。19年にはDEEPに初参戦。そのDEEP初戦では、小林博幸を必殺のマジカルチョークで破っている。RIZIN初参戦となった20年8月のRIZIN.22では元UFCファイターの井上直樹に自身の得意技であるリアネイキッドチョークで一本負けを喫する。21年3月のRIZIN.27では修斗の若き天才・田丸匠と対戦し、1Rは劣勢だったものの、2Rに裸絞めで田丸からタップを奪った。レスリングで培った確かなグラウンドテクニックと、一本を取り切るマジカルチョークを武器に、並み居る強豪を眠らせる。

次のページへ (5/5) 【写真】今からおよそ30年前、父・渡部優一が修斗ウエルター級のタイトル戦に勝利した際、当時2歳の渡部修斗を抱き抱えて撮影した写真
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