森高千里「渡良瀬橋」の思い出詰まったコンサートホールに別れを告げる最後の公演

収容人数50%で昼夜2回公演を行った【掲載:ENCOUNT編集部】
収容人数50%で昼夜2回公演を行った【掲載:ENCOUNT編集部】

忘れられないコンサートになりました

 14枚目のシングル「ファイト!!」(91年)で幕を開けたコンサート。大きな手拍子で迎えられながら、ミニスカートの衣装で登場。

誰もがアッと驚く夢のタッグ…キャプテン翼とアノ人気ゲームのコラボが実現

「今日は私のデビュー記念日でもあるので、そんな日にステージに立っていられるのも感謝です」とあいさつし、続けて「みなさんが声を出せないのは辛いですが、コンサートができるだけでも感謝。熱い気持ちで応援してくれたらうれしいです」と呼びかけた。

 また、公演前に八雲神社に立ち寄り、感謝状を受け取ったことを報告。「再建の際の募金の感謝状をいただきました。私とみなさんの感謝状。みなさんのおかげです」と感謝を伝えた。そして「今日は会館に入る前に渡良瀬橋を渡って来ました」と明かし、「渡良瀬橋」の間奏では、定番のリコーダー演奏を披露。

「私がオバさんになっても」(92年)、「17才」(89年)、「気分爽快」(94年)、「私の夏」(93年)などヒット曲を連発。ツアータイトル曲の「この街」(90年)では、ファンにはお馴染みの間奏のセリフパートで「足利しゅうまい」、「岡田のパンヂュウ」といった足利ご当地グルメを盛り込んだ。

「今年のコンサートツアーがここ足利市民会館でスタートできたのは本当に感慨深いです。この足利市民会館がなくなってしまうのは本当に寂しいです」と伝え、「私にとって足利は第2のふるさとです。みなさんにとっても特別な場所であってほしいな」と語った。

 19年以来となるツアーの初日を特別な会場で終えると、「みなさんに歌で元気を届けたいと思っています。配信ライブとかもやりましたが、やっぱり、皆さんの前でやるのが1番私のパワーが出る時間。みなさんに元気を届けたい」と約束。「初日を足利で迎えられたこと、忘れられないコンサートになりました。また足利でコンサートをやりたいです」と誓った。

 この日足利市は、午後6時の市内放送で流す音楽を「渡良瀬橋」に変更するなど粋な演出で森高に感謝を伝え、足利市が運営する「足利シティプロモーション」の公式ツイッターでは、森高のメッセージとコンサート写真を添えて「森高さん、今日のコンサート、本当にありがとうございました」と投稿した。

 またSNSには「森高千里さんの足利への想い。とても強く心に響きました」「素晴らしかった」「渡良瀬橋を聞くことができて感動」といったファンの投稿が次々と上がった。

□森高千里(もりたか ちさと)1969年生まれ、熊本県出身。87年5月25日シングル「NEW SEASON」でデビュー。89年に「17才」でブレークを果たす。独自の視点から描かれる歌詞の世界観や、楽器演奏もこなし独自の立ち位置を確立。男女を問わず多くのファンを獲得。「雨」、「私がオバさんになっても」、「渡良瀬橋」、「私の夏」、「気分爽快」、「ララ サンシャイン」など数々のヒット曲を生み出す。2015年4月からはフジテレビ「水曜歌謡祭」・「FNS歌謡祭」で司会のレギュラー開始。7月24日には「あしかが輝き大使」に就任、東武伊勢崎線足利市駅は到着のメロディー、JR両毛線足利駅は発車のメロディが「渡良瀬橋」になる。10月からフジテレビ「Love music」司会。19年、21年ぶりとなる全国ツアー「この街」ツアー2019を開催。(36か所、37公演)20年4月よりニッポン放送「森高千里のオールナイトニッポンMUSIC10」第2水曜日午後10時~スタート。

次のページへ (3/4) 【写真】森高千里の笑顔ショット「さようなら足利市民会館ありがとう五十五年」コンサート写真
1 2 3 4
あなたの“気になる”を教えてください