【プロレスこの一年 ♯34】“仮面貴族”マスカラスの初来日 猪木が日プロ除名 71年のプロレス

アントニオ猪木(写真は83年)【写真:平工 幸雄】
アントニオ猪木(写真は83年)【写真:平工 幸雄】

ストロング小林のエース体制を敷いた国際プロレス

 その猪木は、5・31札幌でフレッド・ブラッシーを退けUN王座を初防衛。馬場とのBI砲では7月1日大阪でイワン・コロフ&ダッチ・サベージ組を破り、インタータッグ王座の防衛に成功した。

 国際では、ストロング小林が海外遠征から凱旋。7・6東京体育館でチャック・カルボを破り、IWA世界ヘビー級王座を防衛した。この後、国際はエース小林の体制を敷いていくこととなる。

 9月には“鉄の爪”フリッツ・フォン・エリックが馬場と猪木のシングル王座に連続挑戦。9・4田園コロシアムでは馬場のインター王座に挑むも反則負け。2日後の札幌では猪木とUN王座を懸けて戦い、両者リングアウトの引き分けに。いずれもエリックの戴冠とはならなかった。

 10月24日、日プロ「第2回NWAタッグリーグ戦」が後楽園で開幕。決勝は11・1東京体育館で行われ、猪木&坂口征二組がキラー・コワルスキー&キラー・オースチン組を破り、初優勝を飾った。猪木は12・1名古屋で吉村と保持するアジアタッグ王座をドリー・ファンクJr&ディック・マードック組を退け防衛。12・4仙台ではマードックを破りUN王座を守った。

 しかし、翌5日に猪木が選手会から除名処分を受ける。7日の札幌ではドリー&テリー・ファンク組のファンク兄弟に敗れ、馬場とのインタータッグ王座を失った。猪木は腎臓炎と尿管結石の診断書を提出し、10日の後楽園大会から欠場。アジアタッグ王座返上のなか開催されたシリーズ最終戦12・12東京体育館では吉村&坂口組がドリー&マードック組を破り新アジアタッグ王者となった。また、この大会では馬場がテリーを破ってインター王座7度目の防衛に成功している。

 翌13日、日プロは猪木の除名を発表した。これが、11月中旬から降ってわいた「乗っ取り疑惑」の結末だった。14日には猪木が反論会見を開き、藤波辰巳と木戸修が退団。猪木は翌年、新日本プロレスを旗揚げすることとなる。(文中敬称略)

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