肺気胸で入院、コロナでプロモーション中断…崖っぷちを武器にブレークしたD.Y.T

プロダンサー出身の千田耀太【写真:山口比佐夫】
プロダンサー出身の千田耀太【写真:山口比佐夫】

千田はプロダンサー出身、菅野は高校時代からシンガー目指す

 2歳年上の千田はプロダンサー出身。菅野は高校時代からシンガーを目指していた。出自もスタイルも異なる2人のツインボーカルというスタイル。「菅野はどちらかでポップス、自分はR&B、ヒップホップ。サウンド面では2つの融合を強く出しているんですけども、ポップスのようなキャッチーさがあって、一度聴いたら、離れないといったサウンドを目指しています」(千田)。「『Still In Love Prod.KM』(20年4月発表)から千田がラップをやり始めて、ヒップホップの要素を落とし込むようになってきたので、1シンガー、1ラッパーというキャラクターを確立した方が伝わるのかなと思っています」(菅野)。

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 2人とも同じ名前だが、互いに「ヨウタ」と呼び合っている。「最初はやっぱり気持ち悪いんですよ、でも、苗字で呼ぶのは距離感があるし、同じユニットとしては違うのかな、と」(千田)。実は偶然にも、自宅も徒歩15分の距離で、プライベート以外はほぼ一緒の時間を過ごしている。菅野は「僕は高校生ぐらいから歌1本で来ました。将来的はソロでやるイメージはあまりなかったので、誰かと一緒に声を重ねたいっていう思いがあったのですが、まさかプロダンサーだった人と組むとは思っていませんでしたね」と振り返る。

 デビュー以来、順調だったわけではない。菅野は第4弾シングルの「キライになれたらいいのに」のプロモーション中だった2019年末、肺に穴が開く「肺気胸」になって、入院。「その日はテレビ収録もあって、事務所の人たちと、これから頑張っていこうぜ、と意識を高めあった後だったんです」(千田)、「その後、スポーツジムに行って、筋トレをしていたら、急に息が苦しくなって、家にたどり着いてから、タクシーで病院に行ったら、即入院となってしまった。手術もあって、1か月くらい入院しなければいけなかった」と菅野。

 一方の千田は「6時間、メッセージに既読がつかなくなって、1回死んだ? と思ったら、8時間後の深夜に『入院しました』と連絡が来て、えー? と。本人は相当ショックだなって思ったので、すぐにお見舞いに行きました。これは書けないんですけど(笑)、なんで大切な時に……。一発肺に殴ってやろうかくらいは思いましたけど(笑)。僕らは運命共同体なんで、2人で乗り越えればと思いましたね」。

 しかし、菅野の復帰後、今度はコロナ禍に見舞われた。「4月に曲(「I WILL」)をリリースすることになったんで、ここで取り戻してやるぞと思ったら、緊急事態宣言になってしまい、次のリリースイベントもまったくできなかった。今までリリースイベントが完走できていないんです」(菅野)。こんな逆境も、2人は力に変えた。菅野はテレビ東京「THE★カラオケバトル」のオーディションで出演を勝ち取り、契約解除一歩手前の崖っぷちの体験とともにカラオケで美声を披露。第3位となる成績を残し、音楽プロデューサーの松尾潔氏からも高く評価された。この活躍に、千田も「必ず僕らには壁が立ちはだかるんですが、また一つ大きな壁を乗り越えたな、という感じがして、感動しましたね。これで、入院したことはチャラにしてやるって思いました」と笑う。

次のページへ (3/4) 作詞作曲でもオリジナル曲を届ける1年に「もっともっと自分たちらしさ出したい」
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