【プロレスこの一年 ♯22】アントニオ猪木“地獄の欧州ツアー”、ドラゴン・ブームにドス・カラスの初来日 78年のプロレス

ドスカラス(左)とミル・マスカラス(写真は83年)【写真:平工 幸雄】
ドスカラス(左)とミル・マスカラス(写真は83年)【写真:平工 幸雄】

藤波辰巳がMSGでWWWFジュニアヘビー級王座を奪取

 この年、新日本ではジュニアヘビー級に革命が起こった。藤波辰巳によるドラゴン・ブームである。そのきっかけは日本ではなく、アメリカだった。1月23日、海外遠征中の藤波がニューヨーク、マジソンスクエアガーデン(MSG)に登場。フルネルソンの体勢から相手を後方に叩きつけブリッジするドラゴン・スープレックスを初披露し、カルロス・ホセ・エストラーダからWWWFジュニアヘビー級王座を奪取したのだ。

 藤波は2月20にもMSGでテッド・アダムスを破り同王座防衛。2年9か月におよぶ武者修行を終えた藤波は3・3高崎で凱旋帰国を果たし、マスクド・カナディアン(正体はロディ・パイパー!)にドラゴンで快勝。3日後の越谷では山本小鉄との師弟対決に勝利し、3・30蔵前でメキシカンのカネックと対戦、記念すべき国内でのWWWFジュニア初防衛戦……のはずが、相手が試合前に試合をキャンセルするアクシデント。いわゆる「敵前逃亡事件」である。よってタイトルマッチは中止になり、藤波はこの日2試合目となるイワン・コロフとノンタイトルでのシングルマッチを行いドラゴンで勝利。カネックも事実上のヘビー級だっただけに、元WWWFヘビー級王者からの白星はハプニングを補うには十分、藤波の快進撃を減速させることはなかったのだ。そして5・20秋田では、師匠・猪木とMSGシリーズの公式戦として初対戦。猪木はこのとき、ジャーマン・スープレックスで弟子を粉砕してみせたのだった。

 猪木がバックランドのWWWFヘビー級王座に挑戦、60分戦い抜いた7・27武道館。この日、藤波は国際を退団しフリーとなった剛の挑戦を受けて立ち完勝した。しかしこれは、(とくに剛にとって)新しいライバル闘争の幕開けにもなっていた。その後、藤波はメキシコでレイ・メンドーサを相手にWWWFジュニアを防衛。帰国後、10・20寝屋川ではチャボ・ゲレロも破りベルトを守った。猪木がさまざまな試合で目まぐるしく活躍したこの年、藤波もまた新日本を支えると同時に、ジュニアに新風を吹き込んだのだった。

 対抗する全日本では、1・20帯広でジャンボ鶴田がハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座に挑戦。60分ドローで鶴田の王座奪取はならなかったが、この試合がこの年のプロレス大賞ベストバウトに輝いた。1月の試合が年間最高試合に選ばれたということは、よほどのインパクトが残ったということでもある。その全日本は国際との対抗戦がスタート。第1戦は2・18蔵前でおこなわれ、メインではジャイアント馬場がラッシャー木村にリングアウト勝ち。馬場はこの年の「チャンピオン・カーニバル」も制し、全6回中5度目の優勝を達成した(決勝戦の相手はアブドーラ・ザ・ブッチャー)。5月には力道山の長男・百田義浩リングアナウンサーのレスラーデビューも決定。リック・フレアーが初参戦したのもこの年だった(初来日は73年6月の国際)。馬場のPWFヘビー級王座が国際から全日本に戦場を移したキラー・トーア・カマタに奪われたのが6・1秋田。5年2か月の長期政権にピリオドが打たれた。が、カマタは6・12一宮で初防衛に失敗、ベルトはビル・ロビンソンに移動した。

 夏にはミル・マスカラスの弟ドス・カラスが初来日。8・24田園コロシアムでマスカラス兄弟が馬場&鶴田のインターナショナルタッグ王座に挑戦した。このとき、マスカラスはザ・デストロイヤーから奪取したUSヘビー級王者としてリングに上がっていたが、同王座は9・11岩手で奪回されている。

 11・25では国際の吉原功プロレス生活25周年を記念した「日本リーグ争奪戦」を全日本、新日本も参加して開催(シリーズは11・3小田原で開幕)。最後は木村がプロフェッサー・タナカを破り優勝した(11・30千葉)が、全日本は国際との提携を終了させると発表。その後、国際は新日本との関係を継続させ、新日本12・16蔵前でアニマル浜口&寺西勇が長州力&木戸修組と対戦、のちに維新軍団を結成する長州と浜口の初遭遇となった。

 全日本で前年行われた「世界オープン・タッグ選手権」は「世界最強タッグ決定リーグ戦」に改称して開催。最後は馬場&鶴田組が“前年度覇者”ドリー・ファンクJr&テリー・ファンクのザ・ファンクスを得点で上回って優勝。「最強タッグ」はその後、プロレス界年末の風物詩となっていく。

 全日本女子プロレスが武道館大会を実現させたこの年(8・9、メインはジャッキー佐藤VS池下ユミのWWWA世界シングル選手権試合)、変わったところでは女子プロレスの新団体設立&頓挫という珍事が発生した。日本プロレスの旗揚げシリーズに参戦し国際でも戦っていた清美川が9月25日、ワールド女子プロレスの旗揚げを発表。しかし、延期から消滅……。欧米でも活躍していただけに、実現していたら日本の女子プロはまた違う形になっていたかもしれない。(文中敬称略)

次のページへ (3/3) 藤波と前田の2ショット
1 2 3
あなたの“気になる”を教えてください