アイドル→うなぎ職人に異例の転身 2店舗を経営する30歳・佐倉みきさんの素顔「色物に見られるのは嫌、やるなら本気で」

輝かしいステージから、炭火の煙が立ち込める板場へ。通算約10年のアイドル生活にピリオドを打ち、うなぎ職人へと転身した佐倉みきさん。30歳を迎えた現在は、東京に2店舗あるうなぎ屋「うなぎの佐倉」を自ら切り盛りしている。アイドル時代から一転して単身で鹿児島へ渡り、意外なセカンドキャリアを選んだ、“異例の転身”と現在に迫った。

アイドルからうなぎ職人への意外な転身をした佐倉みきさん【写真:カネコシュウヘイ】
アイドルからうなぎ職人への意外な転身をした佐倉みきさん【写真:カネコシュウヘイ】

通算10年のアイドル生活では自らグループの立ち上げも

 輝かしいステージから、炭火の煙が立ち込める板場へ。通算約10年のアイドル生活にピリオドを打ち、うなぎ職人へと転身した佐倉みきさん。30歳を迎えた現在は、東京に2店舗あるうなぎ屋「うなぎの佐倉」を自ら切り盛りしている。アイドル時代から一転して単身で鹿児島へ渡り、意外なセカンドキャリアを選んだ、“異例の転身”と現在に迫った。(取材・文=カネコシュウヘイ)


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 佐倉さんは東京・西麻布と世田谷で「うなぎの佐倉」を経営している。西麻布の店舗は火曜~日曜の営業で、世田谷の店舗は土曜~日曜の営業のため、週末は両店舗を行き来する生活。営業日以外にも食材の買い出しや仕込み、新メニュー研究、SNSの更新、売上げの計算……と忙しない日々を送り「アイドル時代とは違い、今は早寝早起きです。ときには両手がふさがるほどの大荷物も抱えながら、日々を過ごしています」と笑う。

 2026年3月に「うなぎの佐倉」をオープンする直前、2月までは通算約10年のアイドル生活を過ごしていた。高校時代に出会ったももいろクローバーZなどに影響を受け、いつしか自分も「元気を与えられるアイドルになりたい」と願うように。2015年4月、19歳で愛乙女☆DOLL(らぶりーどーる)のメンバーとして、アイドルデビューを果たした。ただ当時、調理師の専門学校にも通っていたという。

「専門学校2年目のときに愛乙女☆DOLLへ加入し、加入後しばらくして中退しました。高校時代からアイドルを目指していましたがかなわず、いずれは、幼い頃から好きだった料理の世界に進もうと思って進学したんです。でも、夢のアイドルになれたので中退しようと決めて。親は『卒業できなくても、これまでの勉強が身になっていたのならいいよ』と受け入れてくれましたが、学費を払ってくれた申し訳なさもありました」

 歌もダンスも未経験のまま飛び込んだ世界で、必死に汗を流す。努力は実り楽曲ではメインボーカルにまで成長、メンバーとして海外のステージも経験した。しかし、「やり尽くした」との思いで2023年3月にらぶどるを卒業。次は「ゼロからグループを作る側に立ちたい」として、自ら新グループ・未完成のキャラメルを立ち上げる。

 コンセプトを「永遠に向上心を忘れない」と決め、メンバーを自分で集めた。仲がよかった歌の上手な子、「かわいい子がいる」と紹介された友人のつてなど、自ら声をかけたメンバーでグループを結成。2026年2月に自身が卒業するまでの経験で「自分で考えたものを形にして、届けるのは楽しかった。現在のお店づくりや経営にもつながっていると思います」と振り返る。

幼少期から親の家事を手伝い「料理が好きだった」という【写真:カネコシュウヘイ】
幼少期から親の家事を手伝い「料理が好きだった」という【写真:カネコシュウヘイ】

アイドルと並行して修行のために東京と鹿児島を行き来

 アイドル活動は2グループで通算10年。ステージから卒業した当時は30歳で「自分にとって大きな区切りだと考えたんです。かなえられなかった夢もあったけど、最高のアイドル人生でした」と佐倉さん。それ以前から、セカンドキャリアとなったうなぎ職人になるための準備を進めていた。

 未完成のキャラメルに在籍していた当時、2025年5月には所属事務所の協力により東京・高田馬場で自らプロデュースするカラオケバー「ぽんちゃん」をオープン。内装を自分で決め、営業中の企画を考える経験を通して、飲食店経営の楽しさを知った。

 その後、2025年7月にはうなぎ職人になるための修行をスタートする。老舗のうなぎ屋が多いことで有名な地元の埼玉・川越市で、幼い頃から親とよく食べていた思い出をきっかけに「うなぎ職人になろう」と決断。食を通して「人を幸せにしたい」と願った。

「飲食店をやるなら、食材そのものを扱うお店だと思って。うなぎは、地元での思い出もあり運命でした。『元アイドルがやっているうなぎ屋は珍しいので面白そう』とも考えましたが、色物として見られるのは嫌でしたし、やるなら本気で取り組もうと思っていました」

 師匠となったのは、佐倉さんが好きで通っていたうなぎ屋の店主だ。コロナ禍での経営悪化によって東京から鹿児島へ移った店主に「弟子にしてください」と直談判。2025年7~10月にかけて月数回、東京と鹿児島を行き来した。

「さばき方、串打ち、炭火の温度管理、焼き方、タレの作り方……と、うなぎ屋としてのすべてを教わりました。最初はニョロッと動くうなぎにたじろぎ、包丁がうまく入らず『キャー!』と騒いでいたほど(笑)。自宅に帰ってからは工程を復習するために現地で撮った映像を見直し、師匠と自分の動きの違いを研究していました」

 ときには師匠に怒られながらも「負けず嫌い」な性格もあり、自分を奮い立たせて。アイドル活動と並行しながらもメンバーやファンにも内緒で修行を乗り越え「今ならもう、店を出せる」とお墨付きをもらった。

修行時代の厳しくも温かい師匠の指導で“串打ち”も一人前に【写真:佐倉みきさん提供】
修行時代の厳しくも温かい師匠の指導で“串打ち”も一人前に【写真:佐倉みきさん提供】

うなぎ屋の枠にとらわれず、ワクワクしてもらえるお店を

 アイドル時代とは異なり、うなぎ屋のオープンからはすべてを自分で決める日々。集客や売上げの責任も自分にのしかかってくる環境では「いいことも悪いこともすべて自分に返ってくる」と佐倉さんはいう。

「アイドル卒業と共に所属事務所も離れて、スタッフさんがスケジュールなどを決めてくれる環境は恵まれていたんだなと思いました。お店ではお客さんの反応がその場で返ってくることに、やりがいを感じています。鹿児島の師匠には定期的にうなぎのさばき方や焼き方などをビデオ通話でチェックしてもらい、抜き打ちで店舗に訪れることもあるので気を引き締めて営業しています(笑)」

 オープンから半年で、アイドルとしての「佐倉みき」を知っているかつてのファンも応援。うなぎ職人となってからの新規客も増え、SNSでは「うなぎの佃煮が好きだった父が脳こうそくになった」と明かすユーザーから思わぬDMが届き、願いをかなえるべく店舗の商品にはない「うなぎの佃煮」を新たに作った。

「昔から『人を楽しませたい、喜ばせたい』という気持ちが強くて。うなぎ屋ですが、お店では『肉の日』として新メニューの国産牛を使った自家製ローストビーフを出したり、いろいろとチャレンジしています。家族も応援してくれて。プレオープンの日には、うなぎが大好きな母が『おいしい』と言ってくれたし、兄はオープンから十数回も来るほどのリピーターになってくれたんです(笑)。イメージされるうなぎ屋の枠にとらわれず、お客さんにワクワクしてもらえるお店を目指します」

 うなぎ職人としても、経営者としても道半ば。いずれは「元アイドルがやっているうなぎ屋ではなく、おいしいうなぎ屋を調べたらたまたま店主が元アイドルだった」と、認知してもらいたいと目を輝かせる。将来的にはより多くの店舗展開、海外進出も視野に。鹿児島で活躍を見守る「師匠のような存在になれるくらい長く続けたい」と覚悟する佐倉さんは、今日もまた、炭火の煙に包まれながら板場に立ち続けている。

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