T-BOLAN、発声障害・重病を越えて立つラスト8.10武道館…森友嵐士×にしたん社長が語った「濃厚な人間関係」とこの先

1990年代に『離したくはない』『Bye For Now』『マリア』などのヒット曲を連発したロックバンド・T-BOLANが、8月10日に35年間のバンド活動を終了する。同日、東京・日本武道館で「T-BOLAN LAST LIVE FINAL CHAPTER 2026.08.10 NIPPON BUDOKAN This Journey Never Ends」を開催。同公演には、にしたんクリニック(エクスコムグローバルによる運営支援)が協賛する。背景には、ボーカルの森友嵐士と同社長・西村誠司氏との「友情」があった。この機にENCOUNTは2人の初対談を企画。別世界で生きている両者が、T-BOLANの歩み、経営と音楽作りの共通点、人と人との絆などを語り合った。

T-BOLANのラスト公演に向け、対談した西村誠司氏(左)と森友嵐士【写真:増田美咲】
T-BOLANのラスト公演に向け、対談した西村誠司氏(左)と森友嵐士【写真:増田美咲】

35年間のバンド活動に終止符

 1990年代に『離したくはない』『Bye For Now』『マリア』などのヒット曲を連発したロックバンド・T-BOLANが、8月10日に35年間のバンド活動を終了する。同日、東京・日本武道館で「T-BOLAN LAST LIVE FINAL CHAPTER 2026.08.10 NIPPON BUDOKAN This Journey Never Ends」を開催。同公演には、にしたんクリニック(エクスコムグローバルによる運営支援)が協賛する。背景には、ボーカルの森友嵐士と同社長・西村誠司氏との「友情」があった。この機にENCOUNTは2人の初対談を企画。別世界で生きている両者が、T-BOLANの歩み、経営と音楽作りの共通点、人と人との絆などを語り合った。(構成=柳田通斉)

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 初対面は1年半前。森友からのラブコールに西村氏が応え、実現した。

森友「共通の知人がいたので、僕からお願いしました。CM一つとっても、『どうやったら、あんな面白い発想が出てくるのか』と思い、『ぜひ、お会いしたい』と。そして、実際にお酒を飲みながらお話をさせていただくと、物事の本質を突く考え方が面白くて、何時間も語り合っていました」

西村氏「実は私、T-BOLANの大ファンなのでこのオファーがとてもうれしかったんです。森友さんのような才能の塊、良い意味で尖っている本物のアーティストがどんなことを考えているのか、強い興味もありました。本当に心地良い時間を過ごさせていただきました」

 西村氏にとって、T-BOLANは青春そのものだった。

西村氏「私が大学3年生だった1991年頃、T-BOLANの楽曲が自然と耳に入ってきました。『離したくはない』などをずっと聴いていましたね。人間の弱さに寄り添ってくれる歌詞や、心に刺さるメロディー。何より、森友さんの神様から与えられた唯一無二の声質。もう、ずっと魅了されています」

 T-BOLANの歴史は、妥協なき「追求」から始まった。1987年、東海大の学生だった森友はドラムの青木和義から声をかけられ、前身バンド・プリズナーを結成した。音楽プロデューサーの長戸大幸氏が代表のビーイングが主催するオーディションでグランプリを受賞。88年、バンド名をBOLANにあらため、インディーズデビューを果たした。だが、音楽性のズレを感じた森友は、理想を求めてバンドを脱退している。

森友「最高のロックバンドを作るために、妥協できなかったんです。脱退後、5つのバンドを掛け持ちしてメンバーを探す中で出会ったのが、ギターの五味(孝氏)とベースの上野(博文)でした。でも、何かが足りない。そこで気づいたんです。『ドラムはやっぱり、あの青木じゃなきゃダメだ』って。そうして、僕が惚れ込んだ3人と結成したのが『T-BOLAN』です」

友人であり、リスペクトし合う森友嵐士(左)と西村誠司氏【写真:増田美咲】
友人であり、リスペクトし合う森友嵐士(左)と西村誠司氏【写真:増田美咲】

くも膜下から復活、肺がんと闘いながら

 だが、デビューまでの道のりは長かった。

森友「僕は常に『トップシーンに行くしかない』と決めて、長戸さんにも思いを伝えていました。でも、曲を作っても作っても、ずっとボツにされ続けました。ただ、『いい曲を作りたい』。でも、『それが何なのか』が分からなかったんです」

西村氏「心は折れませんでしたか」

森友「折れませんでしたが、悩みました。そしてある日、ふと『これか!』と気づいた瞬間があって、そこからは一切ボツがなくなりました。その時に長戸さんに提出したデモの3曲のうちの1曲が、『離したくはない』です。心にある日記みたいなものに、感じた経験、知っている心模様を描いたんです」

 1991年のメジャーデビュー後、2枚目シングル『離したくはない』をはじめ、『じれったい愛』『Bye For Now』『マリア』とメガヒットを連発し、実質的な活動期間3年半でCD総売上約1700万枚を記録。しかし、95年に森友が「心因性発声障害」を患い、歌えなくなる試練に直面した。99年にバンドを解散。10年以上をかけたリハビリの末、2012年にオリジナルメンバーで再結成を果たした。しかし、試練はそれだけではなかった。

 15年3月、ベースの上野がくも膜下出血で倒れた。意識不明の重体。医師からは「5段階で一番悪い状況」と診断された。

森友「上野は3か月間もICUにいました。くも膜下は意識があっても体を動かせないので、『意識が戻らない』と思われることが多い。その情報を知っていたので、でっかい声で30分間話しかけたんです。すると、上野の目から一筋の涙がこぼれたんです。これが『聞こえてる』の合図でした。で、ベースとラジカセを持って来て『毎日触れさせてください。この曲を流してください』とお願いしました。そっから『指が動きました。腕が上がりました。お尻たたかれました』となっていきました」

 一時は「全身不随」だった上野は、懸命なリハビリを経て16年大みそかに開催の初カウントダウンライブでステージ復帰。これを機に、休止状態にあったT-BOLANは17年夏に完全復活を果たした。

西村氏「上野さん、本当に信じられない精神力ですよね」

 そんな上野は25年7月初めに、「ステージ4の肺がん」と診断された。それでも同10日、T-BOLANは9月13日から全国47都道府県を巡るラストツアーを開催することを発表した。上野は治療を受けながらステージに立つことを選択し、ツアーはそのまま敢行された。

森友「『決心が本当に強いんだな』って思います。彼にとってラストライブがあったことはすごく大きかったですね。あと、練習で失敗しても悔やまないし、ひるまないのも彼の強さでした。何よりライブで今、上野コールが起きていて、センターをあいつに取られてますからね(笑)。それぐらい声援が彼の細胞を活性化して、元気にしてくれてるように思います」

 青木は、2021年8月27日に地元岐阜県での家業を守るための活動休止を発表。以降はステージに立っていない。だが、メンバー間で連絡は取り合い、公式のビジュアルも4人のままだ。

西村氏「今の時代には失われがちですが、僕は濃厚な人間関係が好きです。そういった面もT-BOLANを応援したくなる理由です」

T-BOLANラスト公演のキービジュアル
T-BOLANラスト公演のキービジュアル

森友「音楽は誰かのための何か」

 今年3月26日には、日本武道館「T-BOLAN LAST LIVE FINAL CHAPTER 2026.08.10 NIPPON BUDOKAN This Journey Never Ends」でのT-BOLAN活動終了が発表された。「約束の旅」を今回のツアーで果たせること、(バンドの物語は)いつまでも続くことなど、さまざまな理由から出した決断で、五味の「少年時代から憧れてきた武道館で最後を迎えたい」が決め手に。程なく、西村氏の強い思いでにしたんクリニックの同公演協賛が決まった。

西村氏「森友さんとコミュニケーションを取る中で自然と決まりましたね。武道館が決まった時から、僕はやるつもりでいました」

森友「西村社長には心から感謝しています。このツアーはカウントダウン10ぐらいから、お客さんの熱気がものすごくて、いきなり『ドーン』なんですよ。なので、武道館もどんな景色になるのかワクワクしています」

 2人は別世界で生きてはいるが、森友は音楽、西村は経営のトップシーンに立ってきた。そこで「挑戦をし続けてトップに立つ人に共通するもの」を聞いてみた。

西村氏「私は『優しさ』だと思っています。経営も、社員やお客さまを包み込んで幸せにしていくことが本質です。厳しさも必要ですが、根底に優しさがなければ人はついてきません。森友さんの音楽にも、圧倒的な優しさと温かさを感じます」

森友「僕は『音楽は誰かのための何か』だと思っています。自分のために歌うのではなく、聴いてくれる人の心に寄り添い、力を与えたい。それだけを信じてやってきました。バンドとしてのライブ活動は一つの区切りを迎えますが、僕自身は引退するわけじゃありません。ソロ活動も含めて音楽はやり続けますよ」

 色あせることのない楽曲たち。不屈の精神で試練を乗り越えてきたT-BOLANのラストステージは、ファンの心に熱く、優しく、刻み込まれるに違いない。

□森友嵐士(もりとも・あらし) 1965年10月30日、広島県生まれ。東海大理学部卒。91年、T-BOLANのボーカルとしてメジャーデビュー。『離したくはない』『Bye For Now』『マリア』『じれったい愛』など数々の大ヒットを記録。95年に心因性発声障害を発症し、99年にバンドは解散。約14年の闘病・リハビリを経て奇跡の復活を遂げ、2012年にT-BOLANを再結成。17年から完全復活を果たし、精力的に活動中。

□西村誠司(にしむら・せいじ) 1970年5月20日、愛知・名古屋市生まれ。生活保護を受ける家庭で育ち、名古屋市立大経済学部を卒業後、93年4月、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)へ入社。95年に起業。海外用レンタル携帯電話事業を開始し、2019年ににしたんクリニックを立ち上げ、20年にPCR検査事業を開始。22年から、不妊治療専門クリニック・にしたんARTクリニックを展開中。

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