10年目で手にしたトップレースクイーンの称号 亀澤杏菜が歩んだ紆余曲折「人間不信になったことも」
2015年にレースクイーンデビューした亀澤杏菜にとって、現場に立ち続けることが最初の壁だった。「レースアンバサダーアワード2025」でのアワード受賞は、10年目での悲願となった。業界内ではベテランの域に入ってきた彼女が歩んだレースクイーンとしての道のりとは――。そして、どのようなセカンドキャリアを描いているのだろうか。

「来季を決める」で手一杯だった日々
2015年にレースクイーンデビューした亀澤杏菜にとって、現場に立ち続けることが最初の壁だった。「レースアンバサダーアワード2025」でのアワード受賞は、10年目での悲願となった。業界内ではベテランの域に入ってきた彼女が歩んだレースクイーンとしての道のりとは――。そして、どのようなセカンドキャリアを描いているのだろうか。(取材・文=中村彰洋)
雑誌のモデルを離れ、レースクイーンになるという目標に向かって、パチンコ雑誌のイメージガールの仕事で生計を立てていた亀澤。サーキットという舞台にたどり着いたのは、2015年のことだった。まさに悲願の瞬間だった。
「デビューしたのは23~24歳ぐらいでした。年齢的に遅かったかもしれませんが、焦りは全くなかったです(笑)。当時はどうにかなると思ってやっていましたし、イメージガールの活動も楽しかったので、将来を考えることよりも、今を全力で楽しんでいました」
レースクイーンのキラキラとした姿に憧れを抱いていた。さらにその先の芸能活動にも夢を見ていたが、ひとたび、サーキットの上に立つと、その魅力にどっぷりと浸かっていった。
「私自身も学生時代にバスケに夢中だったこともあって、スポーツ観戦が大好きでした。レースの世界をまったく知らなかったのですが、生でレースを見て一瞬で魅了されました。コンマ何秒を争う世界。すごいプレッシャーの中でチーム全員で戦っているんです。普段見られないような外車を見ることができたり、知っている国産車がラッピングされて、『こんな変わっちゃうの?』という驚きがあったり。音の迫力もすごくて、ワクワクするんです。知れば知るほど面白くなっていきました」
そこからはレースクイーンとして生き残るために必死だった。チームに所属し続けなくては、サーキットに立つことはできない。そんな現実と向き合い続けた。
「初めたての頃は、アワードのような賞レースのすごさすら分かっていませんでした。そんなことを意識する余裕すらもなかったです。レースクイーンは1年ごとに更新や移籍が決まります。まずはどうにかオーディションに受かって、チームに所属しないとレースクイーンの仕事を続けることができない。まずはそこが私の関門でした。最初の5年ぐらいは、チームが決まっても、翌年もサーキットに立つために、とにかく必死でした」

見据えるセカンドキャリア「裏側から支えられるような仕事に携われたら」
経験を重ね、レースクイーンとしての日々が安定してきた頃に、ようやく「レースアンバサダーアワード」といった賞を意識するようになっていった。
「5年前ぐらいからは、私自身も明確に意識するようになっていきました。そういった大きい賞を受賞することで、“トップレースクイーン”という肩書を名乗ることができる。1年の集大成として目指すものに変化していっていました」
「レースアンバサダーアワード」はファン投票のみによるランキング。「選んでもらえるようにSNS活動にも力を入れるようになりました」。そんな努力も実り、2025年には目標とし続けていた念願の「レースアンバサダーアワード」を受賞した。
がむしゃらに走り続けていたら、10年近くの月日がたっていた。ベテランの域に入ってきたからこそ、今回の受賞は、亀澤にとって大きなものだった。
「年齢を感じることも増えてきました。レースクイーンという枠も限られているので、そろそろ後進に譲ったほうが良いのかな、と考えることもあります。でも、受け渡すにしてもアワードなどを受賞して、何か成果を残してからという思いがありました。今回の受賞は、そういった意味でも私にとって、とても大きなものでした。これからは、下の世代を育てる立場になってくると思うので、私が培ってきた経験を受け継いでいきたいです」
2026年もAstemoでアンバサダーを務めている。今年で3年連続での同チームへの所属となる。
「チームによっていろんなカラーがありますが、今のチームは、硬派でレースに全力なんです。私たちのこともとても大切にしてくれています。本当に大好きなチームなので、何か私にできることがあれば、全力で貢献や恩返しをしていきたいです」
自分が目立つことよりも、レース業界を盛り上げたい。そんな真面目な性格だからこそ、たくさんの苦労も経験してきた。
「人間不信になったり、心がボッキボキに折れたこともありました。でもいろんな人に支えてもらって、続けることができています。どんなにつらくても、サーキットに立つと、『あ、私ってこの場所が好きなんだな』と思えるんです」
「私は先のことを考えることは苦手なんです」と笑いながらも、セカンドキャリアを意識するようになってきたとも明かす。
「もちろんこの年齢になってくると、結婚や出産を考えることもあります。でも今は全く予定がないので、レースクイーンを続けています(笑)。いずれにせよ、レースに関わる仕事は続けていきたいです。表で華やかに活動し続けるというよりも、裏側から支えられるような仕事に携われたらいいなと考えています」
モデル活動からスタートした芸能活動。まさか、レースクイーンのトップの地位になっているとは思ってもみなかった。「好きだなと思える仕事に出会えたので、何もムダなことはなかったです」。昔と変わらず、今を全力で楽しんでいる。
□亀澤杏菜(かめざわ・あんな)1991年10月5日、愛知県出身。プリッツコーポレーション所属。中学時代にファッション誌「ニコラ」(新潮社)で専属モデルとして活動。2015年にレースクイーンとしてデビューすると、25年には念願だった「レースアンバサダーアワード2025」を受賞した。24年からは「Astemo」のアンバサダーを3年連続で務めている。
X:@anchiy1005
インスタグラム:@anna_kamezawa
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