『女神転生』生みの親が嫉妬した“ドラクエ旋風” 1バイト削減に命を懸けた過酷な開発環境
1986年、社会現象を巻き起こす一本のRPGが誕生した。それが『ドラゴンクエスト』だ。「ファミコンでRPGは作れない」。そんな常識を覆した同作の登場は、多くのゲームファン、そしてクリエイターに衝撃を与えた。当時、アトラスに入社する直前だったゲームクリエイター・鈴木一也氏もその一人だ。のちに『デジタル・デビル物語 女神転生』を手掛けることになる彼は、『ドラクエ』の登場を悔しさとともに振り返る。

「ファミコンでRPGは作れない」常識を覆した『ドラクエ』への嫉妬
1986年、社会現象を巻き起こす一本のRPGが誕生した。それが『ドラゴンクエスト』だ。「ファミコンでRPGは作れない」。そんな常識を覆した同作の登場は、多くのゲームファン、そしてクリエイターに衝撃を与えた。当時、アトラスに入社する直前だったゲームクリエイター・鈴木一也氏もその一人だ。のちに『デジタル・デビル物語 女神転生』を手掛けることになる彼は、『ドラクエ』の登場を悔しさとともに振り返る。(取材・文=関口大起)
「なんでファミコンでこんなものができるんだって、とにかくショックでしたね」
1986年に発売された『ドラゴンクエスト』(以下、ドラクエ)。後のゲーム史に燦然(さんぜん)と輝く国民的RPGの登場を、鈴木氏はアトラス入社前の浪人時代に体験した。Apple IIで『ウィザードリィ』や『ウルティマ』といった海外製RPGに没頭した経験を持つ鈴木氏にとって、その衝撃は相当のものだったろう。
「ファミコンでRPGを作るなんて絶対無理だって言われていたんです。容量が足りない、セーブ機能がない。なのに『ドラクエ』が目の前に存在している。驚愕でしたよ。で、クソ! やられたと思いました。本当に悔しかった」
PCゲームでしか実現不可能とされていたRPG体験が、家庭用ゲーム機であるファミコンで実現したことへの衝撃。同時に、クリエイターとしての純粋な嫉妬がそこにあった。しかも、『ドラクエ』は“一本道”ではなく、プレイヤーに一定の自由を与えている。鈴木氏はこれを「奇跡」と称した。
だからこそ、鈴木氏が携わった『女神転生』は、『ドラクエ』が開拓した王道ファンタジーの世界とは異なる方向性に進んだのだろう。『女神転生』は『ドラクエ』よりもむしろ、鈴木氏が熱中した『ウィザードリィ』などに近いゲーム性だ。
『女神転生』はダークで現代的な世界観と、敵である悪魔を仲間に引き入れるという斬新なシステムで、独自の地位を築き上げることになる。それは、『ドラクエ』への対抗心と『ウィザードリィ』への憧憬から生まれた、鈴木氏ならではの回答だったのかもしれない。
1バイトを削り出す…ファミコン時代の過酷な開発環境
現代のゲーム開発ではテラバイト単位のデータ量を扱うことも珍しくない。一方『女神転生』の開発当時は、1バイトを削る戦いだった。わずかな記憶容量の中に、ゲームを構成するすべての要素、プログラム、グラフィック、サウンド、そしてシナリオを詰め込まなければならない。
特に鈴木氏が担当したシナリオは、容量との戦いの最前線である。テキストデータを1バイトでも圧縮するため、涙ぐましい努力が続けられた。クリエイターが描きたいな物語とハードウェアの物理的な制約との間で、常にせめぎ合いがあったのだ。
容量の制約は、ビジュアル面にも大きな影響を与えた。
鈴木氏が『女神転生』でこだわった要素の一つに、悪魔のビジュアルがある。美大出身ということもあり、自らラフスケッチを描いてデザイナーにイメージを伝えることもあったそうだ。
「たとえば見た目が女性の悪魔なんかは、仲間にすることも考慮してなるべくかわいく、そしてエロく。最初は全裸でオーダーして、後で内部規制が入ってレオタードを着せられたりもしましたね(笑)」
ただ、そのこだわりをドット絵で表現する際には、やはり容量の壁が立ちはだかる。使える色数もごくわずかに限られていた。そうした厳しい制約の中で、金子一馬氏をはじめとするデザイナー陣は、プレイヤーの記憶に深く刻まれる個性豊かな悪魔たちを生み出していったのだ。
『ドラクエ』が切り拓いたファミコンRPGの地平。そして、そこからまた別の歩行を掘り進めていった『女神転生』。共通するのは、1バイトを削るための地道な作業と、表現への妥協なき情熱だ。その両輪が組み合わさった作品たちが、今もなお人気シリーズとして生き残っている。ファミコン時代のクリエイター魂が、そこには確かに宿っていた。
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