風俗店でくも膜下出血…意識遠のく中で聞こえた「腹上死?」のヤジ 人生一変の漫画家が明かす壮絶半生

突然の病はいつ、誰の身にも起こり得るもの。だが、それが大みそかの夜、風俗店でのプレイ中に訪れたとしたら……。北海道出身の漫画家・中川学氏は、29歳のとき、札幌・ススキノの風俗店でくも膜下出血を発症。生死の境をさまよった経験が転機となり、その後エッセー漫画家としての地位を確立した。代表作「くも漫。」でも描かれた壮絶な体験と、漫画家を志すまでの半生を聞いた。

エッセー漫画家の中川学氏【写真:井上たろう】
エッセー漫画家の中川学氏【写真:井上たろう】

大みそかの夜、風俗店でのプレイ中にくも膜下出血を発症

 突然の病はいつ、誰の身にも起こり得るもの。だが、それが大みそかの夜、風俗店でのプレイ中に訪れたとしたら……。北海道出身の漫画家・中川学氏は、29歳のとき、札幌・ススキノの風俗店でくも膜下出血を発症。生死の境をさまよった経験が転機となり、その後エッセー漫画家としての地位を確立した。代表作「くも漫。」でも描かれた壮絶な体験と、漫画家を志すまでの半生を聞いた。

 中学時代の担任に憧れ、地元・北海道の教育大学を卒業後、一時は教師の道を志したという中川氏。しかし、採用試験は不合格、臨時教員として教壇にも立ったが、仕事への適性が見いだせず、働いてはやめるの繰り返しだったという。

「いわゆる学級崩壊というか、授業を聴いてもらえなかったり、生徒をまとめられなかったり……。つらくなって逃げ出したこともありました」。教員の仕事には数年間携わっていたものの、教壇に立った期間はトータルで1年にも満たないと振り返る。

 採用試験に落ち続けた後は、ニートやフリーターとして職を転々。就職氷河期世代ということもあり、「一度失敗したらもうはい上がれないという空気があった。大学を卒業して、いきなりレールから外れたときにはかなり絶望しましたね。先のことが全く見えなかった」。20代の間はずっと閉塞感を抱えていたという。

 転機が訪れたのは2005年、29歳で迎えた大みそかの夜だった。「そのころは少し仕事を頑張っていて、自分へのご褒美のつもりだった」。訪れたすすきのの風俗店で、人生が一変する出来事に遭遇する。

「すごくきれいな女性が相手で、大喜びでコトに及んだら、イきそうになった瞬間、急にバットで後頭部を殴られたような痛みが走って……。思わず頭を抱えたら、相手の女性はふざけていると思ったみたいで『歯、立てすぎましたか?』と笑いながら聞いてきて。でも、こっちはそれどころじゃない。本当に痛くて、脂汗がダラダラ出て、頭の前の方に生温かいものを感じて……」

 滝のように流れ出る脂汗でフロアに水たまりができる様子を見て、相手女性も表情を変えて救急通報。風俗店がひしめく地元で有名な雑居ビルから担架で運び出されると、ビルの前には人だかりができており「腹上死?」とのヤジが聞こえたという。

 搬送先の救急センターでは、担当の女医が救急隊員に「どこで倒れていたの?」と問うも、隊員は誰も場所を答えられず……。気まずい沈黙の中、女医が「大事なことなのよ? どこで倒れてたの?」と再度訪ねると、観念した隊員の1人が「ファッションヘルスです」と口を割ったそう。「その後、女医さんの対応が冷たくなったように感じました(笑)」。激痛の中でも意識ははっきりしていたと苦笑いする。

急死に一生の体験が漫画家を目指す転機に

 全身麻酔を受けるまで意識を保ち続けたが、搬送中も激しい痛みと吐き気は続いた。検査の結果、脳の血管に生じたコブが、行為中の急激な血圧上昇によって破裂したことが判明。一夜明けた元日、緊急手術が行われた。「先生によると、脳のコブは誰にでもできる可能性があって、破裂しないまま一生を終える人も多いそう。気づかずに過ごしている人もいるそうです」。中川氏の場合、その破裂がよりによって最悪のタイミングで起こってしまったという。

 幸いにも手術は成功し、1月2日には麻酔から目覚めたが、集中治療室での10日間は「痛みと吐き気でかなりつらかった」。退院するまでの1か月間、看護師からは毎朝「あなたの名前は?」「ジャンケンでチョキに勝てる手は何?」といった問いかけが行われ、脳の異変がないかを日々確認された。

「自分が助かったのは、発症してすぐに専門病院に運ばれたことに尽きます。風俗店の近くにたまたま脳外科の専門病院があって、ある意味、ススキノで発症したことが幸いでした。地元の十勝で倒れていたら、助かることはなかったかもしれません」

 死の淵から生還した経験は、漂流していた中川氏の意識を根底から変えた。「いつ死ぬか分からないなら、自分のやりたいことをどんどんやっていかないといけないと思って」。それまで趣味で描いていた漫画を本格的に賞へ応募。なかなか芽が出ない時期が続いたが、北海道の出版社のホームページ上で、エッセー漫画連載の機会を得た。原稿料のないタダ働きでも「載せてくれるならぜひ」とオファーを快諾、少しずつ自信をつけていった。

 33歳のとき、「34歳になったらもう終わり」と自らにリミットを課し、上京を決意。NPO法人「トキワ荘プロジェクト」が運営するシェアハウスに身を寄せ、漫画家の卵たちと腕を磨いた。本来は「30歳以下、3年以内」のルールがあったが、「当時は緩かったので」と最年長で入居。周りとは6歳以上も離れていたが、「ライバルという感じは全然なくて、気軽に映画や漫画の話をして、めちゃめちゃ楽しかった。結局シェアハウスには6年もお世話になりました。緩かったので(笑)」。遅れてきた青春時代を謳歌した。

 2012年、最初の単行本が世に出た2日後、3年ほど闘病していた父が64歳の若さで他界。「これからようやく恩返しができるというときに……という気持ちはありました。一応ギリギリ単行本の出版を報告できたことだけが救いでした」。代表作「くも漫。」の連載が始まったのはそれから2年後の14年。3歳年下で漫画編集者の弟から、新規のウェブ漫画サイト立ち上げを機に、「兄ちゃん、あのすべらない話漫画にしない?」と強い勧めがあったという。「風俗店での発症が恥ずかしくて、誰にも言うつもりがなかったんですが、弟だけは経緯を知っていたので」。しぶしぶ承諾した漫画は、弟の読み通りヒットし、映画化にもつながった。

 48歳時の年収は約200万円。アルバイトはせず漫画一本で生計を立て、家賃4万円のアパートに暮らす。今年2月には自身の婚活をユーモラスにつづった単行本「独りで死ぬのはイヤだ 年収200万円、48歳独身漫画家の婚活記」が出版された。風俗店でのくも膜下出血発症という前代未聞の転機から20年。その不器用に生きざまは、多くの笑いと共感を呼び続けている。

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