「なぜここまで放置したのか」医師が絶句 余命1か月の28歳社長、復帰後に待っていた新たな地獄

自他ともに認める「仕事人間」の28歳若手社長が、それまで不調を覚えながらも無理し続けた末に、創業3年目に倒れた。医師が青ざめ、告げられたのは「余命1か月」。心臓の重い疾患が見つかり、大手術を受けた。車いす生活から懸命のリハビリで復活。だが、待っていたのは、留守を任せた幹部従業員らによる不正行為。さらなる試練だった。40歳の今、健康管理に努めながら、グローバル事業に挑戦。熱血漢の波乱に満ちた半生に迫った。

「余命1か月」を克服した今井敬太社長【写真:本人提供】
「余命1か月」を克服した今井敬太社長【写真:本人提供】

高校卒業から25歳までに21回転職 復帰後に内部調査でまさかの展開に

 自他ともに認める「仕事人間」の28歳若手社長が、それまで不調を覚えながらも無理し続けた末に、創業3年目に倒れた。医師が青ざめ、告げられたのは「余命1か月」。心臓の重い疾患が見つかり、大手術を受けた。車いす生活から懸命のリハビリで復活。だが、待っていたのは、留守を任せた幹部従業員らによる不正行為。さらなる試練だった。40歳の今、健康管理に努めながら、グローバル事業に挑戦。熱血漢の波乱に満ちた半生に迫った。

 住宅設備や建築資材の卸業・オンライン販売などを手がける「九州住宅環境株式会社(日本住宅環境ホールディングス株式会社に3月末までに社名を変更予定)」の今井敬太社長。実家はもともとスーパーを営んでおり、働くことが生きがいの家族を見て育ってきた。高校卒業から25歳までの7年間で、実に21回の転職を重ね、金融関係から建設業界へ転身。若い頃から強い独立志向を持っており、25歳で自分の会社を立ち上げた。

 事業は順調だったが、高校を卒業してから約10年間、毎日2時間睡眠という生活を続けたことで、“仕事の鬼”に異変が生じた。「柔道で鍛えた体に自信があったので、多少の無理は平気だと思っていました」。だが、健康自慢の体は悲鳴を上げていた。激しい偏頭痛、視界のぼやけ、吐き気。次第に左半身にしびれが出てきて、つねっても痛みを感じないほどのまひが進行した。それでも構わず、会社を軌道に乗せるために仕事に明け暮れた。

 28歳の秋、ついに限界が訪れた。仕事中、胸に強烈な痛みが走る。クリニックを受診すると、医師が言葉を失った。発作は毎分40回以上の頻度で襲いかかっていたといい、「なぜここまで放置したのか」と問い詰められた。すぐに国立病院を紹介され、告げられたのは「余命1か月」の宣告だった。

「いわゆる弁膜症で、狭心症などを併発していました。血栓がいくつもできて、記憶が遠のく症状もありました。お医者さんから『がんだったら、ステージ4の末期に相当する』と言われました」。命の危機を知り、思い浮かんだのは、家族の姿。そして従業員や取引先の顔だったという。「悲しいというより、どれだけ家族にお金を残せるか、会社をきちんとした状態で託せるかということばかり考えました」。

 3週間ほどの猶予をもらい、会社の引き継ぎなどを整え、病院へ。十数時間に及んだ開胸手術。当時の最新手法によって無事に成功した。しかし、目覚めた時、がく然とした。足が動かず、自分自身を支えることができなかったのだ。

 入院生活の当初は車いすで過ごした。夜な夜な病室のベッドの手すりにつかまり、片足スクワットを少しずつ繰り返した。最初は足が曲がらず、膝に力を入れることすらできなかった。心折れずにリハビリに取り組み、3か月後、ようやく歩けるように。半年後には日常生活を取り戻した。この頃になると、外出許可を得ながら日中は取引先を訪問し、夜は病室へ戻るという生活になった。個室に移りパソコン作業もこなした。1年半の長期に及ぶ入院生活を終え、職場復帰を果たした。

 だが、カムバック後に新たな地獄が待ち受けていた。療養のため熊本の温泉地に移って仕事を再開させたのだが、会社の経営状況をチェックすると、「どうも資金繰りがおかしい。数字が合わなかったんです」。内部調査を進めると、不正が相次いで発覚。信頼して任せていた幹部や社員5人による横領だった。総額は約3億9000万円。会社は債務超過に陥り、ずっと温めていた上場構想は白紙に戻った。

「病気を乗り越えてここまで来たのに、という思いはありました。でも、ここで負けるわけにはいきませんでした」。裏切りのショックを受けながらも、会社の立て直しに着手。8~9年の歳月を要しながら、不正問題を解消していった。もともとオンラインを導入した非対面型の営業体制などを構築していたため、コロナ禍も“追い風”となり、V字回復を実現させた。

病床で「『おまけの人生を好きにやろう』と心に誓いました」

 心臓手術から12年。体が元に戻ったわけではない。「僧帽弁逆流症による心臓機能障害」として、身体障害者手帳4級の認定を受けている。今も階段の上り下りがつらく、話すスピードは以前よりかなり遅くなり、物忘れも増えた。

 それでも、歩みを止めることはない。多角経営に取り組んでおり、モンゴルに食肉などの日本商品を輸出する海外事業のローンチを見据え、準備を進めている。本業に加えて、若い経営者を育てたいと顧問・コンサル業にも力を注ぐ。

 健康には人一倍気を配る。現在は年1回の病院での精密検査を条件に、投薬をやめている。若い頃は営業の「武器」として大好きなお酒を飲んでいたが、今はほとんど口にしない。毎日2時間のウオーキングを続け、健康管理に努めている。

「でも、ずっと働いちゃって……。術後に初めて休んだのは2年前、コロナにかかった時です。やっぱり睡眠って大事だなと改めて実感しました」。自虐的に話すが、その働き方は従業員には求めていない。なんと同社は「週休3日制」を実現。残業もほとんどないというのだ。売上3~5億円規模を5人で回す効率経営を持続している。「代表がきちんとした仕事の仕組み・環境を作れば、従業員は残業なしで帰れる。プライベートを充実させられる。それが本来あるべき姿です」と強調する。

「自分の人生を言葉で表すと、今までは『逆境』でした。今は楽しむことが自分の生き方になっています」。新たな挑戦となるモンゴルでの事業展開をあれこれ考えるだけで、笑みがこぼれる。

 人生の大事な目標もある。「実は弟を亡くしました。弟の供養のために僧籍(僧侶の登録)を取得しました。僧名は自分の名前と弟の名前を取って『敬浩(けいこう)』です。まだお坊さんの修行中でもあります」と話す。

 壮絶な闘病と仲間の裏切りを乗り越えた波瀾万丈。「やっぱり仕事をしている時が一番楽しいんです。自分が楽しめれば、会社の従業員も、取引先の皆さんも、お客様もみんなが豊かになることができる。手術から目が覚めて、病床で『おまけの人生を好きにやろう』と心に誓いました。それに、仕事をしている以上は、日本一を取りたい。これからどんどん楽しいことをやっていきたいです」と、一段と大きな声で語った。

次のページへ (2/2) 【写真】病魔と闘う若手社長の実際の闘病生活
1 2
あなたの“気になる”を教えてください