山田雅人は話芸家として活躍中 キャリア40年の原点を激白

1980年代後半、関西を中心に人気を博し、俳優としてもドラマ「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)で「おかくら」の2代目板前を好演するなど、テレビやラジオで長きに渡ってマルチに活躍するタレントの山田雅人(59)。彼がライフワークとして取り組んでいる一人語りの芸「かたりの世界」は、2020年に11年目を迎えた。円熟期に入り、さらに磨きをかけた「かたり」を聞かせる唯一無二のエンターテイナー。その原点を2回に渡って紹介する。

山田雅人
山田雅人

山田雅人「かたりの世界」の原点を探るインタビュー(前編)

 1980年代後半、関西を中心に人気を博し、俳優としてもドラマ「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)で「おかくら」の2代目板前を好演するなど、テレビやラジオで長きに渡ってマルチに活躍するタレントの山田雅人(59)。彼がライフワークとして取り組んでいる一人語りの芸「かたりの世界」は、2020年に11年目を迎えた。円熟期に入り、さらに磨きをかけた「かたり」を聞かせる唯一無二のエンターテイナー。その原点を2回に渡って紹介する。

 山田は、8月6日に東京・町田のライブスペースで、緊急事態宣言後初となる有観客+配信の新たな「かたり」に挑戦する。今回のテーマは「伝説の日本シリーズMVP・川崎憲次郎物語」。このイベントの企画者であり「かたりの世界」のファンと公言する作曲家の成瀬英樹が山田を直撃。1回目は、ミュージシャン山田雅人の原点を深掘り。

病弱だった山田少年が出会った病弱な最強馬

成瀬「関西出身の僕らにとって『山田雅人』というタレントは、テレビやラジオの司会から俳優とマルチに活躍するまさに“スーパースター”。そんな山田さんと今回トークライブをご一緒させていただけるなんて光栄です」

山田「成瀬さんが担当されている町田のライブハウス『まほろ座』は、これまで2回出演させていただいて。1回目が立川晴の輔さん、そして2回目はビリーバンバンでした。『白いブランコ』はこうやって誕生したという大先輩の50年の歴史を語りながら歌ってもらうという」

成瀬「山田さんのキャリアのスタートは、フォーク歌手ですから大先輩のビリーバンバンを語るライブは、当時のスタッフに聞くと“伝説の公演”だったと聞きました」

山田「嬉しいですね」

成瀬「今回はタレント・司会・役者・歌手と様々な肩書きを持つ山田雅人のルーツに少し迫ってみたいのですが、子どもの頃の山田さんの憧れはミュージシャンでしたか?それともスポーツ選手?」

山田「僕は競馬の騎手になりたかったんです。馬が好きで馬に乗りたいと思っていました」

成瀬「子どもの頃から競馬を見るのがお好きだったんですね」

山田「親父が好きだったんです。小学生の頃にたまたま京都競馬場に連れて行ってもらい、僕は当時“小児ぜんそく”だったんですが、競走馬にも喘鳴症(ぜんめいしょう)といって、“ぜんそく”のような病気があるってそこで知ったんです」

成瀬「競馬は詳しくないのでそんな病気があるなんて知りませんでした」

山田「1970年に『タニノムーティエ』という馬が、皐月賞とダービーを勝って、クラシック三冠のかかった菊花賞で喘鳴症が出ていたんです。レースを見ていたら、向正面で発作を起こしながら『タニノムーティエ』が先頭に立ったんですよ。そしたら京都競馬場が『ワーッ!』と沸いたんです。3番人気だったんですが結果は8着。でも感動して、僕もぜんそくを治そうと思って。そしたら治ったんですよ。馬からパワーをもらったんですね。ただ当時ビデオもない時代でしたから、1回見たら終わりなんで、『タニノムーティエにもう一回会いたい』って子どもながらに知恵を絞って思いついたのが、自分で実況することだったんです」

成瀬「山田さんの競馬実況は、そこが始まりだったんですね」

山田「はい。『向こう正面タニノムーティエが喉なりの音を聞かせながら上がってくるー』って自分で実況すると頭の中に映像が出てくるじゃないですか。今みたいにYouTubeがあったらそんなことやってなかったですよ」

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