川上麻衣子、21歳から4台乗り継いだサーブは「相棒でした」 明かした車生活との“別れ”

第94回アカデミー賞で国際長編映画賞受賞の快挙を達成した映画「ドライブ・マイ・カー」で注目を浴びているスウェーデン車「SAAB(サーブ)」に特別な思いを寄せる女優がいる。川上麻衣子(56)だ。自身がスウェーデン生まれで縁があるだけでなく、実は21歳から4台も乗り継いだサーブ愛好家なのだ。2017年に消滅してしまった名ブランドの愛車遍歴は華やかな思い出にあふれる。そして、サーブ倒産と共に車生活を“やめた”決断とは。

“サーブ愛”を存分に語った川上麻衣子【写真:STAGE UP STUDIO提供】
“サーブ愛”を存分に語った川上麻衣子【写真:STAGE UP STUDIO提供】

「ドライブ・マイ・カー」で注目のスウェーデン車「サーブ」 ビートたけしとの思い出も

 第94回アカデミー賞で国際長編映画賞受賞の快挙を達成した映画「ドライブ・マイ・カー」で注目を浴びているスウェーデン車「SAAB(サーブ)」に特別な思いを寄せる女優がいる。川上麻衣子(56)だ。自身がスウェーデン生まれで縁があるだけでなく、実は21歳から4台も乗り継いだサーブ愛好家なのだ。2017年に消滅してしまった名ブランドの愛車遍歴は華やかな思い出にあふれる。そして、サーブ倒産と共に車生活を“やめた”決断とは。(取材・文=吉原知也)

 今回のアカデミー賞受賞は喜ばしいことです。予告編から、赤のサーブ(「サーブ900ターボのサンルーフ付き」)がすごく目立っていて気になっていました。恐らく、このサーブ900はちょっと年式が古いんだと思います。サーブのあの独特な後ろ姿が好きで、一番いい時代のサーブなんじゃないかな。すごく懐かしいなと思いました。

 最初に買った車は20歳の時で、イタリアの「アウトビアンキA112」。免許を取ってすぐで、左ハンドルのマニュアルでした。小回りが利く車を中古車で探していて、ホンダも見ていたのですが、フォルクスワーゲン・ビートルやミニ・クーパーもあって。その中で、アウトビアンキが際立っていて、何も分からずに格好だけで選びました。

 翌年の1987年にブルーシルバー色の「サーブ900」に乗り換えました。これが私にとって初代サーブです。アウトビアンキが故障気味で中古車ディーラーに相談していたところ、最初はスウェーデン車のボルボを勧められましたが、先を越されて買われてしまいました。同じディーラーから「それならばサーブがありますよ」と。当時、ボルボはいまのようなエレガントなイメージはなかったんです。スウェーデンでも丈夫な農耕車の印象でした。サーブは上流な感じで、「私にはまだ早い。いつか乗れたら」という憧れだったのですが、値段的に無理のない価格だったので、いきなりサーブになってしまった感じです(笑)。

 サーブの魅力はたくさん。寒い国の車なのでシートが温かくなるのが売りで、イグニッションキーが下(センターコンソール)に付いていて、湾曲したフロントガラスのデザインも独創的で…。走り出しが遅く、踏み込んでもすぐにスピードが出ないのですが、高速に乗った時の安定感は抜群。スピードが出た時に安定するところに優雅さを感じます。“ならでは”が満載なんです。サーブに乗る人は、こうしてうんちくを語りたくなる人が多いのですが(笑)、その欲を満たしてくれる車でもありましたね。

 次はダークグレーの「9000ターボ」。24歳の時で、リースですがようやくの新車でした。私がサーブに乗り出したのは80年代後半で、いま振り返れば、日本でサーブが一番華やかだったのもバブル時代だと思うんです。当時は、BMWに乗るかサーブに乗るかを悩むというほどだったんですよ。芸能界でもサーブに乗っている方がたくさんいて、現場で会って話題になって、サーブが好きという仲間意識が生まれる感じだったんです。

 当時はすごく忙しかったですが、実は、マネジャーを横に乗せて自分で運転して現場に行っていました。それに、あの頃のビートたけしさんと車の思い出があります。ある撮影でたけしさんと入り時間が同じで、私が高速を運転していたら、赤いポルシェが2台走っていたんです。たけしさんはポルシェを自分で運転されて、お付きの方もポルシェを運転して現場に来られていました。私がサーブを運転して来ていることをたけしさんも分かっていらっしゃって、『俺は赤いポルシェでみっともない』と恥ずかしそうに話されて。もちろん、ポルシェはかっこよかったですよ。たけしさんは現場であまりお話をするタイプの方ではないので、車を通した会話ができたことは印象的でした。

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