「倉田がやるなら出る」サモ・ハンが台本見ずに即決した友情…盟友・倉田保昭が明かす香港レジェンドの男気
倉田保昭を語る時、香港映画との関係は外せない。ブルース・リー、サモ・ハン、ジャッキー・チェン。世界のアクション映画を作ってきた男たちと、倉田は同じ時代を生きてきた。映画『夢物語The Living Dragon』(7月17日公開)には、その記憶と現在の関係が込められている。80歳を迎えてなお現役を続ける倉田が、盟友たちとの思い出、アクションが持つ力、そして自身にとっての「ドラゴン」について語った。

ブルース・リー急逝には衝撃「死ぬわけない」香港時代の記憶
倉田保昭を語る時、香港映画との関係は外せない。ブルース・リー、サモ・ハン、ジャッキー・チェン。世界のアクション映画を作ってきた男たちと、倉田は同じ時代を生きてきた。映画『夢物語The Living Dragon』(7月17日公開)には、その記憶と現在の関係が込められている。80歳を迎えてなお現役を続ける倉田が、盟友たちとの思い出、アクションが持つ力、そして自身にとっての「ドラゴン」について語った。(取材・文=平辻哲也)
『燃えよドラゴン』などで知られるブルース・リーは1973年、32歳で急逝した。倉田とは香港時代から交流があった。
「ブルース・リーとウォータールー・ロードという通りをジョギングして、午後4時に走っていて、手を振った。その後、僕は2、3か月たって台湾へ行って、彼は亡くなった。台湾で聞いて、『いや、そんなことないだろう。ブルース・リーが死ぬわけない』と思いました」
香港アクション映画を俳優、監督、武術指導として支えてきたサモ・ハンも『夢物語』に特別出演している。昨年は出演作『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』が日本でも話題となり、改めて存在感を示したばかりだ。倉田にとって、その参加の仕方が何よりうれしかった。
「ちょっと出てくれる、って言える人はなかなかいない。ストーリーがどうなのか、どれぐらいのパートなのか、一切聞かない。倉田がやるんだったら出る、という感じでした」
サモ・ハンはどんな人物なのか。
「男っぽい兄貴分というか。香港でも彼は大物です。ジャッキー・チェンも大物ですけど、サモ・ハンもまた特別な存在です。周りにはいろんな人が寄ってきますけど、彼は誰に対しても分け隔てなく接するんですよね。すごく男気のある人です。」
劇中では、サモ・ハンが門番のような役で登場する。短い場面ながら、傘やデッキブラシを使ったアクションもある。撮影時間を聞いて驚いた。
「1時間ぐらいで終わっちゃうんです。リハーサルはないです」
香港のロケ地にもこだわった。谷垣健治監督は、70年代の雰囲気が残る場所を探したという。
「今はもう変わっちゃって、近代的なものばかりになってしまって。70年代の雰囲気が残っている場所を、谷垣監督が苦労して探した。とてもいい感じの場所で撮影出来ました」
劇中には、ジャッキー・チェンを想起させる場面もある。
「ジャッキーは食事している時でも、何十年も前のことを覚えていたりする。あの気遣いはどこから来るんだろうというぐらいです」
倉田自身は、中国語の読み書きは得意ではない。ただ、会話の理解はできる。
「言葉でしゃべっているのは、ほとんど理解できる。ただ、文字で書いたりができない。細かいことは通訳をつけて伝えます」
それでも関係は続いている。サモ・ハンとは今も毎日のようにメッセージを交わすという。
長く香港映画に身を置いてきた倉田にとって、「ドラゴン」という言葉には特別な意味がある。
「ドラゴンは、まさに雲の上、届かない存在。だけど、ドラゴンはちゃんと見ている。それがドラゴンで、それがブルース・リーなのかもしれない」
香港映画の黄金期を知る倉田は、若い世代にも言葉を向ける。
「やらなきゃ分からない。やって失敗して、その人の価値が出る。何回失敗したっていいんです」
倉田保昭は、自分を「一流ではない」と言う。それでも80歳になった今も現場で動き、後進に背中を見せ、世界の仲間とつながっている。『夢物語The Living Dragon』は、その現在地を映した作品でもある。
■倉田保昭(くらた・やすあき)1946年3月20日生まれ、茨城県出身。日本大学芸術学部演劇学科を経て、66年に俳優デビュー。70年に香港ショウ・ブラザーズ社のオーディションに合格し、香港映画界に進出した。74年『帰って来たドラゴン』の日本公開で「和製ドラゴン」として注目を集める。中国映画『戦神 ゴッド・オブ・ウォー』では香港電影評論学会大奨の最優秀男優賞を受賞。空手七段、柔道三段、合気道二段を持つ。
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