「一流にはなれない人生だったが、これで良かった」 門下生2万人、80歳“和製ドラゴン”倉田保昭が至った境地
80歳になっても、倉田保昭は動いている。映画『夢物語The Living Dragon』(7月17日公開)は、アクション俳優歴60年を迎えた倉田が、自らの歩みと現在地を刻むアクション映画製作プロジェクトだ。監督・脚本には坂本浩一、谷垣健治、下村勇二が参加。倉田を知り、倉田の背中を見てきた後進たちが、それぞれの視点で撮った。本人は以前、「80まではやる」と語っていた。その節目を迎えた今、倉田は何を思うのか。

80歳でも譲らぬアクション魂、「年を取ったから我慢」は失礼
80歳になっても、倉田保昭は動いている。映画『夢物語The Living Dragon』(7月17日公開)は、アクション俳優歴60年を迎えた倉田が、自らの歩みと現在地を刻むアクション映画製作プロジェクトだ。監督・脚本には坂本浩一、谷垣健治、下村勇二が参加。倉田を知り、倉田の背中を見てきた後進たちが、それぞれの視点で撮った。本人は以前、「80まではやる」と語っていた。その節目を迎えた今、倉田は何を思うのか。(取材・文=平辻哲也)
「早いですね」。80歳になった実感を聞くと、倉田はそう笑った。『夢物語』は、77歳の記録として始まった企画でもある。本人の中では、もっと大きな構想もあった。
「最初は『夢物語』を10本ぐらい作りたいなあという感じはあったんですけど、まだ5本しかないです。でも、80歳ですからね。82歳、83歳になったら、さすがにアクションは難しいかもしれない。これからどうしようかなと、いろいろ考えているところです」
今回は、3人のアクション監督がそれぞれの作品を手掛けた。坂本、谷垣、下村はいずれも倉田と縁が深い。だが、倉田はもう彼らを「弟子」とは簡単に呼ばない。
「やっぱり、もう弟子って言えない。彼らは世界で活躍しているし、僕らを超えている。だから『アクションはこうだよ』って僕も彼らに言えない。ただ、やってきたことを話すことはできても、『ここはこうした方がいい』というのは十分彼らも分かっている。逆に任せた方がやりやすいんです。僕に言われると気になるでしょうから。好きに書いて、好きに撮って。俺は言われるままにやりますから(笑)、という感じでした」
撮影は順調に進んだわけではない。下村監督の作品は、スケジュールの都合で一度は難しい状況になったという。
「下村には最初、断られたんです。スケジュールの都合で3月末までは動けないと言われてね。もう無理かなと思ったんですが、待てるところまで待って、ぎりぎりで作品にすることができました。」
その下村作品では、武田梨奈が重要な役割を担った。倉田とは以前に香港のテレビ番組に出演したが、共演シーンはなかった。武田は、倉田の門下生から指導を受けた経験を持つ。
「彼女は僕の元教え子から指導を受けたことがあるんです。サモ・ハンの大ファンで、サモ・ハンが出ているシーンに出たい、という話をしていた。さらに別のルートで、『下村勇二さんと仕事がしたい』という話も聞いていました。」
倉田は、武田のアクションにも目を細める。
「良かったです。いい役者だった。世界はもっと広がると思うんです。ただ、今の日本ではアクションで評価されるのはなかなか難しい時代なのかもしれませんね」
話は、自身のアクションに及んだ。80歳になった今も、倉田には観客に見せる以上、譲れない線がある。
「見せなかったら失礼ですよね。『俺は年を取ったから、このぐらいで我慢してくれよ』っていうのは、エクスキューズになっちゃう。だったら表に出るなって、お客さんに言われると思う。年齢を重ねれば見た目は変わります。でも、アクションで売っているのに、スローモーションでいいかというわけにはいかない」
撮影中に大きなけがはなかった。過去を振り返っても、病気らしい病気はほとんどないという。
「運が良かったんですよ。けがをしても当然とも言える仕事ですからね。当時は捻挫くらいでは、けがのうちに入らないような世界でした。『けがをしました』と言ったら、『それはけがじゃないだろう』と言われるような時代でしたから」
日本人男性の健康寿命は72歳台とされる。80歳でアクションを見せる倉田に、自身の身体をどう見ているのかを聞いた。
「僕は普通の80歳だと思いますよ(笑)」

「できれば90歳くらいまでは元気でいたいですね」
倉田が考える夢は、映画だけではない。
「健康第一。それしかないです。できれば90歳くらいまでは元気でいたいですね。夢なのか希望なのか、自分でもよく分かりませんけど。僕にとっての健康というのは、自分の足でしっかり歩けることなんです。」
後進の育成にも長く力を注いできた。門下生は「2万人ぐらい」と言う。倉田アクションクラブから育った人材が、さらに次の世代を教える。武田のような存在も、その流れの中にいる。
アクションが持つ強みについても、倉田はこう語る。
「この作品も海外展開を視野に入れて企画しています。アクションは肉体表現です。言葉はなくとも伝わる。だからこそ、世界に向けて発信しやすいジャンルだと思うんです」
若い世代に伝えたいことも、変わらない。
「やってみなければ分からないんです。『無理だ』と言うのは簡単だけど、本当に無理かどうかはやってみないと分からない。失敗したっていいんです。その積み重ねがその人の価値になる。成功ばかりでは駄目なんですよ。失敗を繰り返しながら学んでいくことが大事なんです」
自身の人生については、作品の冒頭にあるセリフと重ねる。
「劇中で『一流にはなれないけど、これで良かったんじゃないかな』というセリフがあるんですけど、あれはまさに僕の人生ですね。一流だったとは思っていません。でも、自分なりに精いっぱいやってきたし、『これで良かった』と思えるんです」
80歳でなお、倉田保昭は現場に立つ。動ける限り、見せる。その姿勢は、今も変わらない。
■倉田保昭(くらた・やすあき) 1946年3月20日、茨城県生まれ。日本大芸術学部演劇学科を経て、66年に俳優デビュー。70年に香港ショウ・ブラザーズ社のオーディションに合格し、香港映画界に進出した。74年『帰って来たドラゴン』の日本公開で「和製ドラゴン」として注目を集める。中国映画『戦神 ゴッド・オブ・ウォー』では香港電影評論学会大奨の最優秀男優賞を受賞。空手七段、柔道三段、合気道二段を持つ。
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