「20歳まで生きられない」生後3か月で脳性まひに…それでも口で筆を取ったワケ 重度障がい者の女性画家がつかんだ幸せ
「20歳まで生きられない可能性がある」。画家の山口かほるさんは生後3か月で脳性まひと診断され、体を満足に動かせなくなった。自らの重い障がいを自覚しながら人生の節目を歩み、絵を描くことに生きがいを見出した。頸椎を痛めて口で筆がくわえられなくなると、今度は足で絵を描き続けている。山口さんの前向きな生き方の原動力とは何か。

生後3か月で原因不明の高熱 途方に暮れた母
「20歳まで生きられない可能性がある」。画家の山口かほるさんは生後3か月で脳性まひと診断され、体を満足に動かせなくなった。自らの重い障がいを自覚しながら人生の節目を歩み、絵を描くことに生きがいを見出した。頸椎を痛めて口で筆がくわえられなくなると、今度は足で絵を描き続けている。山口さんの前向きな生き方の原動力とは何か。(取材・文=水沼一夫)
山口さんが自身の障がいについて自覚したのは4歳の時だった。最初はそこまで大ごとと捉えていなかったが、年齢を重ねるごとに、強く意識するようになった。
「小学校に上がる年齢になって、普通学校には通えず、養護学校も義務化されていなかったため、就学することができず、改めて障がいを自覚しました」
体はある程度は動かせたが、歩くことはできない。「お尻で移動していました」。不自由さを感じながらも、近所の子どもたちが来てくれ、遊んだことを覚えている。
発症のきっかけは生後間もない頃の高熱だった。
「3か月を迎えるときに高熱を出し、病院に行っても原因が分からず、母は途方に暮れたようです。2歳の時に東大病院で脳性まひと診断されました」
妊娠中に母が重い病気にかかり、生後3日目には重度の黄疸が出たが、その影響かどうかは分からない。
ある日、母からは「20歳まで生きられない可能性がある」と聞かされた。しかし、山口さんは、突然の告知に動揺しつつも、生きることを諦めなかった。
「ショックだったけど、私が頑張れば生きられると思った」
5人きょうだいの末っ子として生まれた。9歳の時に母が亡くなると、子煩悩だった父も結核で倒れて入院した。面倒を見てくれたのは、他のきょうだいたちだった。特にサポートしてくれたのは14歳離れた長兄の嫁だった。子どもができたタイミングで看護師の仕事を辞め、献身的に介護してくれた。
さらに絵画のたしなみも教えてくれた。義姉の実家は画家の家系で、義姉の父は日本画家だった。義姉の妹も画家で、絵画や芸術に興味のあった山口さんは、口で筆を取り、絵を描くことを始めた。
14歳のとき、児童福祉施設に入所し、家族と離れて3年半を過ごした。早朝4時に起床し、身の回りのことを自力で行った。両手が使えないため時間をかけて朝食を自分で食べ、学校へ行った。最初は不安を抱きながらの生活だったが、「勉強を教えてもらい、友達がたくさんできました」。
さらに転機になったのが、キリスト教との出会いだった。「(障がいに)絶望や悲観はありました。宗教と出会えた(クリスチャンになった)ことが、大きいです」。聖書を読み、教会に何度も足を運び、「神は平等に人を造られた」という信念に強く揺さぶられた。
リハビリの成果でわずかに歩けるようになっていた山口さんは、将来はケースワーカーになりたいと思い、養護学校高等部に通い始める。しかし、養護学校は勉強を学ぶよりも、身の回りのことができるようになることを大切にしていたため、望んでいた大学進学はかなわなかった。ならばと、リハビリテーションセンターに入所して、何か職業を身につけようと思ったが、「あなたの障がいでは職業はとても考えられません」と言われて断念。進路に迷う時期を過ごした。

34歳で結婚…「ケンカするほど仲がいい」 つかんだ幸せ
34歳のとき、障がい者施設で出会った男性と結婚する。夫は51歳で、同じ脳性まひの障がいを持つ仲間だった。
「施設ではよくケンカをしていたのですが、ケンカするほど仲がいいと周りから言われ、一緒に暮らすようになりました。夫は歩くことはできないけど、手の障がいはかなり軽かったので、身の回りのことや簡単な私の介護もしてくれた。車いすでどこでも出かけていく人で、重度訪問介護制度を確立させる運動をしていました」
施設を出て、夫婦2人で暮らし始めた山口さんは、創作活動にも力を入れるようになる。36歳の時に、絵画研究所に入所。「口と足で描く芸術家協会」と接点が生まれ、口で描く画家として生きていくことを決めた。
定期的に個展を開催するなどキャリアを重ねたが、48歳の時、再び試練に襲われる。頸椎損傷で首を手術し、歩くことができなくなった。頸椎損傷は脳性まひの障がい者に多く、首の神経が圧迫されることが原因とされる。長年の制作活動の影響もあった。
もう筆を口にくわえることができない。
「正直、辞めよう、続けられないなと、初めは思いました。しかし、当時は絵画研究所に通っていて、そこでの友人や送り迎えをしてくれる大勢のボランティアがいた。そんな人たちがたくさん励ましてくれ、『辞める』とは言えなかった」
山口さんは、諦めなかった。今度は筆を足でつかみ、キャンバスに向き合った。
「他の方法をと思ったときに、足に筆をとることは自然でした。もともと施設のリハビリで、足袋を履いてスウェーデン刺しゅうをしたことがあり、その他日常生活でも足を使っていることは多かった。最初は、歯ブラシに絵具をつけて足で描いてみたり、右足の親指にマグネットをつけて、筆にもマグネットをつけて描いてみたりなど、絵の先生の協力も得て、いろんな工夫をした。1か月くらいで、口で描いていた時と同じくらい足でも描けるようになり、絵の先生も驚いていた」

現在は一人暮らし 「大勢の人に助けていただいて幸せ」
夫は67歳のときほとんど寝たきり状態になり、介護が必要なことから、山口さんは一人暮らしを始めた。最初はヘルパーやボランティアの確保はもちろん、「引っ越しをしなければいけない時に『障がい者だから』『車いすだから』と断られることが多かった」と苦労もあった。さまざまな経験をし、現在は障がい者の相談員としても活動。「大変なこともあるけれど喜びも多い」と、やりがいを感じている。
山口さんの絵は、猫や花を題材としたものが多い。「かわいいし、猫を飼っているのと、花に囲まれて暮らしているから」とほほ笑む。21日からは絵画展『口と足で描いた絵~HEARTありがとう~』(東京交通会館、27日まで)に『椿』という作品を出展する。「もっと絵を上手に描けるように頑張りたい」と、意気込んでいる。
物心つく前から重度の障がいを負い、数々の困難に直面しながらも懸命に歩み続けてきた。
「長い間、自分の身体が動かないということをつらいと思うことがあったけど、今はそのことで大勢の人に助けていただいて幸せだと思います。脳性まひの仲間たちにも幸せになってほしいです」
山口さんの絵には、明るく、前を向く力が宿っている。
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