ギャルのカリスマ、3日間髪を洗わず“筋盛り”解剖&16kgの過酷減量 うさたにパイセン「ギャルはマジで研究」

「日本ギャル協会」を立ち上げ、ギャル文化の保護と発信に奔走する“うさたにパイセン”こと岩本紗也加。今でこそカリスマとして周囲を照らす彼女だが、そのルーツは意外にも、発言権すらないクラスになじめない子だったという。いじめ、家出、そして16キロの過酷な減量……圧倒的な努力と執念でトップモデルへと駆け上がった「武装」の歴史に迫った。

インタビューに応じたうさたにパイセン
インタビューに応じたうさたにパイセン

図書室に通い詰めた少女が“ギャル”という武装で自信を手に入れるまで

「日本ギャル協会」を立ち上げ、ギャル文化の保護と発信に奔走する“うさたにパイセン”こと岩本紗也加。今でこそカリスマとして周囲を照らす彼女だが、そのルーツは意外にも、発言権すらないクラスになじめない子だったという。いじめ、家出、そして16キロの過酷な減量……圧倒的な努力と執念でトップモデルへと駆け上がった「武装」の歴史に迫った。(取材・文=島田将斗)

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「私が休んでも絶対誰にも気づかれない」。小学生の“うさたにパイセン”は、現在の姿からは想像もつかないほど引っ込み思案だった。

「本当にクラスになじめない子でした。自分のことを発言権のない、空気だと思っていて。気配を消すことが一番の防御で、図書室に通っていました。ずっと2ちゃんねるに張り付いていました」

 そんな小学生の価値観を覆す出来事が起きた。クラスの「1軍」の元気で明るい女の子が学校を休んだ日のことだ。

「その子が休んだら、クラスがすごい静まり返ったんですよ。『えっ、この子一人の力で空気を作れていたってマジすごいな』って。私が休んでも、絶対に誰にも気づかれないレベルだったので」

 それからはテレビなどで見て知っていた屈託なく明るい「ギャル」という存在に惹かれた。少しでも近づきたい。マインドを変えるために徐々に“武装”し始め、小学5年生の頃にはメイクにも挑戦した。中学2年になると、当時はやっていたプリクラ機から出てくる「つけまつげ」を使い、お小遣いをすべてギャルになることへ費やすようになる。

「でも、自分の中のギャルの理想が高すぎて。『自他ともに認められるギャルモデルのような見た目にならないとギャルになってない』ってずっと思っていたんです。だから、足のつま先から頭のてっぺんまで丁寧にファッションして、髪を巻いて、はやりを取り入れて……自分でやっと『ギャルっぽくなったな』と思えたのは高1ぐらいでした」

 図書室にいた地味な女の子が突然派手になると、周囲の目は当然変わった。中学3年時には「内申書に響くから一緒に歩けない」という理由で避けられることもあったという。それでも、彼女がギャルを辞めることはなかった。

「絶対にお姉さん(ギャル)になりたいっていう像があったんです。ピンクのアイテムを1個だけ持ったその日から、ちょっとずつ自信につながっていったんです。すごい地味だった自分が自信を持てるようになったのが、ギャルアイテムや派手なアイテムだったから辞められなくて。ギャルはマジでメンタルを支えてくれます」

モデルデビューまでの道のりを明かしたうさたにパイセン【写真:ENCOUNT編集部】
モデルデビューまでの道のりを明かしたうさたにパイセン【写真:ENCOUNT編集部】

血の滲む努力と執念で掴んだトップモデルの座

 ギャルを目指す過程で、一度道をそれたこともあった。いじめの反動から「絶対に舐められないように強くなりたい」と願い、その強さを履き違えて“ヤンキー”になった。

「地元の子とつるんで、川に生息……川に住んでそこで一夜を明かしたり。スクールバッグ1個で家出とか、ずっとしていて。友達と駅前で2人暮らしをして、東京(福島から)に行ったりしていました」

 親からはもちろん叱られ、メイクをしていた当初は「恥ずかしいから 隣歩かないで」と恥ずかしがられることもあった。しかし、“うさたにパイセン”の人生を劇的に変えたのも、そんな反応をしていた母親の一言だった。

「私が毎月ギャル雑誌を6冊ぐらい買って、バイト代を全部洋服とかメイクに費やしているのを見て、お母さんが『そんなに目指したいなら、読者モデルとかやってみれば?』って言ってくれたんです」

 考えたこともなかった。それまでは大好きな読者の一人。だが、この言葉で「モデルを目指していいんだ」と前向きになった。

「モデルさんをまねすることが楽しいだけだったのに、『なれるかも、なりたいな』と思った瞬間、盲点すぎた夢が明確になりました。そこから、友達との2人暮らしも辞めて実家に戻り、ヤンキー時代に関わっていた子たちにも『一回バイバイ、ちょっと距離置くわ』って話して、誰とも会わずにダイエットを始めたんです」

 当時の体重は52キロ。憧れのトップモデルを目指すため、体に無理を言わせて1年かからず一気に16キロを落とした。

「そのときはやっていた『ビリーズブートキャンプ』や『コアリズム』をやって、おばあちゃん家までの片道13キロを歩いたりして。でも最後は拒食症にもなっちゃって……。メイクも毎日何時間も勉強して、『この日までに絶対に事務所に受かろう、受からなかったら諦めよう』と自分で決めてやりました」

 活動資金を稼ぐため、時給800円の居酒屋バイトを2つかけ持ちした。給料はギャルになるために「全ベット」。ギャルの姿のままで働くことにこだわり、バイトの面接には金髪や盛り髪で挑んでは落ち続け、10か所以上落ちた末にようやく奇跡的に個人店で採用された。

「そこでは、毎日絶対に自分で盛り髪を作って、毎日違う服装で行くって決めたんです。人前に出る練習みたいな感じで。最初はコテで巻いてもすぐ取れちゃって3時間ぐらいかかってました。だから、福島で唯一『筋盛り』(※)ができるお店に、当時のバイト代としては高い2000円を払って通って。教えてもらいながらいろんな角度から写真や動画を撮って、3日ぐらい髪を洗わずに、ちょっとずつ解きながら『どういう構造になってるんだろう』って研究してました。ギャルって、自分でやれるところはやらないとお金がどんどんかかるので、マジで研究なんです」

(※)髪の毛を細い束にし、立体的に盛り上げるヘアスタイル。

 16キロの減量と日常の努力を経て、完璧な髪とメイクで親に写真を撮ってもらい、ついに事務所の面接に挑んだ。「福島からの交通費は出ないが行けるか」「どれだけやる気があるか」、そして何よりも凝ってきた「見た目」を評価され、見事に合格を手にした。

 15歳で専属モデルになる者が多い中、“うさたにパイセン”が本格的にモデルデビューを果たしたのは17歳。業界では「めっちゃ遅咲き」だったという。だからこそ、ハングリー精神も人一倍あった。

「自分が一番頑張った16キロのダイエット企画があって。雑誌のアンケートに、少しでも載りたくて毎回超細かくメールを送っていたら、『読モだけど1ページもらえる』みたいなことになったんです。ダイエット法とかを教えたら、その読モランキングが専属モデルより上になっちゃって。『えっ、何この子?』ってなって、電撃で専属モデルに昇格しました。ただ、『5キロ以上太ったら即クビ』っていう条件付きで(笑)」

 毎日体重計に乗り、お尻に火がつきながらも、彼女にとってそれはつらさよりも喜びが勝っていた。

「なれたことが本当に奇跡だったので、『よっしゃー!』って。ギャルになることは最初親に反対されていました。それでも『読者モデルになれば?』って言ってもらってかなったので、もうめっちゃうれしくて。すごい認められたし、何があっても絶対にモデルは辞めたくないと思ってやってました」

 クラスで気配を消していた少女は、ギャルという“武装”に出会ったことで自信を手に入れ、血のにじむような努力の末にモデルの座を勝ち取った。後編ではそんな“うさたにパイセン”の結婚や離婚、その先に行き着いた現在の田舎生活など波乱万丈な人生にスポットを当てる。

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