湘南乃風は「最後までカッコよく」 SHOCK EYE、架け橋として挑む“終わらない応援歌
レゲエグループ・湘南乃風のSHOCK EYEは、アーティストとしてだけでなく、神社巡り、著書の執筆、写真撮影など、その活動は多岐にわたる。人生の“折り返し地点”に差し掛かっている中で、彼が見据える目標とは――。

目指すは「目の前にいる人を幸せにすること」
レゲエグループ・湘南乃風のSHOCK EYEは、アーティストとしてだけでなく、神社巡り、著書の執筆、写真撮影など、その活動は多岐にわたる。人生の“折り返し地点”に差し掛かっている中で、彼が見据える目標とは――。(取材・文=小田智史)
20歳の時、友人に連れて行かれたジャマイカでの短期留学でレゲエミュージックを知り、以来、レゲエにのめり込んでいった。「26歳までにデビューできなかったら音楽活動をやめる」。20代前半は制作に専念し、区切りの年齢にしていた26歳で湘南乃風の一員としてデビューを果たした。
2006年には『純恋歌』が年間シングルチャートでトップ10にランクインするほどの大ヒットを記録。続く『睡蓮花』もヒットを飛ばし、一躍人気アーティストとして注目を集めるようになった。個人として、ハロー!プロジェクト、WEST.、Fischer’s(フィッシャーズ)など多彩なアーティストへの楽曲提供も手掛けてきた。
2011年頃には占い師・ゲッターズ飯田氏から今まで見た中で1、2を争う“強運の持ち主”と称されたことをきっかけに、「歩くパワースポット」と呼ばれるようになった。今では年間100社を巡るほどの神社好きとして知られ、著書の執筆や写真家としても活動する。
2018年から2年間の活動休止も経験した湘南乃風は、メジャーデビューから23年が経過。個人としても、年齢的に人生の折り返し地点に差し掛かっているなかでSHOCK EYEはどのような目標を見据えているのか。
「音楽家としての自分の“前半戦”を終えて、“後半戦”で言えば、『歩くパワースポット』と呼んでいただく中で、自分の考えや思いをしっかりと伝えられることができて、本当の意味での誰かの背中を押せる存在として人生を終えたい。まずは目の前にいる人を救って、幸せにすることが大きな目標です」

SHOCK EYEは「中途半端」が嫌い
もちろん、湘南乃風としての目標もある。数々のステージに立ち、アーティストとしての地位を築いているからこそ、「与えたインパクトを絶対に裏切りたくない」と思いを口にする。
「湘南乃風の他の3人も個性豊かですけど、彼らにもっともっと影響を与える存在になりたいと思っているし、それによって4人が力を合わせるとさらに大きな力になる。僕はそういうパートを担っていくんだろうなと思っています。僕らの年齢になると、目標はチャートに入る、大きい会場でやりたいとかよりは、人間として何を残すか。『最後までカッコいい人たちだったね』と、彼らの思い出を汚さないように僕たちが頑張っていくことも必要で、根本は僕らが社会に与えたインパクト、勇気、応援を裏切らないこと。僕らが植えた種みたいなのがあって、その人たちがここで花開いてくれれば、もっともっと世の中は良くなると信じています」
“生涯アーティスト”の願望について尋ねると、「アーティストとしていさせてくれるならやっていきますし、もし仮にアーティストじゃないとしても、音楽をペンに変えたり、カメラに変えたり、言葉に変えて、今と全く同じことをしていると思います。ただただ、次世代に伝えていくだけです」と冷静に語った。
最後に、「SHOCK EYEはどんな人物」か、俯瞰した分析を本人に聞いてみた。
「諦めが悪い男(笑)。普通の人が諦めるところを諦めないので、結構迷惑もかけてしまいますけど、最後までやり切りたい、完了させたい性分なんです。それは普段の生活にもにじみ出ていて、何かを途中でやめられない。例えば、待ち合わせ時間が迫っているのに、やっていることがあったら、『もう行かなきゃ!』と切り上げられないんです。僕の遅刻の原因は大体これです(笑)。その分、仕事でも中途半端なことはほぼないですし、『歩くパワースポット』の役目は人生最後までやり切ると思います」
□SHOCK EYE(しょっく・あい) 神奈川県出身。RED RICE、若旦那、HAN-KUNと共に湘南乃風を結成し、2003年にデビュー。幅広いジャンルのアーティストに楽曲提供を行うほか、19年の初著書『歩くパワースポットと呼ばれた僕の大切にしている小さな習慣』(講談社)以降、25年11月に刊行した著書『目の前にいる人を幸せにすることから始めよう』(KADOKAWA)まで、計5冊を上梓している。
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