シーザー武志の酒豪伝説 ワイン31本! VS千代の富士 VS朝青龍の仰天結末

箱根の旅館で酔った前田と高田がケンカして…

――佐山さんがタイガーマスクを83年8月に辞めて、その後、シューティング(現・修斗)を立ち上げられたんですよね

「UWFの始まりだね。その頃にちょうど佐山と会ったんだよ。佐山が新しくプロレスを始めたって、後援会の人に言われてね。はじめは、“プロレス?”って当時俺が持っていたイメージでけげんに思っていたんだけど、『1回だけ付き合って』って言われて観に行ったら、キックボクシング的な蹴りを使ったりしていて、今までのプロレスとは違うなと思って」

――それまであったプロレスのイメージとは違っていたと。

「そう。それで佐山と会って話したら、彼は山口県出身で俺と同郷だったんですよ。それで佐山が通っていたのが山口水産高校っていう学校なんだけど、そこのレスリング部で、確か1年生の時にインターハイで優勝したんだよ。だから普通じゃないんだよね。天才なんだよ」

――高校時代から才能の片鱗が見えていたと。

「うん。だからUWF初期に俺が少しアドバイスしたら吸収するスピードも凄かった。蹴りにしてもそうだし、インパクトはレスラーの中ではナンバーワンだったね。彼はとにかく研究家であり努力家だよね」

――そこに前田さんや高田さんが加わってくるわけですね。

「そう。『一緒に練習させてもらっていいですか?』って言われてね。俺もその頃、ちょうどキックボクシングをやめようかと思っていて暇だったから」

――それはどうして?

「当時のキック団体が私利私欲で分裂を繰り返すばっかりでロクなのがいないと思ったから(苦笑)。カネも払わない、謝りもしない、自分のことしか考えていない。そういうヤツらと一緒に俺の人生を終わらせたくない、と思ったんだよね」

――それでキックを教えていたと。

「そう。でも夜に練習したけど、その後が長いんだよね」

――その後?

「前田や高田らと飲んでいると、もう朝だから。その頃、朝までやっているスナックがあってさ、高田はいつの間にか泣きながら飲んでるし、前田は酔っ払ったまま延々とドラムを叩いてたりね。それ以外にもここでは言えないことがいっぱいあったね(笑)」

――凄そうですね。

「今は言えないような凄いことがたくさんあったし、無茶苦茶だったけど楽しかったね。でも言ったって誰も得しないから絶対言わない。俺は墓場まで持っていくから(笑)」

――墓場まで(笑)。

「でも、彼らとの出会いから、新しい人生が見えてきたね。素晴らしかったですよ、やっぱり。いい思い出。あ、UWFとの酒の思い出が他にもあった」

――何でしょうか。

「前田、高田、山崎一夫……、俺はその時、前田の車で行ったんだけど、箱根の旅館を借りて、朝まで飲んでね。途中まで楽しく飲んでたんだけど酔いが回ってきた時に前田と高田がケンカし出してね」

――理由はなんだったんですか?

「話題になってたのが○○のことでね。高田は有名な猪木信者じゃないですか。前田がUWFの成り立ちから未来について色々な話をするんだけど、高田が『猪木さんがあったから俺たちがいるんだ』って言い出して急に言い合いになってね」

――そんな理由だったんですね。

「そしたら高田が泣き出して、山崎も泣き出して。往生しましたよ(笑)。俺はその話題には触れられないから冷静に飲んでたけどね。みんな溜まっているものがあったんだろうね。でも皆んな本気でぶつかり合って、いい時代でしたよ。思い出として残ってるからね」

□シーザー武志(しーざーたけし)1955年8月17日生まれ。17歳からキックボクシングをはじめ日本タイトルを獲得した後、85年に自ら考案した立ち技総合格闘技「シュートボクシング」を創設。世界ホーク級の初代チャンピオンとなる。プロモーターとしても世界を飛び回り各国に加盟支部を設けるなど現在はシュートボクシング協会会長として組織を統括する。RENAやアンディ・サワーなど人気選手を輩出する一方、自身も三池崇史作品をはじめ映画などに多数出演し異色俳優としても活動している。11月28日、東京・後楽園ホールで「SHOOT BOXING 2020 act.2」を開催する。

次のページへ (4/4) 高田延彦とシーザー武志会長の2ショット
1 2 3 4
あなたの“気になる”を教えてください