【プロレスこの一年 ♯4】「噂のチャンネル」で大人気だったデストロイヤーがマスカラスと対決した46年前の7月25日

今でこそテレビのバラエティー番組にプロレスラーが出演するのは珍しいことではないが、その先駆けが日本人ではなく外国人レスラーというのは意外だろう。激しい戦いとのギャップが笑いを生み出し、ある意味でタレントとしての魅力にもなっている。その先駆けを果たしたのが悪役覆面レスラーのザ・デストロイヤーだ。

ザ・デストロイヤー【Photographer 平工 幸雄】
ザ・デストロイヤー【Photographer 平工 幸雄】

1974年 猪木と小林、20年ぶりの大物日本人対決

 今でこそテレビのバラエティー番組にプロレスラーが出演するのは珍しいことではないが、その先駆けが日本人ではなく外国人レスラーというのは意外だろう。激しい戦いとのギャップが笑いを生み出し、ある意味でタレントとしての魅力にもなっている。その先駆けを果たしたのが悪役覆面レスラーのザ・デストロイヤーだ。

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 デストロイヤーは日本テレビ系の「金曜8時、噂のチャンネル」に73年10月からレギュラー出演。和田アキ子、せんだみつおらとの掛け合いが大受けし、力道山と死闘を展開した“白覆面の魔王”がお茶の間の人気者となったのである。その人気がピークに達したのが、翌年の1974年だ。

 いまから46年前のちょうどこの日(7月25日)、デストロイヤーは同じマスクマンのミル・マスカラスと一騎打ちをおこないUSヘビー級王座を防衛した。ここからデストロイヤーの「覆面十番勝負」がスタートすることとなるのだが、デストロイヤーが国民的人気を博していた74年のプロレス界はどうだったのか?

 2月13日、国際プロレスのエースであるストロング小林が突然の離脱、フリー宣言。保持していたIWA世界へビー級王座を返上し、ジャイアント馬場とアントニオ猪木への挑戦を表明した。これに応えたのが猪木の新日本だった。新間寿営業本部長が小林の自宅に通い連日の交渉、25日に両者の対戦が正式に決定した。「力道山VS木村政彦」以来、20年ぶりの大物日本人対決と言われた一戦は3月19日、蔵前国技館にキャパシティーを遥かに越えるファンが詰めかけ、異様な雰囲気に包まれた。試合は、猪木が小林のカナディアン・バックブリーカーを切り返しバックドロップからのジャーマン・スープレックス・ホールドで勝利。フィニッシュのジャーマンで猪木の爪先が宙に浮いた場面は、今でも語り草になっているほどだ。

 猪木はこの年、大木金太郎との一騎打ちも実現させた。8月30日、日本マットを離れていた大木が新日本の会場に姿を現わし、9月10日には名古屋のリング上から猪木との対戦をアピールしたのだ。試合は10月10日の蔵前で実現。猪木がカウンターのパンチからバックドロップを見舞い、完全勝利。大木のヘッドバットを耐え抜いたこの試合もまた、小林戦に続く大物対決での名勝負だった。

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