野々村真、初代いいとも青年隊から42年…羽賀研二、久保田篤に感謝「生命力の強さは変わらない」
タレントの野々村真が、6月24日に還暦を迎えた。1982年に羽賀研二、久保田篤と組んだ初代いいとも青年隊でデビュー。以来、“いじられキャラ”としてお茶の間を楽しませている。今春、出演してきたTBS系『日立 世界・ふしぎ発見!』が38年間のレギュラー放送を終えた。直後、野々村はシニア向けの最先端プロジェクト『AI野々村真』を発表し、話題になった。芸能生活42年。ENCOUNTは野々村に
出会いと学びの芸能生活を振り返る
タレントの野々村真が、6月24日に還暦を迎えた。1982年に羽賀研二、久保田篤と組んだ初代いいとも青年隊でデビュー。以来、“いじられキャラ”としてお茶の間を楽しませている。今春、出演してきたTBS系『日立 世界・ふしぎ発見!』が38年間のレギュラー放送を終えた。直後、野々村はシニア向けの最先端プロジェクト『AI野々村真』を発表し、話題になった。芸能生活42年。ENCOUNTは野々村に初代いいとも青年隊、タモリ、黒柳徹子との思い出を聞き、愛され続ける理由に迫った。(取材・文=福嶋剛)
野々村は今年、国内外の企業9社が立ち上げたAIに関する共同プロジェクトに参加。自身の情報をインプットとしたAIキャラクター『AI野々村真』が誕生し、シニア向け介護施設などで現在、実証実験が行われている。今回、昔の記憶をたどる作業を通し、初代いいとも青年隊だったころの思い出が鮮明によみがえったという。
「僕は当時、右も左も分からない新人でした。番組を放送していた新宿スタジオアルタにいる出演者やADさんの中でも一番若かったんです。ケンジ(羽賀)さんとアツシ(久保田)さんは、僕の3つ、4つ上で芸歴も5年くらい先輩でした。パッと出の僕とは違って2人は苦労してつかんだポジションでした。なので、先輩後輩の上下関係はしっかりしていて、合宿所では末っ子だった僕が2人の飯を作ったり、身の回りのお世話をしていました」
画面からは伝わらない苦労もあったというが、「2人と出会ったからこそ今の自分がいる」と打ち明けた。
「アツシさんは福岡出身でケンジさんは沖縄出身。ともに負けん気が強くて、よく2人がケンカをすると末っ子だった僕がそれぞれの部屋を回り、『もう、いいじゃない』って仲裁役をやっていました。反対に僕がミスったときは『お前たちが見てないからダメなんだよ』って、僕の代わりに先輩2人がディレクターに怒られる役でした。本当の弟みたいにしかられては、ご馳走になっていました。そして、2人を見ながら『こうすれば褒められる』『これをやったら怒られる』という業界のルールを自然と学びました。いいとも青年隊は、芸能界の教科書でした」
あれから42年、今は久保田も羽賀も別々の道を歩んでいる。
「それぞれ違う道で頑張っていますけど、やっぱり、先輩たちの『生命力の強さは変わらないな』って思います。今でも2人には感謝しています」
羽賀と久保田にはしかられたが、タモリには現場で1度も注意されることはなかった。
「タモリさんは、テレビのまんまの方です。いつもお茶目で、僕だけじゃなくて青年隊の3人は怒られたことはなかったと思います。でも、(明石家)さんまさんは、アルタによく遅刻してきたので、それだけは怒っていました。さんまさんは遅刻するといつも子どもでも言わないような言い訳でごまかすから、ある日、タモリさんが『さんまをドッキリにかけよう』と言って、全員で仕掛けたことがありました。本番前にいいとも青年隊の3人が遅刻をしたということにして、さんまさんが入って来るタイミングで、タモリさんの前で僕たちが正座をする。竹刀を持ったタモリさんが僕たちを怒鳴り散らすというドッキリでした」
さんまがスタジオに入ってきた瞬間の顔は、今でも忘れられないという。
「さんまさん、表情が一変してそのまま楽屋に戻っちゃったんです。すぐにみんなで楽屋まで追いかけると、さんまさんは青ざめた顔をしていておびえていました。その姿を見ながら、タモリさんも僕たちも大笑いしました」
いいとも青年隊の3人は、タモリの家に招かれたこともあったという。
「タモリさんは1年のうち正月しか休みがなくて、僕たち3人はすき焼きをご馳走になったんです。僕らは『こんなうまい肉食べたことがない』と言って、タモリさんが戻ってくる前に肉を全部食べちゃったんです。ケンジさんなんかテーブルに卵をこぼしちゃうし、タモリさんが戻ってくると、ちょっと顔が怖かったですね。奥さまが『お肉を追加しましょうか』と言ってくださったんですが、『もういい!』って(笑)。タモリさんに怒られたのは、その1回だけでしたね。その後は映画館みたいなすごい部屋で『トップガン』を見たり、庭でタモリさんと羽根つきをしたり。忘れられない思い出ですね」
初代いいとも青年隊でスタートした“いじられキャラ”は、その後、『日立 世界・ふしぎ発見!』へと受け継がれた。番組が38年間続いた理由を聞くと、野々村はレギュラーメンバーの黒柳、板東英二、草野仁らの名を挙げ、「先輩たちとの仲の良さもあったのでは」と話した。
「『世界ふしぎ発見!』は、板東さんがお父さんで、黒柳さんがお母さん、草野さんが親せきのおじさまみたいな関係で、僕はサザエさんでいうところのカツオみたいなポジションでした。ゲストも含めて出演者のほのぼのとした関係とかバランスの良さが視聴者のみなさんにも伝わったのかなって思います」
野々村は、黒柳との思い出も語った。
「黒柳さんは、本当に僕にとって『芸能界のお母さん』みたいな存在なんです。でも、それを言うと、『私はあなたのお母さんじゃありません!』ってよく怒られるんですよ(笑)。若いころはテーブルマナーも教わりました。レストランでスタッフと打ち合わせがあると、僕が何も知らないと思ってフォークとナイフの使い方から教えてくれるんです。『これはフィンガーボールだから、飲んじゃダメよ』って言われて、『それはさすがに知ってますよ』って(笑)。ある日、しゃぶしゃぶ店で一緒に食事をしていたとき、たまたま手が滑ってお肉を鍋の端に引っ付けちゃったんです。そしたら、黒柳さんは、僕がしゃぶしゃぶの食べ方を知らないと思ったんでしょうね。『もう、鍋に手をつけちゃだめ』と言いながら、全部を取り分けてくれました」
マイブームは「韓流ドラマ」「80年代のアイドルソング」
そんな先輩だけでなく、今もさまざまな場所で活動を続けている同期の仲間たちからもたくさんの刺激をもらっている。昨年12月、西山浩司、伊藤かずえ、田中美奈子ら1980年代に活躍した仲間たちと、東京・六本木のディスコで当時のイベントを再現する『タイムスリップパーティー』を開催した。野々村は、初代いいとも青年隊の赤い衣装で登場。『笑っていいとも!』の番組テーマ曲『ウキウキWATCHING』をあの頃と変わらない振り付けで歌った。中盤のディスコタイムでは客席まで下り、汗びっしょりになりながら、観客と一緒に歌い踊った。
「80年代をともに生きてきたお客さんと一緒に遊んでいたら、僕たちも青春時代を思い出して自然と体が動いたんですよ。やっぱり、そういう気持ちって大事ですよね」
終演後も同世代の仲間たちと懐かしい話で盛り上がったという。
「そこが僕たちの仕事の良いところなんです。久しぶりに顔を合わせて『ちょっと、年を取ったんじゃない?』なんて冗談を言い合って、その後、ステージに立っている姿を見ると、『全然、変わってない!』って」
あらためて芸能活動42年間を振り返ってもらうと、「僕はラッキーだっただけ」と語った。初代いいとも青年隊がきっかけでタモリと出会い、そこで生まれたいじられキャラが『世界ふしぎ発見!』につながった。そして、そのキャラクターは『AI野々村真』へと受け継がれた。
「黒柳さん、タモリさん、いいとも青年隊、同期の仲間たち。幸運にもたくさんの人たちとの出会いがあり、そこから学ぶことも多かった60年で『この仕事を選んで良かった』って心からそう思います。だからといって、『還暦』という言葉には惑わされないようにまだまだ気持ちも体力も若くいたいですね」
自身のYouTubeチャンネル『オッサンず苦LOVE』も3年目を迎え、テレビとは違う一面を紹介している。普段の生活を聞くと「韓流ドラマと80年代のアイドルソングにどっぷり浸かっています」と答えた。
「今はずっと韓流の恋愛ドラマばっかり見ています。下克上な展開も大好きで、やっぱり、純愛ドラマは最高です(笑)」
□野々村真(ののむら・まこと) 1964年6月24日、東京都生まれ。82年にフジテレビ系『笑っていいとも!』で初代・いいとも青年隊としてデビュー。その後、TBS系『日立 世界・ふしぎ発見!』、メ~テレ『アップ!』、ABCテレビ『おはよう朝日です』、フジテレビ系『バイキングMORE』などのバラエティーや情報番組にレギュラー出演。2021年には、公式YouTubeチャンネル『オッサンず苦LOVE』を開設し、幅広く活動中。趣味はフルマラソン、釣り、ゴルフ、マジック。
野々村真Youtubeチャンネル「オッサンず苦LOVE」:https://www.youtube.com/@NonomuraMakoto/