祖父の英語どうやって? 孫の問いに衝撃の説明「インパール作戦の生存者ってだけで凄すぎる」

農家の祖父が熊野古道で道に迷った外国人をすらすらと案内……。どこで英語を身に付けたのだろうか? そんな疑問をぶつけると祖父から驚きの回答があった、との投稿がネット上で大きな話題になっている。投稿したTaka/医療SaaS CFO from pro fi/arm(@taka_cfo)さんに詳しい話を聞いた。

祖父から英語力について衝撃の説明が…(写真はイメージ)【写真:写真AC】
祖父から英語力について衝撃の説明が…(写真はイメージ)【写真:写真AC】

「インパール作戦の生存者ってだけで凄すぎる」

 農家の祖父が熊野古道で道に迷った外国人をすらすらと案内……。どこで英語を身に付けたのだろうか? そんな疑問をぶつけると祖父から驚きの回答があった、との投稿がネット上で大きな話題になっている。投稿したTaka/医療SaaS CFO from pro fi/arm(@taka_cfo)さんに詳しい話を聞いた。

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「私の祖父、熊野古道で迷ったりした外国人を道案内していたんだけど、純ドメ農夫なのに英語ペラペラなのが不思議だった。

気になって『どうやって英語を身に着けたのか』と聞いたところ、『インパール作戦に参加しミャンマーのジャングルで赤痢で倒れていたところイギリス軍に発見され、1年ほど捕虜として過ごし、その時に身に付けたとのこと。(回復まで半年を要したが、それまでに医者や看護婦とやり取りをするのに必死になるうちに覚えた)既に終戦していたこともあり、人道に反した扱いは受けなかったため、かつては銃弾を撃ち合った仲たが、イギリス軍には感謝している、とよく話していた」

 3月12日、TakaさんがXに投稿すると、瞬く間に投稿は拡散。「インパール作戦の生存者ってだけで凄すぎる」「この物語で映画が作れるかもしれない」「よくぞご無事で」「やっぱり必死な環境におかれると覚えるのね」「ある意味奇跡ですね」など驚きの声が相次いだ。

熊野古道【写真:写真AC】
熊野古道【写真:写真AC】

体中に傷や弾痕…祖父が風呂で語ってくれた経緯

 なおもTakaさんは、祖父に思いをはせた。

「幼いころ、一緒にお風呂に入るたびに体中の傷や弾痕を見せながら、それらができた経緯を話してくれた。当時の私は『おじいちゃん戦争で大変だったんだなあ~』くらいの感想だったが、後に日本史の授業でインパール作戦を学び、その全体像を知りショックを受けた」

 インパール作戦は第二次世界大戦終盤に日本陸軍により決行された。イギリス領インド帝国の都市インパール攻略を目指したものの、「地獄のインパール」「白骨街道」と呼ばれるほど凄惨を極め、日本は戦死・病死・餓死を合わせて多くの犠牲者を出した。補給が途絶える中、感染症が流行するなど環境は劣悪だった。

 激戦地から生還したことだけでも驚きなのに、祖父は敵地で治療を受ける間に英語を吸収した。医療従事者とのやり取りに言葉は不可欠だったとはいえ、決死の思いで日々を過ごしたことは想像にかたくない。

 Takaさんは祖父に英語のことを尋ねた時期について、「私が小学校中学年くらいだったと記憶しています」と述懐。農業に汗を流す一方で、外国人を案内している姿は目に焼き付いており、「農作業中だったこともあり、淡々と対応していました」と続けた。

名所・那智の滝【写真:写真AC】
名所・那智の滝【写真:写真AC】

元軍人らしい最期「とうに死んでいたはずなのに…」

 約20年前に他界。大病を患ったが、祖父は「戦争でとうに死んでいたはずなのに生かして貰った」と言い、治療を拒んだという。

 Takaさんは幼い頃から農業を手伝い、祖父の背中を見て育った。ともに将棋を指すなど思い出も多い。

「『身体が資本』を体現している方でしたので、私も健康には気を使っています。また、影響を受けた、というわけではありませんが、農地を相続したので農業はできる範囲で継続しております」と事業を継承している。

 投稿は大きな話題になり、祖父のたくましく強じんな生き方が多くの人に知られた。

「戦争の記憶は時代とともに薄れていきますが、こうやって語り継いでいくことはできます。また、皆さんに投稿を見ていただき、祖父も喜んでいると思います。反響が落ち着いたら、皆様からいただいたコメントを印刷して墓前に飾れたらいいなと思っております」とTakaさんは結んだ。

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