市川猿之助被告「生かされた自分に、これから何ができるか考えていきます」【コメント全文】
両親の自殺を手助けして死亡させたとして、自殺ほう助の罪で起訴された歌舞伎俳優・市川猿之助(本名・喜熨斗孝彦)被告の判決公判が17日、東京地裁で開かれた。猿之助被告は懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を言い渡された。これを受け、猿之助被告本人が松竹の公式サイトでコメントを発表した。
「事件後も、死んでしまいたい、と思うことも」
両親の自殺を手助けして死亡させたとして、自殺ほう助の罪で起訴された歌舞伎俳優・市川猿之助(本名・喜熨斗孝彦)被告の判決公判が17日、東京地裁で開かれた。猿之助被告は懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を言い渡された。これを受け、猿之助被告本人が松竹の公式サイトでコメントを発表した。
以下、猿之助被告のコメント全文。
本日、裁判所から、懲役3年執行猫予5年の判決の言い渡しを受けました。失意のどん底で決意したこととはいえ、常に自分を見守ってくれた父と母を巻き込んでしまったこと、そして、歌舞伎界を含め、多くの皆様に治癒し難い傷を負わせてしまったことに対し、言い表せない罪を感じています。
自分の記事が世に出るとき、そのこと自体により、四代目猿之助を継承した自分が「猿之助」という名前のみならず歌舞伎界という大きな伝統と文化に対し深い傷を与えてしまうこと、また成長を歩み続けている猿之助一門のみんなを暗闇の中に放り出すこと、その現実の大きさから自死を選んでしまいました。どん底の中で生き長らえることを選ばなかった自分の弱さを責めるしかありません。たとえ生活の場を失ったとしても、次の日を信じて静かに待つべきでした。生きることを諦める気持ちになったとき、自死を成し送げることだけを考えていました。自分の精神状態の異常性すら理解できない状況に宿っていました。
「あなただけ行かせるわけにはいかない。」という両親の言葉も自然に受け止めてしまっていました。来世に向かう両親の身支度をし、そして、自分の終止符へと向かいました。
自分一人で抱え込まず、周囲の人に自分の不安や絶望を相談するべきでした。ただ、当時の自分は、自分の立場もあり、他の人には自分の気持ちは理解できないだろうと考え、また、周囲に弱みを見せることもできませんでした。
事件の日から今日まで生きてきました。毎日、あの日のことを思い返してきました。私だけが生き延びてしまった、父と母に申し訳ない、そういったことを考えていました。事件後も、死んでしまいたい、明日命が終わっていないか、と思うこともありました。しかし、周囲や病院関係者の助けのおかげで、事件のときほど真に迫った自死の思いが生じることはありませんでした。
「最後に何か言いたいことはありますか。」という裁判官の言葉に対し、「自分にできることがあればやらせていただきたい。」と答えました。
今後は、生かされた自分に、これから何ができるか考えていきます。
これからは、一人で抱え込まずに、自分の弱さも自覚し、周囲の方々に相談し、助けていただきながら、一日一日一生命に生きていこうと考えています。本当にご迷惑をおかけしました。
起訴状によると、猿之助被告は父で歌舞伎俳優の市川段四郎さん(当時76)と母・延子さん(同75)の自殺を手助けし、5月17日、東京・目黒区の自宅で向精神薬を服用させ、17~18日に死亡させた罪に問われていた。
10月20日の初公判で、検察側は懲役3年を求刑。弁護側は松竹や親族らからの4通の上申書を提出し、執行猶予付きの判決を求めた。猿之助被告は起訴事実を認めた上で、両親を死なせた後悔と反省を述べると同時に歌舞伎に復帰したい意向を示していた。