田村淳「本当はバンドやりたかった」 芸人の道に進んだ理由 吉本興業では先輩から苦言

お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村淳が10日、都内で行われた公益財団法人公益推進協会 アディーレ未来創造基金「#奨学金返済 支援プロジェクト」の記者発表会に出席した。

イベントに登壇したロンドンブーツ1号2号・田村淳【写真:ENCOUNT編集部】
イベントに登壇したロンドンブーツ1号2号・田村淳【写真:ENCOUNT編集部】

小学校の頃、とんねるずに憧れて芸能界へ

 お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村淳が10日、都内で行われた公益財団法人公益推進協会 アディーレ未来創造基金「#奨学金返済 支援プロジェクト」の記者発表会に出席した。

 小学校の頃、とんねるずに憧れて芸能界を目指すことになった田村。吉本興業に所属し、お笑い芸人として活動スタートさせたが、本来はバンドでデビューしたかったことを紹介した。

 田村は「最初はバンドをやりたくて、バンドをやっていた。でも、僕の憧れのバンドマンがラジオで『本当にやりたいことは職業にしないほうがいい。2番目に好きなものを職業にするのがいい』と言っていて、テレビに出るってことに切り替えられた」と語った。

 その後、芸能界で憧れのバンドマンと対面。その際に「あなたの『2番目にやりたいことをやれ』という助言でいまここに立っています」って伝えたところ、「いや絶対1番目にやりたいことやったほうがいいよ」と言われ、「衝撃を受けましたね」と苦笑した。

 田村はビジュアル系バンド・jealkb(ジュアルケービー)を結成し、デビューを果たす。「大人になってバンドを組んだのは高校生の頃やりたかった夢をもう一度ってことで……」と説明した。

 お笑い芸人だけでなくバンド活動など、さまざまなことに挑戦した田村だったが、吉本興業の先輩芸人からは「お前は吉本に入ったのに何をやりたいんだ」「芸人はこうあるべき」などと苦言を呈されることも多かったという。

 そんな時、植松電機の社長・植松努氏に出会い、「夢はたくさん持てるだけ持ったほうがいい。その夢をたくさんの人に語ったほうがいい。成功体験を聞くことでもっと夢に近づけるよ」と言葉をかけられた。田村は「理解できない人もいるけど、僕は自分の夢に忠実に生きられるようになったのは植松さんの言葉が大きい」と明かした。

 アディーレ未来創造基金は、奨学金返済を要因とする経済的不安があることで留学や転職、起業など夢の一歩を踏み出せずにいる若者を支援するプロジェクト。会見にはモデルでタレントの貴島明日香、同プロジェクトのイメージキャラクターを務める白本彩奈も参加した。

トップページに戻る

あなたの“気になる”を教えてください