「びっくりドンキー」の原点… 13坪のお店に込めた想い「小さな店に人の心の美しさを一杯に満たそうよ」

子供から大人まで、幅広い層から人気のハンバーグレストラン「びっくりドンキー」は、食を通じて社会へお役立ちすることを目指し、日々様々な取り組みを行っている。そんなびっくりドンキー歩みの始まり、その原点を紹介する。

幅広い層から人気の「びっくりドンキー」レギュラーバーグディッシュ
幅広い層から人気の「びっくりドンキー」レギュラーバーグディッシュ

1号店は、1968年12月に岩手県盛岡市にオープン

 子供から大人まで、幅広い層から人気のハンバーグレストラン「びっくりドンキー」は、食を通じて社会へお役立ちすることを目指し、日々様々な取り組みを行っている。そんな「びっくりドンキー」歩みの始まり、その原点を紹介する。

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「びっくりドンキー」の1号店は、1968年12月に岩手県盛岡市にオープンした、ハンバーガーとサラダのお店「べる」。創業者の庄司昭夫氏は、当時ハイカラだったハンバーガーに魅力を感じ、仲間が営んでいた専門店での修行を経て「べる」を誕生させた。

 わずか13坪の、そのこぢんまりとしたお店には、戦前から戦後にかけて活躍した商業指導家・経営思想家である岡田徹氏の「岡田徹詩集」より、「小さな店であることを恥じることはないよ。その小さなあなたの店に人の心の美しさを一杯に満たそうよ」という言葉が掲げられ、今でも多くの「びっくりドンキー」の店舗に、“道しるべ”として掲示されている。
 
 こうしてスタートを切った「べる」に、早くも試練が訪れる。それは、アメリカの某大手ハンバーガーチェーン店の日本進出への噂。この話を耳にした創業者の庄司氏は、開業から3年後の1971年に、ハワイへ視察。その際、現地にて本場のハンバーガーには敵わないということを実感し、帰国後にハンバーガーショップからワンプレートのハンバーグ店に方向転換を決意したという。

 大きな方向転換をする中で目指したのは、「ハンバーグの和定食」というスタイル。ハンバーグをお箸で切れる柔らかさにしたり、ごはんとみそ汁に合うようにソースを和風の醤油ベースにするなど、様々な試行錯誤を経て、ハンバーグ、ごはん、サラダを一つのお皿に盛り付ける、日本人に馴染み深い定食スタイルが完成した。

現在の「びっくりドンキー」の店内(大阪府 千日前アムザ店)
現在の「びっくりドンキー」の店内(大阪府 千日前アムザ店)

すべてはお客様に「びっくり!」してもらうため

 メニューの方向転換以降に開店した新店舗では、「手作りの温かさを表現したい」という想いの下、スタッフ総出で内装を手掛けることもあったという。店舗ごとにテーマを決め、お店を訪れた人が楽める趣向を凝らした工夫は、「びっくりドンキー」ならではの「独創的な店づくり」の原点として、今もなお受け継がれている。

 こうした試みを繰り返しながら、1980年には「びっくりドンキー」の店名で1号店が誕生し、徐々に全国へと展開。「びっくりドンキー」という名前には、決してカッコいいとは言えないけれども、一生懸命に頑張るイメージがあるロバにちなみ、「のろまでもいい、たくましく育って欲しい」という願いが込められている。命名したのは、たくさんの人をニコニコさせ、楽しませることが大好きだった庄司氏本人だった。

 食の提供を通じて、社会へのお役立ちを目指す「びっくりドンキー」の歩みは、「べる」で始まった取り組みを原点に、「安全・安心で健康な食」を追い求める食材の研究に始まり、今ではその先にある農業や環境の分野にまで広がっている。

 盛岡市で生まれ、13坪からスタートした「べる」は現在でも営業を行っており、ゴツゴツとした巨石のような特徴的な外観で来店客を迎えている。

次のページへ (2/2) 【写真】びっくりドンキーの「原点」
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