【映画とプロレス #15】映画「ミリオンダラー・アーム」のモデル、リンクはインド初の大リーグ選手からWWEに転向

「ミリオンダラー・アーム」(2014年)は、アメリカとインドで実際に起こった出来事を基にした野球映画だ。プロレスとは一切関係がない。テレビの画面にプロレス中継が一瞬映るのでもなければ、子どもがプロレスTシャツを着ているわけでもない。しかし最近になって、映画の物語と実際の出来事がプロレスに急接近。モデルになった野球選手がWWEに入団、プロレスデビューを果たしたのだ。その男の名はリンク・シンという。

映画「ミリオンダラー・アーム」(C)2014 Disney Enterprise, Inc. All Right Reserved
映画「ミリオンダラー・アーム」(C)2014 Disney Enterprise, Inc. All Right Reserved

野球映画のモデルとなった選手がプロレスラーに転身

「ミリオンダラー・アーム」(2014年)は、アメリカとインドで実際に起こった出来事を基にした野球映画だ。プロレスとは一切関係がない。テレビの画面にプロレス中継が一瞬映るのでもなければ、子どもがプロレスTシャツを着ているわけでもない。しかし最近になって、映画の物語と実際の出来事がプロレスに急接近。モデルになった野球選手がWWEに入団、プロレスデビューを果たしたのだ。その男の名はリンク・シンという。

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 2008年、スポーツ・エージェントであるBJ・バーンスタインはマネージメント業で成功を収め、ロサンゼルスの豪邸に住んでいる。愛用車はポルシェだ。ところがここにきてスランプに陥り、契約寸前で大物に逃げられてしまった。事務所の家賃まで払えない状況にまで追い込まれた彼は、テレビで偶然見かけたクリケットとタレントオーディション番組にインスパイアされ、インドで剛速球投手発掘という一発逆転のアイデアを思いつく。その模様をテレビ番組にして宣伝し、有能な人材をメジャーリーグに売り込もうというのである。野球未開の地を逆手に取り神秘的なイメージを拡大、晴れてメジャーリーガー誕生となれば人口の多いインドで大儲けも可能だろう。スポーツマンではなく、BJはあくまでもビジネスマンなのである。

 何万人もの若者が「ミリオンダラー・アーム」と名付けられたオーディションでスピードガンコンテストに挑戦した。最後は右投げのディネシュ・パテルと左腕のリンク・シンが勝ち残り、アメリカ行きを勝ち取った。彼らは多くのメジャーリーガーを育てたコーチに預けられ、野球選手としての一歩を踏み出す。インドの貧しい村からやってきた2人とも、野球はまったくの素人。ボールを握ったのも、コンテストが初めてだった。彼らは家計を助けるため、優勝賞金目当てでボールを投げただけなのだ。

 それでも、身体能力に優れた2人は失敗を繰り返しながらも08年11月にピッツバーグ・パイレーツからのオファーを受け、09年に契約。マイナーリーグからの出発とはいえ、晴れてインド人初のプロ野球選手が誕生したのである。映画はハッピーエンドで幕を閉じる。

 その後、両者とも現実に投手として実戦に登板することになった。背番号13のパテルはルーキーリーグのガルフコースト・パイレーツで15試合に出場、2年で引退しインドに帰った。150キロ近い速球を武器にした背番号18のシンは実働5年間で85試合に登板、10勝6敗、防御率2.97の成績を残した。3年目の11年には1Aに昇格したが、左ヒジの故障により13年から15年の3年間を棒に振った。16年にカムバックするも、ルーキーリーグにわずか1試合登板したのみで退団となった。パテルの引退後、シンの欠場中に完成した映画のエンドロールでは実際の写真や映像が多数使われており、10年には2人揃ってバラク・オバマ大統領と面会を果たした。この事実からも話題性は豊富だったことがうかがえる。しかし結局は実力社会、メジャー昇格は夢のままだった。

次のページへ (2/4) インドに戻ったシンが目指したのは?
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