話題の衝撃作「火口のふたり」の影に名物プロデューサー“シゲジイ”あり

『火口のふたり』(c)2019「火口のふたり」製作委員会
『火口のふたり』(c)2019「火口のふたり」製作委員会

型にはまらない独立系映画プロデューサー…トラブルにも飄々と対処

 プロデュース作品などを観ると、森重氏がエキストラ出演していることが確認できる。編集進行でクレジットされた「爆裂都市 BURST CITY」(1982/石井岳龍監督)では、ハードゲイの役で出演。今回、映画祭で上映された「香港大夜総会 タッチ&マギー」では宣伝担当の女性とともに日本人観光客の夫婦役で出演している。「人が足りないから、たまたま出ただけの話だよ」と森重氏。

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 カルト的な人気を誇る「爆裂都市」では、今だからこそ話せるエピソードもある。石井監督からは撮影時が大変だったとは聞いていたが、もっと大変だったのは編集だったそうだ。当時、スタッフには記録スタッフがおらず、クランクアップ後には膨大なフィルムのラッシュが残った。どのシーンを撮ったのか判別がつかず、編集するには一からフィルムを見直すしかなかった。このため、当初予定していた編集作業期間に収まらず、石井監督は編集室を追い出されてしまった。

シンポジウムに出席する石井岳龍監督、森重晃プロデューサー、渡邊孝好監督(左から)
シンポジウムに出席する石井岳龍監督、森重晃プロデューサー、渡邊孝好監督(左から)

 そんな時、助け舟を出したのが森重氏だった。大阪NHK時代のコネをつかって、東京・渋谷のNHK編集室を借り、石井監督を始め、編集を手伝っていた阪本順治氏、山川直人氏を潜り込ませた。石井監督は「昼間にソファで寝て、夜に機材を借りて、1か月以上、NHKに住んでいた。ソファで寝るには大変だったけども、食堂はあって、居心地よかった」と振り返る。今ではこんなことは許されないが、おおらかだった1980年代ならでは、のエピソードと言えるだろう。

「NHKの関係者は亡くなっているし、もう時効でしょ。当時、東神奈川で、大森一樹ら3人で3LDKのマンションを借りていた。そこを『九月の冗談クラブバンド』(1982/長崎俊一監督)のスタッフルームにした。助監督の一人がうれしくて、表札に『長崎組』と書いたら、暴力団と間違われて、3か月で追い出されたこともあった(笑)。その後、長崎組は撮影中の大怪我で製作が中断した。『爆裂都市』はその中断期の出来事だった」と森重氏も振り返る。

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