元タカラジェンヌ・早花まこが見たスターたちの“その後” 退団後の今だから感じる「自由の怖さ」

3年前に宝塚歌劇団を卒業した早花まこが、元タカラジェンヌらにスポットをあてた書籍『すみれの花、また咲く頃―タカラジェンヌのセカンドキャリア―』(新潮社)を3月1日に上梓した。長い人生の中で、舞台に立つことができる時間はわずか。卒業後の不安から先輩らに退団後の心構えについてたずねていったという。俳優、大学生、外国人技能実習生の支援など、それぞれの道に進んだ9人は、在団中と同じように悩み、自分だけの道を切り開いていた。早花は「宝塚卒業後も心が熱くなる人生が続いていた。人生の土台を作ってくれた宝塚に恩返しができるよう、私も自分の可能性を広げていきたい」と思いを込めた。

初の著書を手にほほ笑む早花まこ【写真:ENCOUNT編集部】
初の著書を手にほほ笑む早花まこ【写真:ENCOUNT編集部】

限定された世界を離れ、自分だけの表現を追求したい

 3年前に宝塚歌劇団を卒業した早花まこが、元タカラジェンヌらにスポットをあてた書籍『すみれの花、また咲く頃―タカラジェンヌのセカンドキャリア―』(新潮社)を3月1日に上梓した。長い人生の中で、舞台に立つことができる時間はわずか。卒業後の不安から先輩らに退団後の心構えについてたずねていったという。俳優、大学生、外国人技能実習生の支援など、それぞれの道に進んだ9人は、在団中と同じように悩み、自分だけの道を切り開いていた。早花は「宝塚卒業後も心が熱くなる人生が続いていた。人生の土台を作ってくれた宝塚に恩返しができるよう、私も自分の可能性を広げていきたい」と思いを込めた。(取材・文=西村綾乃)

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 東京で生まれた早花は、幼少期から本を読むことが大好きな少女だった。幼稚園のときに両親がプレゼントしてくれた犬のぬいぐるみに「チョン」と名付けると、チョンを主人公にした物語を創作していたという。

「いつも考えていたのは、チョンが冒険をするお話。褒めてもらえるとうれしくて、連作で作っていたものを、両親がワープロで打って一冊の本のようにまとめてくれていました。チョンはいまも実家で大切にしています」

 小学校では演劇部に所属していたが、声が小さく人前に出るのが苦手だった。そんな早花に転機が訪れたのは6年生のとき。宝塚ファンだった祖母と母に連れられ『ベルサイユのばら』を観劇した日に「私も入りたい」と決意した。高校卒業を待ち、2000年に宝塚音楽学校(兵庫・宝塚市)の門をたたいた。

「両親、特に父は競争の世界に入ることを心配していましたが、最終的には宝塚に入ることを応援してくれました。音楽学校では、合格したその日から宝塚を背負うために、会ったばかりの同期全員が団結するよう求められました。親元を離れた寮生活も始まって、最初は慣れないことばかりでした」

 タカラジェンヌを目指し、朝早くから夜遅くまで声楽やダンス、演劇などのレッスンをこなした。歩き方などの所作はもちろん、荷物を床に置かないなど、日常から背を正すことが求められた。

「宝塚音楽学校で学ぶ者は、未来のタカラジェンヌ候補生。将来、観客の方々に夢を見せる存在なので、道を歩くときも、アイコンとして存在することが求められました。誰かが勝手な行動をしたら、舞台は成り立たない。全てのルールは、100年の伝統がある宝塚の舞台に立つための意識作りでした」

 2年間プロの講師から技術を学び、02年に宝塚歌劇団に入団。花・月・雪・星・宙の5組には、それぞれ80人ほどが所属しているが、スターと呼ばれる存在はわずかだ。

「私は雪組で娘役として、舞台中心の生活を送っていました。夢の舞台で立つことができた18年間は夢のような時間でしたが、卒業を前にしたとき、この先どうやって生きて行けば良いのだろうと不安になってしまったんです」

 20年3月に退団することを決めた早花は、先輩方に「退団後の心構え」をたずねていく中で、それは「生きる極意」だと気付いたと語る。「もっと話を聞きたい」。その思いがかない、ウェブマガジン『考える人』で連載を任されることになった。在団中に劇団の機関誌で、8年にわたって組を紹介するレポートを執筆していた早花の文章は、“文豪”のあだ名が付くほど。その高い表現力をいかした文章をまとめたものが、初の著書となった。

 書籍では俳優に転身した元雪組トップスターの早霧せいなのほか、ベトナムの日本語学校に勤務後、外国人技能実習生の支援を始めた元雪組男役スターの香綾しずる、国際福祉大学に進学した元花組男役スターの鳳真由など、選んだ道をまい進する9人を紹介。冒頭を飾る早霧の取材では、「卒業後に仕事があるか不安」という気持ちを抱えていた14歳の早霧が、10年後の自分に「あきらめたら、一生後悔すると思いますよ」と手紙をしたためていたこと。トップスター就任前後で、ガラリと立場が変わった経験をしたことから、その座を退くときはどのような現実が待っているのか。不安で震えたことなどが明かされている。

「在団中は9人それぞれが、抱えていたコンプレックスと向き合い、それをカバーする技を身に付けていた。私は背が低い(158センチ)ことがコンプレックスでした。舞台で埋もれないように9センチのヒールを履いたりもして。ある演目の時に、背が高い男役さんとご一緒したのですが、小ささが際立ってしまうと嘆いていたら、『男役がすらっとして見えた』と関係者がほめてくれたんです。このことは、視点を変えるきっかけになりました。ばあやの役が来たら、腰を折ってさらに小さく見えるよう工夫したり。小ささをいかした演技をするようになりました。コンプレックスを私にしかできない表現へと変えることができたんです」

 タカラジェンヌに必要とされる能力の一つに、自己プロデュース能力があると早花は言う。舞台で輝くために自己を磨き続けた9人は、卒業後もそれぞれの場所でぶつかった壁を乗り越えようと努力を続けていた。卒業して3年目を迎えた早花は「知らない世界には、いろんな可能性がある。ちょっとの勇気で変わる」と広がったフィールドを楽しんでいるよう。

「宝塚を卒業したからといって、人生が終わったわけではない。限定された世界から、外に出て、いまは自由の怖さがあります。輪の中にいたときは、その一員として存在していましたが、外に出たいまは、私の一挙手一投足が『宝塚』だと思われる。自分を作ってくれた、人生の土台を作ってくれた宝塚で学んだことを生かして、今回機会をいただいた執筆など、自分だけの表現を追求していきたい」

 書籍を出版する新潮社は、三島由紀夫の『金閣寺』以降、10万部を発行した書籍について、著者への感謝と社内所蔵用に4冊の「特装版」(非売品)を制作しているという。取材をした部屋には、遠藤周作の『沈黙』、沢木耕太郎の『深夜特急』など、いまも読者の心を揺さぶり続ける名作があった。芯が強い演技と同じように、早花の著書もたくさんの読者に届き、特装版が制作されるよう願っている。

□早花まこ(さはな・まこ)1月19日、東京都生まれ。宝塚歌劇団88期生として、2000年に宝塚音楽学校に入学。02年に宝塚歌劇団に娘役として入団した。初舞台は同年の月組公演『LUCKY STAR』。その後、雪組に配属された06年には『ベルサイユのばら』で少女時代のオスカル役を務めるなど、活躍した。20年に退団。

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