未唯mie ピンク・レディー解散からソロ歌手として歩んだ42年「まだまだ挑戦は続きます」

歌手の未唯mieがベスト盤『MIE to 未唯mie 1981-2023』をリリースした。国民的モンスターデュオ・ピンク・レディーの解散後、ソロシンガーとして40年以上にわたるキャリアの中から31曲が収められた。中でも最新録音でカバーした「ハレルヤ」は表現者として現時点での集大成と言ってもいい力強い歌声に心が震える。「歌は私自身」と語る未唯mieの現在を紹介する。

自身の半生を一気に振り返ってくれた未唯mie【写真:舛元清香】
自身の半生を一気に振り返ってくれた未唯mie【写真:舛元清香】

夢のようなピンク・レディーの毎日からソロシンガーの道へ

 歌手の未唯mieがベスト盤『MIE to 未唯mie 1981-2023』をリリースした。国民的モンスターデュオ・ピンク・レディーの解散後、ソロシンガーとして40年以上にわたるキャリアの中から31曲が収められた。中でも最新録音でカバーした「ハレルヤ」は表現者として現時点での集大成と言ってもいい力強い歌声に心が震える。「歌は私自身」と語る未唯mieの現在を紹介する。(取材・文=福嶋剛)

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――少し前の話になりますが、未唯mieさんの恩師の1人だったドラマーの村上“ポンタ”秀一さんを追悼するイベントが昨年3月に開催され、森高千里さんや大黒摩季さん、一青窈さんが未唯mieさんと並んでピンク・レディーを歌ったことを思い出しました。とにかく3人の表情が、テレビの前にかじりついていた少女の笑顔に戻っていて。

「そうでしたね。本当にみなさんかわいくて楽しかったです」

――素敵でした。でもそれ以上に観客が釘付けになったのは、まるでタイムマシンでやってきたかのような当時と変わらぬ未唯mieさんの存在感です。解散後もずっと磨き続けてきた歌とダンスに圧倒されました。

「ありがとうございます。歌やダンスといった表現すること自体が私にとって切っても切れない大切な存在なんです。でも、私は小さい頃は周りの子たちと違って思ったことをちゃんと言葉にして人に伝えることが苦手な女の子だったんです」

――それを克服でしたきっかけというのは?

「演劇部に入ってお芝居に出会ったことが大きかったですね。ほかの誰かを演じてみたり、歌ったりすることで言葉の代わりに自分の感情を表現できると分かり、表現することに生きがいを感じるようになりました」

――初めはソロシンガーを目指していたそうですね。

「はい。ソロとしてデビューを目指すためにレッスンを受けていたのですが、あるとき講師の先生にケイ(増田惠子)とのデュオを提案されました。それから2人で歌も踊りも一生懸命磨いて、ピンク・レディーというキャラクターを与えていただき、デビューする前からとても大きなプロジェクトチームが立ち上がりました。プロデューサーから『君たち2人はピンク・レディーという大きな歯車の中の1つになるんだよ』と言われて、本当に水を得た魚のように夢のような毎日でした」

――そしてピンク・レディー解散後、念願だったソロシンガーの道が開きました。

「まさに原点回帰です。『新人のMIEです』という感じで、ここから自分の足で進んでいくぞという気持ちになったのを覚えています」

――ピンク・レディーのミイが次に何をやるのかという世間のプレッシャーはご本人にとっても計り知れなかったのではないでしょうか?

「たしかに周りの方々はソロでも『ザ・ベストテン』のスポットライトに出したいとか一生懸命に動いていただきました。でも私自身としては、ヒットは二の次、三の次でまずは地に足をつけてシンガーとして1つ1つを大切に歩んでいきたいという思いだったので、何一つ気負いもプレッシャーもありませんでした。もちろんピンク・レディーは、計り知れない大きな体験でしたが、ソロはまったく別だと思っていたんです」

セルフプロデュースや作詞にも挑戦した40代【写真:舛元清香】
セルフプロデュースや作詞にも挑戦した40代【写真:舛元清香】

私らしさを見つけてくれた大切な恩師

――今回のオールタイムベストは、まさに1人のエンターテイメントシンガーとして出発したMIEさんが、アーティスト・未唯mieへと成長し、自分らしさを見つけていく旅の記録でもあると感じました。あらためて長いキャリアを振り返ってみていかがですか?

「仰ったように、今でも出会った人たちと歌に成長させていただいているという思いがあります。最初の頃はピンク・レディーというキャラクターを脱ぎ捨てたものの、自分自身のキャラクターや私らしさを見つけられないまま、与えていただいたリクエストに全力で対応してプロの役目を果たしてきました。そして30歳を前にして『このままでいいのだろうか?』という疑問が湧いてきたんです」

――時代的には昭和から平成に入ったあたりでしょうか。

「そうでしたね。音楽シーンも職業作家さんによるヒット曲の時代からシンガー・ソングライターやバンドといった自分たちで作る時代に徐々に変わっていきました。そんな中で私は、昔のまんま誰かに線路を引いてもらう生き方から脱却しないといけないと感じ、気の合う音楽仲間たちを誘って新たに事務所を立ち上げました。ところがそれがうまくいかなかったんです」

――うまくいかなかった原因というのは?

「結局、気が付いたらその仲間たちに線路を引いてもらっているだけで私自身が変化できていなかったんです。これではダメだと思い、もう一度リセットして自分の思いを形にできる体制を作り直しました。33歳の頃でした」

――94年にリリースした「キティとダンス!」がその頃のターニングポイントの1つだったそうですね。

「『キティとダンス!』のテーマは“親子の絆”でした。私は子どもの頃から母親に愛されたい、理解してほしいという思いをずっと抱いていて、なかなか心が通じ合えないという関係が続きました。そんな経験から親子の関係を大切にしてほしいという思いを込めたくて、初めて私が主体となって制作したのがこの楽曲です。そしてもう1つの大きなターニングポイントが、ソロアルバム『me ing』(2007年)でした。コンセプトからアルバム全曲の作詞まで私自身でプロデュースをさせていただき、私自身を丸ごとアルバムに詰め込むことができました」

――アルバムに参加している村上ポンタ秀一さんや井上鑑さんといったベテランミュージシャンとの出会いも大きかったそうですね。

「世の中には上手いミュージシャンはたくさんいらっしゃいますが、どこに思いがあって、その思いをどうやったら一緒に共有して奏でられるのか。そんな魂でぶつかり合う大切さを鑑さん、ポンタさんから学びました」

――ポンタさんは生前、最後まで未唯mieさんの後ろでドラムを叩いていました。

「ポンタさんには『未唯mieちゃんがライブをやるなら手伝うよ』と言って、2007年からお世話になっていました。驚いたのが、最初に何十枚とある大量のシンバルを会場にすべて持ち込み、全部叩いていくんです。それで『未唯mieちゃんは、どの音が好き?』と言って私の声に合うものを1つ1つ丁寧に選んでくださいました。そんなポンタさんを通して、『私自身じゃなくバンドを構成する声という楽器を持つ、私もミュージシャンなんだ』という自覚が芽生え、仲間たちと一緒に作り上げる面白さを教えていただきました。ポンタさんは、演奏技術や表現力に目が行きがちですが、本当に人と人をつなげて愛情あふれる音を作ってくださる方でした」

――そしてもう1人の恩師、井上鑑さんとのタッグで最新録音による「Hallelujah《ハレルヤ》」を完成させました。

「去年、ふとレナード・コーエンの『ハレルヤ』を耳にして、今まで感じたことのない心の震えを覚えました。コロナ禍やウクライナ情勢といった不安な時代に私たちがどうあるべきかを示唆している気がして、『この曲を歌いたい!』と思いました。そこで私の気持ちを形にできる人は鑑さんしかいないと思い、プロデュースをお願いしました」

――未唯mieさんのこれまでの集大成とも言える深みのある渾身の歌声が心に響きました。

「ありがとうございます。音魂を感じてもらえるように歌いました。聴いた方が、それぞれの思いで感じていただけたらうれしいです。また、さかいゆうさんと坪倉唯子さん(B.B.クィーンズ)という素晴らしいヴォーカリストにもご担当いただき、オリジナリティーあふれる作品になりました」

まだまだ新しいことに挑戦したいと語った【写真:舛元清香】
まだまだ新しいことに挑戦したいと語った【写真:舛元清香】

ピンク・レディーの頃の自分を振り返って

――ベスト盤リリースの後、4月にはピンク・レディーの貴重な出演シーンを集めた『Pink Lady Chronicle TBS Special Edition』がリリースされます。ご覧になった感想は?

「懐かしかったですね(笑)。こんなこともしていたんだと忘れていた記憶もいっぱいありました。成長していく過程やアメリカで活動した経験も思い出しながら、私たちはこんなふうに変わっていったんだなって客観的に見てしまいました(笑)」

――映像に映っている当時のミイさんに声をかけるとしたら?

「そうですね(笑)。『よく頑張っているよ!』って言ってあげたいです。『寝られない、食べられない、覚える事もできないこの忙しさは一体いつまで続くんだろう?』、『このままインプットも出来ないまま枯れていったらどうしよう?』って、当時の私はそんな不安の中で必死に突っ走っていましたから『大丈夫だからね』って伝えてあげたいですね」

――あらためて今振り返ってみてピンク・レディーのケイ(増田惠子)さんは、未唯mieさんにとってどんな存在でしたか?

「モンスターと呼ばれたピンク・レディーを4年7か月の間、生き抜いてこられたのは同じ喜びや苦しみを知っているケイがいてくれたからです。今でも力になっていますし本当に切っても切れない大事な人です」

――作品リリースを記念して3月には東京で、4月は大阪でライブを予定しています。

「バンドマスターの井上鑑さんをはじめ、今の私を支えてくれているメンバーたちとライブを行いますので、ソロとして42年目を迎えた現在の私が過去の曲とどんなふうに向き合ってみなさまの前で表現するのか楽しみにしていただきたいと思います」

――未唯mieさんの音楽の旅はまだまだ続きます。目指す先を山にたとえると現在どの地点にいると思いますか?

「6合目くらいかな(笑)。きっとこれからも新しい目標がどんどん生まれてくると思うので、まだまだたくさんの山に挑戦していきたいです」

□未唯mie(みい) 1976年8月、ピンク・レディーとして「ペッパー警部」でデビューし4年7か月活動。81年8月「ブラームスはロックがお好き」でソロデビュー。その後、舞台、ミュージカル、コンサート、TV等多岐にわたって活動。23年3月1日、ベスト盤『MIE to 未唯mie 1981-2023 ALL TIME BEST』、4月19日に映像集『Pink Lady Chronicle TBS Special Edition』をリリース。3月1日に東京・目黒Blues Alley Japan、4月30日にビルボードライブ大阪で記念ライブを開催。

軽トラからセンチュリー、バイクにバギー…大御所タレントの仰天愛車遍歴(JAF Mate Onlineへ)

未唯mie公式HP:http://web-mie.com/
Instagram:https://www.instagram.com/mie_doux/
ビクターエンタテインメント公式ページ:https://www.jvcmusic.co.jp/PinkLady_MIE/
ピンク・レディー公式Twitter:https://twitter.com/PinkLady_VICTOR

『MIE to 未唯mie』リリースLIVE
東京公演
日程:2023年3月1日(水)2部制
場所:目黒Blues Alley Japan
問合せ:Blues Alley Japan 予約受付センター:03-5740-6041(平日12:00~19:00)

大阪公演
日程:2023年4月30日(日)2部制
場所:ビルボードライブ大阪
問合せ:ビルボードライブ大阪:06-6342-7722

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