通天閣のビリケンさんモチーフのマスクマン、ビリーケン・キッドって何者なの?

「“やめられない、とまらない、私のレスラー人生”ですわ」。“幸運の神”ビリーケン・キッドの底抜けの笑顔が輝いた。

右腕を吊った素顔のビリーケン・キッド(右)はひたすら明るく語ってくれた【写真:柴田惣一】
右腕を吊った素顔のビリーケン・キッド(右)はひたすら明るく語ってくれた【写真:柴田惣一】

メキシコ留学も経験したマスクマン「この2、3年、プロレスが面白くなってきた」

「“やめられない、とまらない、私のレスラー人生”ですわ」。“幸運の神”ビリーケン・キッドの底抜けの笑顔が輝いた。

 OSWと大阪プロレスのダブル所属で活動するビリーケン・キッド。自身の25周年記念イヤーやOSW3周年のイベントが続く中、右肩を故障してしまった。10月22日には、OSWの神奈川・川崎大会がPost di Amistad(PDS)で控えているが、復帰できるかぎりぎりのところ。「OSWの3代目のエースなのに、申し訳ない」と頭を下げる。

 何度か欠場に追い込まれてきたが「今回は本当に悔しい。この2、3年、プロレスが面白くなってきた。もちろん、これまでもやりがいたっぷりだったけど、ここにきて楽しむ余裕ができた」と明かす。

 元々、初代タイガーマスクのデビュー戦を目にし、プロレスラーに憧れていた。小さいころからの夢を実現させたのだが「体も大きくないし、親も反対だった」と、決して平坦な道のりではなかった。語学研修と偽って、メキシコ留学を果たし、1996年メキシコでデビュー。夢を実現させた。

 日本に帰国後は、素顔や数々のマスクマンに変身した。大阪プロレスで2002年にビリーケン・キッドは誕生する。大阪の名所・通天閣に鎮座する幸運の神・ビリケンさんにあやかったもの。「ちゃんと通天閣に挨拶に伺い、認めてもらった。それなのに通天閣100周年記念イベントには呼んでもらえなかった」といささか寂しそうだ。

マスクからのぞく目も笑っている【写真:柴田惣一】
マスクからのぞく目も笑っている【写真:柴田惣一】

 もっとも、実は東京・足立区鹿浜出身。21歳までは江戸っ子だった。現在は兵庫県川西市在住で関西人とはいえ、大阪人ではない。「生粋の関西人と話すと、すぐにばれる」と苦笑いだが、とにかく明るく何事もネタにしてしまうのは、まさに関西人そのもの。

 大阪で出会った夫人も関西出身ではないが、10歳の息子さんともども、今や「一家で関西に染まっている」と大笑い。ただ「たこ焼きとか粉ものや串揚げなど、好きだけど、毎日というわけでは…」と正直に告白。エキサイティングな関西人ライフをエンジョイしているようだ。

「生まれた時は4350グラムもあった。それなのに大きくなれなかった。小さいころから、レスラーになろうとパワーアップを意識したトレーニングをしたからかな」とこれまたケタケタ。周囲には笑いが絶えない。

 オフにはボランティア活動に勤しむ。「マスクマンとして訪問すると、お子さんも高齢の方々も喜んでくれる。こちらも嬉しくなる」とまたまた笑みがこぼれ落ちる。

「趣味が仕事」と言い切る。「こんなに楽しい人生はない。プロレスラーになる夢がかなって、思う存分、やらせてもらえる」。プロレスは天職だった。

 現在の夢は夫人の「見晴らしのいい土地に3階建ての一戸建て」という要望をかなえること。「なかなか大変だけど、何とかしたい」と意気込む。川西市に「ビリーケン御殿」を建てるため、一日も早くケガを治し、リング復帰の日を目指すキッドである。

次のページへ (2/2) 【写真】マスクのサイドにはビリケンさんが
1 2
あなたの“気になる”を教えてください